伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ヌレエフはプティにグラスを贈った

『密なる時』P.33:
彼はまた私の荷物を持つのを手伝ってくれたが、その手には「取扱い注意」と書かれ、しっかりと梱包された箱が抱えられていた。それは1ダースの大きな脚付きグラスで、散歩の途中にあるアンティークショップのウィンドウで見つけたとても思い出深いものだった。
プティ原本:
en plus de mes valises qu'il m'aidait à porter il avait à la main un paquet bien emballé sur lequel était écrit «fragile». C'était un cadeau souvenir, une douzaine de gros verres à pied que j'avais remarqués dans la vitrine d'un antiquaire au cours d'une de nos promenades.
Telperion訳:
運ぶのを手伝ってくれた私のスーツケースの他に、彼の手にあったのは、きちんと梱包され、「割れ物注意」と書かれた包みだった。それは記念の贈り物で、1ダースの大きな脚付きグラスだった。私たちが散歩の途中、骨董店のショー・ウィンドウにあるのに気付いたものだ。

ヌレエフとの初仕事である「失楽園」の初演後、ロンドンを発つプティを見送りに来たヌレエフ。

ヌレエフがプレゼントを持参したというほのめかしの数々

ヌレエフが持っているグラスの由来について、手掛かりを並べてみる。

  1. cadeauは「贈り物」で、souvenirは「記念品、お土産」。グラスは"cadeau souvenir"なので、誰かが記念にくれたプレゼントということになる。
  2. 引用した文の先を読み進めると、"cadeau souvenir"であるグラスをプティがその後ずっと持っていたことが分かる。ということは、プティが誰かに贈るためのものではない。誰かに贈られたもののはず。
  3. プティがグラスに気づいた散歩に、ヌレエフが共にいたということが、"nos promenade"(私たちの散歩)という言葉から分かる。
  4. プティとヌレエフは「失楽園」制作で初めて知り合ったので、件の散歩も最近の出来事。

つまり、グラスに気づいたプティが「あのグラス、素敵だね」とか言ったのをヌレエフが覚えていて、自分で買って別れの時に持ってきたのだろう。プティにそのグラスをプレゼントしようと思い立つために、ヌレエフは最も有利な立場にいた。プティが引用文の後もグラスについて語り続けるのももっともで、ヌレエフに無関係な所持品についてこの本で長々書くとは思えない。

グラスが贈り物に見えない新倉本

新倉本では、プティが1人でグラスを買い求め、ヌレエフは単にそれを運んだだけのよう。

  1. 「贈りもの」が訳されていない
  2. 散歩のとき他人と一緒だったと分かる書き方でない
  3. 「思い出深いものだった」という説明では、今回のロンドン滞在より前から持っているように聞こえる

プティがグラスのことを長々語ることから、かろうじて「もしかしてヌレエフゆかりの品で、単に運んでもらっただけではない?」と思いつくことはできるが、「きっとそうだ」と思える材料は新倉真由美の文にはない。

更新履歴

2014/6/20
小見出しと箇条書きを導入

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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