伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ヌレエフのミュージカルにベルジェが好意的とは限らない

『ヌレエフ』P.287:
六月にピエール・ベルジェと話しあったとき、彼は望むようにすると答えてくれました。
Meyer-Stabley原本:
J'en ai parlé en juin à Pierre Bergé qui m'a répondu de faire ce que je voulais.
Telperion訳:
6月にこのことについてピエール・ベルジェに話し、好きなようにしなさいという返答を得ました。

1989年にミュージカル「王様と私」への出演許可を当時のパリ・オペラ座最高責任者ピエール・ベルジェに求めたときのことを語るヌレエフ。

ベルジェの答えの厳密な訳

Pierre Bergéに付いている関係節"qui m'a répondu de faire ce que je voulais"は、「私が望むことをするようにと私に答えた」。ベルジェはヌレエフが望むことを自分がするのでなく、ヌレエフにするように言っている。

「君が望むことをしよう」と「君が望むようにしなさい」。どちらも承諾なのだから、大した違いはないように見えるかも知れない。なのに私が違いを取り上げるのは、これが1989年のヌレエフとベルジェのやりとりだから。当時の二人の状況を知っていると、「君が望むことをしよう」は嘘くさく聞こえるのだ。

同じ本にあるヌレエフとベルジェの対立の具体例

1989年にヌレエフとオペラ座の対立が深まったことは、この本の何か所かに書いてある。

  • P.286やP.288によると、ヌレエフがパリを離れて「王様と私」の北米公演に出かけたことがオペラ座で不興を買う。
  • P.290-291によると、ベルジェがジャン=アルベール・カルティエを使ってバレエ団の運営への介入を強め、ヌレエフがそれに反発する。もっとも、新倉真由美の書き方だと、ヌレエフがさらなる権力増大を謙虚に辞退したと読めなくもないが(「三日月クラシック」の記事より「P.291 総責任者と~」の項を参照)。
  • あげくに契約延長の条件が折り合わず、1989年11月にヌレエフの芸術監督契約終了が発表される。新倉本だとP.291。

そういうわけで、この年のヌレエフとベルジェの関係はきわめて緊迫していたと考えられる。

心からの承諾に見えてはおかしいベルジェの返答

そんなベルジェがヌレエフをアメリカに快く送り出すのは、ありそうに思えない。そう知っていても、「君が望むことををするように」という返答には納得が行く。この返答には「やりたければ好きにしろ、後でどうなっても知らないぞ」という苛立ちをこめることもできるのだから。

ところが、新倉真由美バージョンの返答は「私が君の望むようにしよう」なので、ベルジェがヌレエフを全面的にバックアップするという印象が強い。しかも新倉真由美は単に「答えました」でなく「答えてくれました」と書いているため、なおさらヌレエフとベルジェの関係が良好に見える。ヌレエフとベルジェの対立激化がかかれた最中に「望むようにすると答えてくれました」が割り込むのは、とても浮いている。

おまけ - 他の資料で書かれたベルジェの不満

ヌレエフとベルジェの対立は当時のNew York Times紙で何度か取り上げられている。パトリック・デュポンが次の芸術監督に決まったことを報じる1990年2月9日の記事に載ったベルジェの談話には、ヌレエフの度重なる不在にベルジェが抱いていた不快感が端的に表れていると思う。

Someone who is here eight months a year and works every day will be more important than someone who was there episodically.

1年のうち8か月ここにいて毎日働く人間のほうが、時たまそこにいた人間よりも重要になるでしょう。(Telperion訳)

''We do not object to paying him copyright fees,'' Mr. Berge said, ''but it is unreasonable for someone no longer at the Paris ballet to try to impose his wishes from a train in Anchorage, Tokyo or elsewhere.''

ベルジェ氏は語った。「著作権料を払うのに異論はありません。しかしパリのバレエ団にもういない人間がアンカレッジや東京や他の場所の列車から自分の希望を押し付けようとするのは不合理です」(Telperion訳)

また、うろおぼえだが、『パリ・オペラ座バレエ物語 夢の舞台とマチュー・ガニオ』(大村真理子著、阪急コミュニケーションズ、2009年刊)にも、ヌレエフが留守がちなのがベルジェの不興を買い、監督の契約更新なしという結果につながったという記載があったと思う。

更新履歴

2015/2/24
原本と新倉本の違いが重要な理由を詳しくする

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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