伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ブルーン逝去より前に決まったニューヨーク公演

『ヌレエフ』P.262:
悲嘆にくれていたルドルフのもとに、元気を回復させる二つの朗報が舞い込んだ。それは同年七月メトロポリタンオペラ劇場で行われるガラ公演でのバリシニコフとの共演と、パリ・オペラ座バレエ団のアメリカ公演の知らせだった。
一九八四年のニューヨーク公演以来の
(以下は原本で引用外の文なので略)
Meyer-Stabley原本:
Rudolf, très affecté, a cependant deux occasions de se réjouir : l'annonce d'une apparition en commun avec Barichnikov pour un gala sur la scène du Metropolitan Opera en juillet de la même année, prélude à la tournée aux États-Unis (la première depuis 1948 à New York) du Ballet de l'Opéra de Paris.
Telperion訳:
しかし、深く悲しんだルドルフには、喜びを覚える2つの機会があった。同年7月にガラでメトロポリタン・オペラの舞台にバリシニコフとともに立つことと、それを前触れとするパリ・オペラ座バレエのアメリカ・ツアー(ニューヨークで1948年以来初めて)の発表である。

1986年4月1日にエリック・ブルーンが逝去したことを述べた直後の文。

ヌレエフは知らされたのでなく知らせた側

アメリカ公演の知らせを「嬉しくなる2つの機会があった」(a deux occasions de se réjouir)を「二つの朗報が舞い込んだ」と言い換えてもよいのは、知らされた相手がヌレエフの場合に限られる。しかし次の2つの理由で、私はこの仮定が誤りだと思う。

ヌレエフは知らせを受け取るべき立場にいない
ヌレエフとバリシニコフの合同ガラも、ヌレエフが監督として率いるパリ・オペラ座バレエのツアーも、ヌレエフの意志があって初めて決まること。誰かが取り決めた後でヌレエフがそれを聞かされたという新倉真由美の言い分は、もっともらしく聞こえない。ヌレエフは知らせる側にいるほうが当然。
ヌレエフが実際に知らせる側に立ったという報道の存在
1986年4月1日のNew York Times紙の記事の無料プレビューによると、その前日にヌレエフとバリシニコフの2人は共同ガラの開催を発表した。パリ・オペラ座バレエのツアーもこのとき明らかになっている。Meyer-Stableyの言うところのl'annonce(知らせ、発表)はこの発表のことだろう。

Announcing the gala yesterday, the two ballet stars said details of the program had not yet been worked out.

昨日ガラの告知を行った二人のバレエ・スターは、プログラムの詳細案はまだ出ていないと述べた。(Telperion訳)

原文からはアナウンスの対象がヌレエフだとは断定できない。「知らせはヌレエフにもたらされた」という仮定が正しくないと通用しない「朗報」に書き換えるより、原文の「嬉しくなる2つの機会」をそのままにしておくほうが無難だったろう。

悲嘆のピークは恐らく発表の後

原文では発表を「喜ぶ機会」 (occasions de se réjouir)と呼んでいる。公演発表がブルーンの逝去前という事実を知っていると、「ブルーンの死の直前だから悲嘆にくれている。それでも公演のことを考えると嬉しかったのだろう」と受け取ることができる。

しかし新倉真由美は「喜ぶ」を「元気を回復させる」と言い換えた。新倉真由美が言うところの「朗報が舞い込んだ」のは、ヌレエフが報道陣に向けて公演を発表するより前だから、やはりブルーンが生きている間のことになる。その時点でもうヌレエフの元気が回復するとは思えない。知らせがブルーンの死後だという仮定に頼って不必要に表現を書き換えるべきではなかった。

ガラでのヌレエフとバリシニコフ

「バリシニコフとの共演」という言葉は不適切とまでは言えないが、補足説明がいるかも知れない。1986年7月10日のNew York Times紙の記事には、ヌレエフとバリシニコフが共に出演したニューヨークのガラ公演について、こう書かれている(長いので原文はリンク元に譲る)。

ヌレエフとバリシニコフが共に踊ると本当に期待した人がいたら、踊りとはどういうものかをかなり自由に定義していない限り、失望したことだろう。
ロシアで訓練された古典ダンサーである偉大な2人は、実際に文字通り手を取り合い(レスリー・キャロンとともに)、どちらもトワイラ・サープ版の"Push Comes to Shove"に顔を出した。しかし大半は、それぞれ自分の地盤に居続けた。(Telperion訳)

Meyer-Stableyが"une apparition en commun avec Barichnikov"(バリシニコフと共同の出現)という言葉を選んだのが、そのことを知った上でのことかどうかは、私には分からない。ただ、apparitionという言葉自体に踊りとか演技とかいう意味はないのは確かなので、一応厳密に訳しておいた。

2014/2/3
フランス語説明の簡略化
2014/10/14
l'annonceが公演発表だという断定を弱める

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

カテゴリ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
タグ

マーゴ・フォンテーン エリック・ブルーン ノートルダム・ド・パリ パトリック・デュポン マリア・トールチーフ ミック・ジャガー 

全記事表示リンク

全ての記事を表示する