伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ベッドが1つしかないのを歓迎したプティ

『密なる時』P.27:
ベッドはひとつしかなかったが、彼は親しくもてなしてくれ、長い会話が馬鹿笑いで途切れると、私たちは背中合わせに眠りについた。
プティ原本:
et comme il n'y avait qu'un lit, l'hospitalité n'en était que plus intime, et après de longues conversations entrecoupées de fous rires, nous nous endormions dos à dos
Telperion訳:
そしてベッドが1つしかなかったので、もてなしはなおさら親密でしかなく、何度も大笑いに中断された長い会話の後、私たちは背中合わせに眠りに落ち、

初めての共作「失楽園」の稽古期間中にプティが何度かヌレエフの自宅に泊まったときのこと。

さらなる親密さを生んだ1つだけのベッド

"il n'y avait qu'un lit"(ベッドが1つしかなかった)の前にある接続詞commeの主な意味は「~のように、~なので」。ここでは「~のように」より「~なので」の方が意味が通る文になる。つまり、ベッドが1つしかないのは、ヌレエフのもてなしがより親密だったことの理由として挙げられている。同じベッドだったからこそ、寝る前の二人は親密に過ごせたとプティは考えている。

新倉真由美の文では「ベッドはひとつしかなかった」と「親しくもてなしてくれた」を逆接の接続詞「が」がつないでいる。つまり、「ベッドはひとつしかなかった」が「親しくもてなしてくれた」と逆の意味、つまり宿泊での欠点になった。「男二人が一つのベッドで寝るなんて、なんてみすぼらしい」という感想を持つ人がいても不思議はない。でもそれはプティの感想ではない。

新倉真由美が「しかし」という意味のフランス語を訳さない、または原文にないのに訳文に追加することはとても多い。いちいち挙げていたら、記事内容が細かくなりすぎるだろうとは思う。しかしプティが「同じベッドで眠るまで話し込むのは楽しかった」と振り返っているのが、「残念ながら同じベッドだったが、話し込む楽しさはその欠点を補ってあまりあった」と書き換わるのは、どうも放置したくない。

馬鹿笑いで会話が中断したのは複数回

こちらはもっと小さなことだが、"entrecoupées de fous rires"は「常軌を逸した笑いで中断された」。動詞entrecouperの意味として「中断する」があるので、笑い転げた後で2人はまた会話を再開しているように思える。"fous rires"(常軌を逸した笑い)は複数形であり、一つの会話の中に笑いによる中断が何度も挟まれている可能性もある。

更新履歴

2014/7/12
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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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