伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

非難されているのはヌレエフの振付

『ヌレエフ』P.278-279:
「彼はバレエ団の能力を、限界に来ている自分自身の可能性に利用したのです」
「彼は言葉での説明と言うステップを飛ばして何もかも詰め込もうとしました。フランス的なやり方を破壊したのです」
Meyer-Stabley原本:
« Il adapte les possibilités de la troupe aux siennes, qui sont maintenant limitées, insinue une étoile. Il surcharge tout en supprimant des pas du vocabulaire. Il détruit le style français. »
Telperion訳:
あるエトワールはほのめかす。「今や限定された自分の能力にバレエ団の能力を合わせている。ボキャブラリーのステップを取り去り、すべてを詰め込み過ぎる。フランスのスタイルを破壊している」

この談話はヌレエフの振付が非難されたという文の次に来るので、振付批判の具体例だと最初から予想できる。

ボキャブラリーとは

仏和辞書にあるvocabulaireの意味は、「語彙、言葉づかい、専門用語、用語辞典」といったところで、これだけだと引用文での意味は私には分からない。しかし、バレエをろくに知らない私でも、バレエ関連の文をいろいろ読むうちに、どうやらvocabulaireは振付に関連して使われる専門用語らしいと分かってきた。

Meyer-Stabley本
「クラシック作品の中に民族的なステップを取り入れた」(訳本P.271)に相当する原文"transposeront ces pas folkloriques dans le vocabulaire classique."で、振付にかかわる言葉としてvocabulaireが使われている。
『Nureyev: His Life』(Diane Solway著)や『Nureyev: The Life』(Julie Kavanagh著)
仏語vocabulaireに相当する英語vocabularyを振付に関連する記述で見かける。どうやら、振付でよく使われる動きのパターン集という意味で使われているように見える。
google検索
「ボキャブラリー 振付」を検索したら、たくさんの用例が出てきた。

上の引用文でも、vocabulaireは「(振付の)ボキャブラリー」という意味で使われていると見て間違いない。仏和辞書にある本来の意味を見ても、vocabulaireは「言葉での説明」と言い換えられる言葉ではない。

振付は音声を伴わないのだから、「言葉での説明を飛ばす」は振付への非難ではあり得ない。新倉真由美の訳だと第2文以降は、ヌレエフが振付を教えるときの態度を別人が非難しているかのように見える。

しかし、原本ではすべて同じエトワールによる発言。非難の対象も最初から最後まで振付そのものだと思われる。

バレエ団の能力とヌレエフの能力

siennesは英語のhisに相当する「彼のもの」。前に出た言葉の言い換えとして使われる。siennesの前に"les possibilités de la troupe"(バレエ団の能力)とあるので、siennesはここでは「彼の能力」となる。possibilitéの訳語として「可能性」もあるが、もしそれを採用するなら、「バレエ団の可能性」「彼の可能性」とそろえなければならない。

"adapter A à B"は「~に適合させる」。バレエ団の能力をヌレエフの能力に合わせる、そしてヌレエフの能力が今限定されているということから、このエトワールが第1文で言いたいのは、「自分の能力が落ちたものだから、バレエ団にまで低レベルなことをやらせる」なのだろう。「利用する」はadapterから導き出せる訳語ではないと思う。

2014/2/25
箇条書きを導入

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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