伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ポワントのダブル・フェッテができるのが世界に一人?

『密なる時』P.52-53:
「舞踊界において私は私以外の何者でもなく、ヌレエフでさえできなかったダブルフェッテ(注2)をポワント(爪先立ち)でできる世界で唯一のダンサーなのだ」
同P.65:
注2 ダブルフェッテ 片足の跳躍を利用してもう一方の足で行う回転技で、本来は男性ダンサーのみが行う超絶技巧。
プティ原本:
« Dans la danse je ne suis pas n'importe qui, je suis le seul danseur au monde à faire les fouettés doubles sur pointes*, même Noureev n'en fait pas autant. »
* Enchaînement de pirouettes sur une jambe, en utilisant l'élan de l'autre jambe, exercice réservé exclusivement aux ballerines.
Telperion訳:
「バレエにおいて私はどうでもいい人間ではなく、世界で唯一ポワントでダブルのフェッテ*をした男性ダンサーであり、ヌレエフすら同じことをしない」
* 片方の足の勢いを利用し、もう片方の足でする連続ピルエット。バレリーナ専用の運動。

ダンサー、ジャック・シャゾ(Jacques Chazot)がプティに語ったこと。

プティはポワントまで含めた言葉に注を付けた

新倉真由美は注が指すのがダブルフェッテ(les fouettés doubles)だけとしている。しかしプティの注マークは、doublesの後でなくpointesの後にある。つまりプティが注を入れた語句は、「ポワントでのダブル・フェッテ」(les fouettés doubles sur pointes)全体。

ポワントのダブル・フェッテは男性の技でなく女性の技

プティの注にある"exercice réservé exclusivement aux ballerines"の訳は、上に書いたとおり「バレリーナ専用の運動」。「男性ダンサー」や「本来」や「超絶技巧」に当たる単語はない。

実際、ポワント立ちはマリー・タリオーニが起源と言われ、今に至るまで女性の技で、男性がするのは異例のはず。ポワントでのダブル・フェッテがバレリーナ専用という記述にはうなずける。

ポワントのダブル・フェッテは男性がするからこそ特別

シャゾは自分をポワントでダブル・フェッテをする世界で唯一のdanseurと呼んでいる。このdanseurというフランス語は、場合によって次のいずれかを指す。

  1. 男女を問わないダンサー一般
  2. 男性ダンサーだけ

新倉真由美の「世界で唯一のダンサー」を読むと、男女合わせたすべてのダンサーの中でただ一人という意味に取りたくなる。でも、今ではオディールの連続フェッテの最中にダブル・フェッテを入れる女性ダンサーは珍しくない。数十年前はテクニックのレベルが今ほどでなかったにしても、ダブル・フェッテをできるのがシャゾだけだったというのは信じがたい。

しかし、もしシャゾの言うdanseurとは男性ダンサー限定だとすれば、確かにそんなことする酔狂な男性ダンサーはめったにいないだろうと思える。「ヌレエフですら」(même Noureev)の後に続く述語faitは「できる」でなく「する」なのにも注意したい。

プティはバレエ通を読者として想定しているらしく、技の説明はほとんどしない。なのにここに限って、ポワントのダブル・フェッテに注を付けた(新倉本にある他の技を説明する注は新倉真由美オリジナル)。恐らく「女性ダンサーだけの運動」と書き添えることで、シャゾが男性ダンサーとして自分のフェッテを自慢したと読者に理解させたかったのだろう。

男性だから特別という論点が消失した新倉本

日本語では「男性ダンサー」と明記しないと分からないところで新倉真由美が単に「ダンサー」と書いたのは、ありがちな不手際だろう。でも、プティがバレリーナ専用と書いたフェッテを「ダブル・フェッテは本来は男性ダンサーのみが行う超絶技巧」と書き換えたのは、ケアレスミスにはとても見えない。「シャゾは男女のダンサーの中でダブルフェッテができる唯一のダンサー」をもっともらしく見せるために、意図的にプティの注を打ち消したとしか思えない。

でも、「白鳥の湖」にせよ、「ドン・キホーテ」や「ラ・バヤデール」にせよ、フェッテは女性ダンサーの見せ場として登場する。新倉真由美が唱える「ダブルフェッテは本来は男性ダンサーのみが行う超絶技巧」という説に根拠はあるのか、私はとても疑っている。

自分の優位を誇る平易な表現

"n'importe qui"は「誰でも」「取るに足りない人」という2つの意味がある。ここでは「私は~でない」で使われるのだから、当然後者の意味だろう。新倉真由美の「私は私以外の何者でもなく」は哲学の話でもしているのかと思いたくなるが、実際のシャゾの言葉「私は取るに足らない人間ではない」は平易。

更新履歴

2015/2/24
新倉本の問題を単独の節で取り上げる

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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