伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

性欲を持て余したとは限らない

『ヌレエフ』P.186:
常に肉体的な高揚感にブレーキをかけられず、その捕え難さに魅せられていたヌレエフは、すべてを放蕩に使い果たして性欲から健康を害し、燃え上がるような生命に許された時間は僅かと知りながら放埓な生活をやめられなかった。
Meyer-Stabley原本:
Toujours attiré par l'insaisissable, n'envisageant jamais de freiner ses élans charnels, Noureev ne cessera de faire les quatre cents coups, donnant à ses débauches toute la sensualité de ses ancêtres, faisant de sa sexualité un acte de santé, décidé à ne lui accorder que peu de temps de sa vie bouillonnante.
Telperion訳:
捕えられないものに常に引きつけられ、肉欲の勢いを決して抑制しようとせず、ヌレエフは放埓に過ごすのをやめず、先祖の官能すべてを放蕩に捧げ、性欲を健康的な行為とし、たぎるような人生のほんのわずかな時間しか許さないと決意していた。

原本と違う新倉真由美の訳

1. 性欲から健康を害したわけではない

「性欲から健康を害し」に対応する原文は"faisant de sa sexualité un acte de santé"。"faire A de B"は「BをAにする」なのを踏まえて上の部分を訳すと、「彼の性欲を健康の行為にして」。「ヌレエフにとって性欲を満たすのは健康維持になることだった」というような意味ではないかと思う。「健康を害し」という訳語を引き出すのは無理。

ヌレエフは性欲の結果としてHIVに感染したのだろうから、新倉真由美の文は事実ではある。でもここでそれを書くのは、Meyer-Stableyの意図ではなく、新倉真由美が「性欲」「健康」から連想したことに過ぎない。

2. 時間が僅かと知っていたわけではない

「燃え上がるような生命に許された時間は僅かと知りながら」に対応する原文は、"décidé à ne lui accorder que peu de temps de sa vie bouillonnante"(彼のたぎるような人生のわずかな時しかそれに許さないことを決意して)。つまり、僅かな時間しかかけないというのはヌレエフが自分で決めたこと。受け入れなければならない現実ではない。

時間を許されるべき「それ」(代名詞lui)とは、恐らく少し前にある"sa sexualité"(彼の性欲)を指す。

3. ブレーキをかけたかったとは限らない

「ブレーキをかけられず」に対応する原文は"n'envisageant jamais de freiner"(決して抑制しようとせず)。本当は欲望に駆られたくなかったようなニュアンスはない。

4. やめられなかったとは限らない

「やめられず」に対応する原文は"ne cessera"(やめない)。上と同じく、本当は放埓な生活をやめたかったというニュアンスはない。

5. 放蕩に使い果たしたのはすべてではない

ヌレエフが放蕩に捧げたのは"toute la sensualité de ses ancêtres"(先祖の官能すべて)であり、文字どおりの「すべて」ではない。私にも原文の意味は分からないが、Meyer-Stableyにはロシア人またはタタール人が色好みという先入観があるのかも知れない。

『ヌレエフとの密なる時』にある元の文

Meyer-Stableyはこの部分で、プティの『Temps Liés avec Noureev』にある表現をかなり借用している。プティが書いた文を『密なる時』の該当する訳、そして必要なら私の訳と共に載せる。

1. toujours attiré par l'insaisissable
プティ原本:
toujours attiré par l'insaisissable
『密なる時』P.61:
常に手の届かないものに心惹かれ
2. n'envisageant jamais de freiner ses élans charnels
プティ原本:
pas plus qu'il n'envisageait de freiner ses élans sentimentaux ou plutôt charnels,
『密なる時』P.58:
また、精神的な願望を抑制することもなく、肉体的欲求にブレーキをかけることとは、さらに無縁だった。
Telperion訳:
愛情またはむしろ肉欲の勢いを抑制しようとすることもなく、
3. faisant de sa sexualité un acte de santé, décidé à ne lui accorder que peu de temps de sa vie bouillonnante
プティ原本:
hygiénique comme on se lave les mains, ne lui prenait que peu de temps de sa vie bouillonnante.
『密なる時』P.29:
まるで手を洗うように淡白で衛生的であり、激情に身をやつすことはほとんどなかった。
Telperion訳:
手を洗うように衛生的で、彼にとってはたぎるような人生のうちわずかな時間しかかからなかった。
ここについては、記事「ヌレエフが性欲にかけるわずかな時間 」にささやかな解説がある。

このうち、3番目の項の前半部分「性欲を健康の行いとして」はプティの写しではない。しかしプティが使っているhygiéniqueには「衛生的な」の他に「健康に良い」という意味があることを念頭に置くと、Meyer-Stableyがプティの「手を洗うように健康的な」という表現を自分の言葉に置き換えたのだと推測できる。

Meyer-Stableyによるプティの文の借用に関する疑問

プティのいう「彼の性欲は手を洗うようなもので、わずかな時間しかかからない」という言葉は、「彼にとって性欲を満たすことはたいした意味を持たない」という意味に思える。プティはこの少し後に、「命を過剰に燃やす人間という表面的な見かけの下で、ルドルフは自分の人生に侵入する情熱の奴隷だった」(記事「命を燃やすのと情熱の奴隷になるのとの対比」より)と書いてから、ヌレエフの踊りへの情熱を語るし、他でも何度も「踊りこそヌレエフの中心」と主張している。

一方、Meyer-Stableyにとって、ヌレエフの性欲処理は踊りにひけをとらない重要な要素で、人生の大半をかけて追及したこと。「わずかな時間しかかからない」というプティの言葉は、多分Meyer-Stableyの見解に反する。最初の引用部分を見ても、「わずかな時間しか許さないと決めていた」は他の部分から浮いているように見える。

「Meyer-Stableyはプティが賛成しなさそうなことを書くとき、なんでプティの表現を使うかね?」と疑問を持つ個所はここだけではない。それについてはいずれ取り上げたい。(→ 13/3/26に記事プティの原文とMeyer-Stableyの引用の違いを作成)

2014/2/17
問題視した新倉真由美訳を明記

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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