伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ヌレエフへの同意を保留したプティ

『密なる時』P.89:
ある日、彼は彼よりずっと若い少年少女たちとのレッスンを終えてスタジオの床に座っていた。跳躍しながら回る技巧で少し息があがってはいたが、最後まで踊りきった彼は少し休んだ後で私に近づいてきた。彼は執拗に私の目をまっすぐに見つめながら言った。
「ねえ、30年前に僕たちが初めて出会った時とまったく同じようにできたのが分かったでしょう」
私はそれが本当だと思った。
プティ原本:
Un jour, finissant l'entraînement après tout les garçons et filles plus jeunes que lui, s'asseyant sur le sol du studio, après un manège de coupés jetés, essoufflé mais appliqué jusqu'au bout, Rudolf après quelques secondes vint près de moi et me dit en me regardant droit dans les yeux avec insistance pour que j'entende sa vérité : « You see, I do it exactly like thirty years ago when we met*. »
* « Tu vois, j'y arrive exactement comme il y a trente ans quand nous nous sommes rencontrés. »
Telperion訳:
ある日、自分より若い男女全員の後でトレーニングを終え、スタジオの床に座り、クぺ・ジュテのマネージュの後で、息が切れながらも最後まで勤勉で、ルドルフは数秒後に私の近くに来て、まっすぐ私の目を見ながら、彼の真実を私に理解させるため、執拗に言った。「(英語で)分かったろう、君に会った30年前とまったく同じにやっているんだ」

病に冒されながらも踊り続けて抵抗するヌレエフ。「30年前にプティと初めて会った」という記述からも分かるが、このときのヌレエフはダンサーとしてかなり高齢で、肉体的に不利でもあった。

"pour que j'entende sa vérité"(私が彼の真実を理解するために)について、私が注意する点は2つ。

  • "pour que ~(接続法の節)"は、「~するために」という目的を指す。ヌレエフに目的があるからといって、目的が果たされたとは限らない。
  • ヌレエフがプティに理解させようとしたのは"sa vérité"(彼の真実)。ヌレエフの真実がプティの真実とは限らない。

プティは「ルドルフは自分が昔と同じにできると信じているのだ」と思いつつ、自分が賛同しているかは明かしていない。

ヌレエフはプティにほぼ英語で話す

この本でヌレエフがプティにかける言葉は、ほとんどが英語であり、フランス語はごくわずか。いかにも「普段は英語を(「三日月クラシック」の記事より「P.279 短く話す~」の項を参照)、時間のあるときにフランス語を話す」ヌレエフらしい。

プティが原本に付けた注のほとんどは、ヌレエフが話す英語のフランス語訳。フランス人向けに対訳を並べるという手間をかけてでも、ヌレエフ自身の言葉を載せたのだ。ちなみに『密なる時』にある注は、ほとんどが新倉真由美のオリジナル。

この英語を邦訳でどう表すかは悩みどころ。英語のまま残して注で日本語訳を載せるのが原本に忠実な方法だが、日本語文のなかの英文はフランス語の文中よりずっと浮いて見える。かといって、プティがわざわざヌレエフの言葉をそのまま書いているのに、それをなかったことのようにするのも気が引ける。最適な対処法は私にはまだ見つかっていない。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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