伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

明らかになったのは後世に残るヌレエフの名

『密なる時』P.98-99:
かなり以前から、この聖なる怪人が病の床にあることは知られていたが、彼の死が逃れようもない現実になり、誰もその不在を埋めることができないと悟ったのは公式の葬儀の夜だった。
プティ原本:
On savait depuis longtemps que le monstre sacré était installé dans la postérité, mais c'est le soir du sacre officiel que tout s'est trouvé à sa place d'une façon irréversible.
Telperion訳:
この聖なる怪物が後世に身を置いているのは長い間知られていたが、取り消されることのない方法ですべてがあるべき場所に見い出されたのは公式祭典の夜だった。

ガルニエ宮でダンサーたちに囲まれて行われたヌレエフの葬儀についての文の前置き。

知られていたのはヌレエフの病ではない

新倉真由美は原文の"la postérité"を「病の床」と訳したらしい。しかしpostéritéの意味として仏和辞書にあるのは「子孫、後継者、後世」といったところで、「病床」と訳せる余地はない。ここではヌレエフが身を置く場所なのだから、「後世」が適切だろう。

また、文字通りには「後世に移る」という意味の語句"passer à la postérité"は、転じて「後世に伝わる、後世に名を残す」というイディオムとなっている。これを踏まえると、プティが書いた"était installé dans la postérité"(後世に身を置いていた)は「後世でも語り継がれる」という意味だと推測できる。

「不在を埋めることができない」は飛躍がはなはだしい

祭典のとき起こったのは、"tout s'est trouvé à sa place d'une façon irréversible"。直訳は「後戻りできない方法ですべてがその場所で見つかった」。新倉真由美はこれを「彼の死が逃れようもない現実になり、誰もその不在を埋めることができないと悟った」と訳している。しかしプティのそのままの表現から当然のごとく新倉真由美のような解釈ができるとは、私には思えない。

私には文意が変わらないという確証がないまま文を大幅に書き換える図太さがないので、プティの表現をうかつに変えることはできない。しかし私にはプティの文は、直前の文の内容、つまりヌレエフの名が後世まで残るという事実が裏付けられたという意味に思える。この後続く「ダンサーたちや仲間に囲まれながら」とか「パリはこの芸術家の栄誉をこの上なく讃え」とか「伝説の人物のひとりとして承認させた」とかいう葬儀の描写から伝わってくるのは、喪失感ではなく満足感に見える。「後戻りできない方法で」(d'une façon irréversible)には、「ここまでされたヌレエフの栄光が消えることなどありえない」という感慨が込められているのだろう。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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