伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ヌレエフが受けた被害がルグリ任命とは限らない

『ヌレエフ』P.261:
ピエール・コンベスコはパリマッチ誌の中で疑問を投げかけている。
「こんなことをして誰の役に立つのだろう? お気に入りのダンサーのエトワール指名を出し抜かれたヌレエフのため?
Meyer-Stabley原本:
« À qui profite le crime ? interrogera Pierre Combescot dans Paris-Match. Noureev, qui noyait le poisson avant qu'il ne fût d'avril ?
Telperion訳:
「この罪な行為は誰の利益になるのか?」ピエール・コンベスコはパリ・マッチ誌で尋ねる。「エイプリル前のフールを消耗させたヌレエフか?

ベジャールが自作「アレポ」初演後にエリック・ヴュ=アンとマニュエル・ルグリをエトワールに任命し、ヌレエフがそれを打ち消したために起きた騒動についての論評。

言葉遊びを交えた婉曲な原文

ヌレエフについての文の直訳は、「4月のものになる前の魚を溺れさせたヌレエフか?」。

  • "noyer le poisson(魚を溺れさせる)とは、「(事態を紛糾させて)相手の疲れを待つ」というイディオム
  • 「4月のものになる前の魚」とは、次のことにひっかけた表現
    • ヌレエフがベジャールによる任命を打ち消すとき、「エイプリル・フール」のフランス語である"poisson d'avril"(4月の魚)を口にした
    • この事件は3月下旬に起きた

しゃれまで含めてこの文を訳すのはとても難しい。ヌレエフが結局はベジャールによる任命をつぶしたことを言っているのかも知れないし、ヌレエフが事前にあいまいな返答でベジャールをはぐらかした(『ヌレエフ』によるとベジャールはそう主張しているそう)ことを指すのかも知れない。

新倉真由美の言い換えは現実をあまり反映しない

新倉真由美は「「4月のものになる前の魚を溺れさせた」を「お気に入りのダンサーのエトワール指名を出し抜かれた」と言い換えた。原文に埋め込まれた「エイプリル・フール」や「相手の消耗を待つ」という語句の意味は影も形もない。原文の解釈をあきらめ、この件のヌレエフについて新倉真由美が思ったことを書いたように見える。

しかし、ヌレエフはルグリの方は時期がくればエトワールにする気があったが、ヴュ=アンに対してその気がなかったことは、今となっては明らか。だからルグリの任命よりヴュ=アンの任命のほうが、なおヌレエフの気に入らないのではないだろうか。問題なのはルグリの任命だけのようにまとめるのは、もっともらしく思えない。

更新履歴

2016/5/5
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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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