伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ヌレエフがダコタのアパートに行くのがまれ?

『密なる時』P.69:
ヌレエフがニューヨークのダコタビルやヴァージニア州の農園やサンバースの邸宅を訪れたのはごく稀で語るに及ばず、人生最後の数年間は、ナポリ付近にあるマッシーニ家から買ったリ・ガリ島の家で過ごした。
プティ原本:
Sans parler de l'appartement du Dakota Building de New York, de sa ferme de Virginie, ou de la maison de Saint Barth que Noureev a visitée bien rarement et pour finir, dans les dernières années de sa vie, de l'îsle Li Galli qu'il acheta à la famille Massine près Naples.
Telperion訳:
ニューヨークのダコタ・ビルのアパート、ヴァージニア州の農場、またはヌレエフがほとんどめったに訪れなかったサン・バルトの家、そして最後に、晩年にナポリ近くでマシーン家から買ったリ・ガリの島については言うまでもない。

ヌレエフの不動産のうち、ロンドンとラ・チュルビーとパリのものについて比較的細かく書いた後。

語るに及ばないのはリ・ガリの家も同じ

"sans parler de ~"は「~は言うに及ばず」。deに続く名詞は以下の4つ。分かりやすさのために若干の修飾を省いた。

  1. l'appartement le Dakota Building de New York (ニューヨークのダコタ・ビルのアパート)
  2. sa ferme de Virginie (ヴァージニアの彼の農場)
  3. la maison de Saint Barth (サン・バルトの家)
  4. l'îsle Li Galli (リ・ガリ島)

新倉真由美はリ・ガリの家を別扱いにしているが、プティは上の4つをすべて同列に扱っている。その前に他の家(恐らくプティが馴染んでいるもの)に行数を割いたので、他の家については細かく書かないという意味だろう。

ダコダのアパートは訪問が多かった

純粋に文法だけを考えると、関係詞"que Noureev a visitée bien rarement"(ヌレエフが非常にまれに訪れた)が修飾するのは、最初3つの不動産すべてとも、直前にあるサン・バルト(フランスにおけるサン・バルテルミーの略称)の家だけとも考えられる。しかし『ヌレエフ』訳者あとがきで、新倉真由美は原本『Noureev』を『密なる時』翻訳の参考文献にしたと公言している。『Noureev』にはこう書いてある。

  • 長い関係になったロバート・トレイシーをダコタに住まわせた(訳本P.185に相当)
  • 同じくダコタ住人のレナード・バーンスタインと知り合っていた(訳本P.182、P.298に相当)

実際、大都市ニューヨークの名高いダコタなら、よく住むほうが自然。ヌレエフがほとんど訪れなかったのは、絶対にニューヨークのアパートではない。したがってサン・バルトの家だけということになる。

Massineは後世に名を残す振付家

「ーニ」で終わるイタリア語の苗字は、RossiniとかFelliniとかPolliniとか、iで終わるスペル。だからMassineの読みは「マッシーニ」ではないはず。もっとも、プティの本にMassineの説明はないので、この本だけ読むと単なるイタリアの不動産所有者と思うのはやむを得ない。しかし上記の『Noureev』を読めば、Massineの情報として「リ・ガリの元の持ち主」以外のことが書いてある。

  1. ファーストネームはLéonide(訳本P.193に相当)
  2. 振付家(訳本P.205に相当)
  3. バレエ・リュスの作品La Boutique Fantastiqueの作者(訳本P.247に相当)

これらを読めば、Massineとはバレエ・リュスのレオニード・マシーンだと分かるはず。なのに『ヌレエフ』でも相変わらずマシーンはイタリア人名のように書かれていることは、「三日月クラシック」の怪しい部分まとめ記事の「P.247 振付家は~」の項にあるとおり。

サン・バルトにあるのは邸宅でなく家

サン・バルトにヌレエフが持っていた家が「邸宅」と呼べるほど豪華でなかったらしいことは、記事「ヌレエフの海辺好きとサン・バルテルミーの家」で書いた。ヌレエフが持っているのだから豪華だろうという思い込みに無理はないし、そうでないことをプティの本や『Noureev』から悟るのは無理だと思うので、ここでの「邸宅」は単に運が悪い訳語選択だと思う。ただ、maisonは単なる「家、住居」であり、その家が豪華だとほのめかす言葉ではないので、一応取り上げておく。

更新履歴

2014/3/8
『Noureev』にある参考情報を目立たせる

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

カテゴリ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
タグ

マーゴ・フォンテーン エリック・ブルーン ノートルダム・ド・パリ パトリック・デュポン マリア・トールチーフ ミック・ジャガー 

全記事表示リンク

全ての記事を表示する