伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

観客が踊りに立ち入らないのは当たり前

『ヌレエフ』P.170:
観客は私が行っていることに立ち入れないのです。舞台上では感情を内面化し自分自身に集中しなくてはなりません。
Meyer-Stabley原本:
le public ne pénètre pas dans ce que j'éprouve, qui est intériorisé, ramassé en moi-même.
Telperion訳:
私が感じることは内面化され、私自身の中に凝集され、観客はそこに入ってこないのです。

1978年11月27日のパリ・マッチ誌に載ったヌレエフのインタビューより。この発言を含むインタビューをMeyer-Stableyは"Aveu pathétique de la solitude du génie et de l'égocentrisme de l'artiste"(天才の孤独と芸術家の自己中心主義の悲壮な告白)と呼んでいる。

éprouverは「行う」でなく「感じる」

自分の感情を観客が共有しないのは、確かに孤独を感じても無理のない状況だろう。しかし新倉真由美の訳では「感じること」が「行っていること」になったため、まるでヌレエフが舞台で行う踊りに観客が介入しないのを孤独に思っているように見える。しかし、観客が踊りに立ち入ってきたら、ダンサーにとってはむしろ迷惑だろう。単語ひとつの間違いに過ぎないとはいえ、新倉真由美の文には微妙な違和感がある。

「しなくてはならない」に相当する言葉は原文にない

「私が感じること」(ce que j'éprouve)を修飾する関係節"qui est intériorisé, ramassé en moi-même"の意味は、「内面化され、私自身の中に集まる」。ヌレエフの感情が外から見えなくなるのは、ヌレエフが義務感をもってしているのでなく、自然になるのかも知れない。

2014/2/12
発言の文脈をより詳しく説明

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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