伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

会う場所の節度はわきまえたヌレエフ

『密なる時』P.13:
それにもかかわらず、ある日の終演後、微笑をたたえた瞳と貪欲な唇をしたロシア人の若者がホテルまで巧みに後を付けてきた。
プティ原本:
Si pourtant, je me souviens bien du jeune cosaque aux yeux souriants et aux lèvres gourmandes qui après le spectacle s'était faufilé jusque dans ma loge.
Telperion訳:
しかし、公演後に私の楽屋まで紛れ込んできた、微笑んでいる目と貪欲な唇をしたコサックの若者のことはよく覚えている。

1959年にウィーンで公演中、ヌレエフとの初めての出会いについて。

ヌレエフが来たのはホテルでなく楽屋

logeを仏和辞書で引くと、バレエ業界関連では「楽屋、ボックス席」、そうでないものは「管理人室、小部屋、フリーメーソンの支部」という意味が載っている。プティは公演の客でなく主催者なのだから、ここで最も自然な意味は「楽屋」。

新倉真由美はlogeをホテル、またはホテルの一室だと思ったらしい。しかしこれはありそうにない。

  • 上に挙げたlogeの意味を見ると、特殊な用例である「フリーメーソンの支部」以外は、ホテルの部屋よりもなお小さい区画を指している。
  • ホテルの部屋はchambreと呼ばれる。フランスのホテルのWebサイトをいくつか見ると、星なしの比較的質素なホテルであっても、部屋はchambreと書かれている。

引用部分の直前に「私はホテルから劇場に徒歩で行き」と書いてはあるが、だからといって次の文もホテルのことを書いているとは限らない。

ヌレエフはストーカーではない

公演に感動した客が舞台裏に押しかけるのは、客に特別なつてがあれば、それほど珍しいことではないらしい。

  • 『ヌレエフ』原本によると、ヌレエフの公演でミック・ジャガーとマリアンヌ・フェイスフルが舞台裏に出向いた
  • Diane Solway著の伝記『Nureyev: His Life』のペーパーバックP.275によると、現役の大統領夫人だったジャクリーン・ケネディが舞台裏にフォンテーンとヌレエフに会いに行き、政治的トラブルを嫌った興行主ソル・ヒューロックに断られた。

プティの楽屋まで行ったヌレエフは舞台裏よりさらにプティに肉迫しているが、業界関係者で大胆なヌレエフなら、たやすく行く気になったろう。

一方、仕事とは切り離された場所であるホテルまで後を付けるのは、いくら感動のあまりとは言えストーカーじみている。logeの解釈は比較的小さな問題ではあるが、どうでもよくはない。

更新履歴

2014/6/20
箇条書きの導入など

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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