伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

課外授業としてヌレエフを見たデュポン

『ヌレエフ』P.220:
妙技の羅列のみならずクラシックバレエの卓越した技巧を披露した彼は、瞳に微笑みをたたえ“皆さんアンコールをお望みですか?”とでも言いたげだった。
Meyer-Stabley原本:
Une leçon de brio, mais aussi de maîtrise de la danse classique, avec, dans les yeux et le sourire, un je-ne-sais-quoi de royal et divin à la fois qui semblait dire : « Pauvres mortels, en voulez-vous encore ? »
Telperion訳:
名人芸のレッスンだが、同じように古典バレエの自制のレッスンでもあり、目と微笑みの中に、王者らしくもあり神のようでもある名状しがたいものがのぞいており、こう言っているかのようだった。「哀れな人間たちよ、再びこれを望むのか?」

「眠りの森の美女」第三幕のヴァリアシオンを踊った後のヌレエフ。この感想を抱いたのは恐らくパトリック・デュポン。私がそう推測した理由は後で書く。

原文無視が過ぎる点 - ヌレエフの表情

ヌレエフの目と微笑みの中にある"un je-ne-sais-quoi"(名状しがたいもの)とは、royal(王の)であり、divin(神の)であり、そして"pauvres mortels,"(哀れな人間たちよ)と呼びかけているかのよう。微笑んでこそいても、ヌレエフの表情の中にはとてつもなく尊大なものがあったことがうかがえる。これらの形容からは、愛想よく「アンコールをお望みですか?」と問いかけるエンターテイナーの面影を見ることはとても無理。mortelは「死すべき運命の」という形容詞でもあるが、「哀れな死すべき人間」と呼びかけられて「皆さん」と呼ばれるのと同じように感じる人がいるのか疑問。原文で描かれるヌレエフの様子と、新倉真由美が書くところのヌレエフの様子の共通点は、笑みがあることだけだと思う。

引っかかった点

1. encoreは「アンコール」か

最後の"en voulez-vous encore"の直訳は「君たち(あなた方)は再びそれを望むのか」。ここでの「それ」(en)が指すのはヌレエフが見せたばかりの踊りだろうから、「アンコールを望むのか」と同じ意味と言えなくもない。私が自分の訳で「アンコール」という言葉を避けた理由は、以下の2点。

  • encoreは日本語の「アンコール」の語源ではあるが、フランス語のencoreは「まだ、再び」。フランス語で「アンコール」に相当するのはbis。
  • 「哀れな人間たちよ、~を望むのか」という文に「アンコール」という言葉を当てはめるのはそぐわない気がする。

2. maîtriseは「卓越した技巧」か

maîtriseは「制御、自制、すぐれた技量」という意味もある。ただ、ここでは「brio(名人芸)のみならずmaîtriseもある」と言っているので、maîtriseを「すぐれた技量」としてしまうと、同じものを2つ挙げて「こればかりでなくあれもある」と言っていることになり、変な文になる。一応maîtriseには"de la danse classique"が付いているが、2つの同じものを別物のように言っているという事態はほとんど変わらない。ここではmaîtriseの訳語として「制御」とか「自制」とかにしたほうが、直前で書かれている踊りの最中の技巧がbrio、最後の静止がmaîtriseなのだと無理なく読める。

デュポンの自伝との関係

原本でleçon(レッスン)という言葉が出るのはかなり奇異に思えるかも知れない。その疑問を解く鍵は、引用部分の少し前にある。

Meyer-Stabley原本:
Patrick Dupond se souvient dans ses mémoires d'une Belle au bois dormant à Paris en 1973 :
『ヌレエフ』P.220:
パトリック・デュポンは一九七三年パリでの“眠れる森の美女”公演の思い出を語った。

新倉真由美が省略した"dans ses mémoires"(彼の回想録で)から、Meyer-Stableyはデュポンの自伝『Étoile』から引用していることが分かる。明確に括弧で囲まれた引用は直後の一文だけだが、その後に続く第三幕のヴァリアシオンの描写全部が『Étoile』をもとにしていることは、たやすく想像が付く。そこで邦訳『パリのエトワール』(林修訳、新書館)を読むと、当時パリ・オペラ座付属バレエ学校の生徒だったデュポンを、教師ミシェル・ルノーがクラス全員とともにフォンテーンとヌレエフの全幕公演に連れて行ったことが書いてある。この鑑賞はバレエの勉強の一環だと知れば、leçonという言葉はまったく不思議でない。

『パリのエトワール』は『Étoile』をそのまま訳してはいないことは、訳者あとがきで明記されている。邦訳での省略がかなり多いことは、ページ数の差からうかがえる。実際、ヌレエフの偉そうな態度は邦訳には書かれていない。しかし次の一文からは、「妙技のレッスンばかりか自制のレッスン」という原文の面影を感じ取ることができる。

ダンスの輝き、ダンスのコントロールとはまさにこのことだ。

brioには「はつらつさ、快活さ」という意味もある。

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プロフィール

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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