伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

不満足な練習の原因は観客への不誠実ではなかった

『密なる時』P.72:
そうやって彼はとにもかくにも舞台に立ち、まぎれもなく主役であることを自覚していた。観客たちはその尊大なパフォーマンスに大喝采を送り、彼らの偶像に対し、おそらく最後になるであろうスタンディングオベーションをするのだった。
事実、彼には何も残されていなかった。私はかなり後になってから、彼がその時、すでに体力に見放されているのを感じだし、初めて自信を失い懐疑的になっていたことを知った。
プティ原本:
Il était là sur scène et dansait maintenant n'importe comment, mais il était là et cela, pensait-il, était la principal, le public venait pour applaudir son arrogante performance et ovationner peut-être pour la dernière fois son idole.
En réalité, il n'en était rien. J'ai réalisé plus tard qu'il sentait ses forces l'abandonner et que pour la première fois il doutait de lui.
Telperion訳:
彼はまさに舞台にいて、今となってはどうにでも踊っていたが、彼はそこにいて、彼の考えではそれが肝心なことだった。観客が来るのは彼の傲慢な演技に拍手し、彼らのアイドルに恐らく最後の喝采を送るためなのだ。
実際にはそうではなかった。彼が自分の力に見放されるのを感じ、初めて自分を疑っていたことに、私は後で気が付いた。

1984年「ノートルダム・ド・パリ」ニューヨーク公演でヌレエフの練習ぶりにはなはだ不満だったプティ。この文の前にプティは「軽蔑の表現でないのか自問するに至った」や「多分私を挑発する意図があった」と書いている。

ヌレエフについての悪い想像を否定したプティ

2番目の段落冒頭の文"il n'en était rien"は、イディオム"Il n'en est rien."(それは本当ではない)を直説法半過去の時制で書いたもの。仏和辞書でrienを引けば、"Il n'en est rien."は載っている。時制が直説法半過去なのは昔の出来事だから。

「実際にはそれは本当ではなかった」から、その前に書かれているヌレエフや観客についての描写は、今のプティにとって事実ではないことが分かる。プティがこの前でも後でもヌレエフの内心を探っていることから、プティが当時憶測したことだと推測できる。

「彼が主役である」でなく「それが肝心である」

1番目の段落にある"cela, pensait-il, était la principal, "は、「彼は"cela ist la principal,"と考えていた」。"il pensait"(彼は考えていた)がpensait-ilという倒置文になり、考えの内容を書いた文の中に挿入されるのは、フランス語ではよくある表現。考えの内容が"cela était la principal,"でなく"cela ist la principal,"なのは、高校英語でいう「間接話法の時制の一致」による。

"cela ist la principal,"について、新倉真由美の訳が妥当でない点は2つ。

  1. celaは直前に書かれたことを指す代名詞。「彼」という訳はそぐわない。
  2. ここでのprincipalは名詞なので、意味は「要点、肝心なこと」。principal単体では「主役」という意味にならない。

観客の振る舞いもヌレエフの内心に含まれる

"cela était la principal,"の後に続く、"le public"からピリオドまでの文「観客が彼に喝采しに来た」は、pensait-il(彼が考えていた)に含まれているのかどうか、文法的には判断が難しい。以下の理由から、私は含まれていると思う。

  1. 原文は"le public venait pour ~"(観客は~するために来た)。 applaudir(拍手喝采する)やovationner(喝采を送る)という動詞は、観客が公演に来る目的なのだから、確実な事実として提示するのは不可能であり、どうしても推測の要素が入る。新倉真由美は「するために来た」を無視し、さも実際の出来事のように書いているが。
  2. プティは公演前の稽古を描写しながらこの文を書いている。まだ本番は始まっていない。原文venait(来た)が直説法半過去の時制なのは、高校英語でいう「間接話法の時制の一致」によるもので、ヌレエフの実際の考えは「観客は~するために来る」。
  3. すぐ前の「肝心なのはヌレエフが舞台にいること」とこの「観客はヌレエフに喝采しに来た」はどちらも、ヌレエフの踊りの出来は二の次というわけで、ヌレエフが稽古に不熱心になる理由になりえる。どちらもプティが「こんなことを考えているのではあるまいな」と勘繰る内容として無理がない。

更新履歴

2016/5/11
「それが肝心なことである」の項の拡張など

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

カテゴリ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
タグ

マーゴ・フォンテーン エリック・ブルーン ノートルダム・ド・パリ パトリック・デュポン マリア・トールチーフ ミック・ジャガー 

全記事表示リンク

全ての記事を表示する