伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ワガノワ入学の際の問題

『ヌレエフ』P.44:
どんなに巧みにこなしても、入学するには二、三年練習が必要だったかもしれない。
Meyer-Stabley原本:
Si doué soit-il, peut-il encore en deux, trois ans de cours entrer dans le moule de l'école ?
Telperion訳:
どんなに天分があっても、2~3年の授業でまだ学校の型に収まれるだろうか?

ワガノワの入学試験を受けるまでこぎつけたヌレエフの前に立ちはだかる困難。peut-il以降の疑問文は「彼はまだ授業の2、3年で学校の型に収まることができるだろうか?」。

「学校の型に収まる(entrer dans le moule de l'école)」とは「入学する」で、「授業の2、3年(deux, trois ans de cours)」とは入学するための練習なのだろうか?しかし直前の文に書かれているとおり、17歳のヌレエフは一般的なワガノワ入学の年齢をすでに大幅に超えている。「今から2~3年練習して入学する」は、「できるだろうか」と書くには、不可能なのがあまりに明白過ぎる。新倉真由美は原文を「2~3年練習していれば、入学できたのだろうか?」と解釈し、訳本のように言い換えたように見える。しかしそれなら「入学前の2~3年の練習」は現実に反する仮定なのだから、条件法で書くはず。しかし原文の時制は直説法。現実と違うことを想像するのではなく、可能性の有無を真剣に検討する疑問文なのだ。

  • 原文は「学校に入る」でなく「学校の型に入る」。
  • cours(授業、課程)は自分1人でできる練習ではなく、誰かに教わることを指している。(だから仏和辞書でcoursの意味として、「練習」は載っていないほうが普通らしい。)
  • 学校の型に入るのは可能かも知れない。

これらを考え合わせると、「学校の型に収まる」とは、「学校独自のスタイル、方法論を身に付ける」だという解釈が浮かんでくる。coursとは入学後に受ける授業で、「今から学校で2~3年授業を受けて、教わったことを身に付けることができるのか?」なら、実現可能性を検討することは十分に可能。実際、ヌレエフがワガノワに入学を許可される前に、まさにこの点が教師たちの間で議論されたはず。

なお、"Si doué soit-il"(どんなに天分があっても)の述語以降は"être doué"(天分がある)。入学試験での出来にとどまらない、ヌレエフの持つ資質について言っている。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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