伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

祈りを馬鹿にはしていないMeyer-Stabley

『ヌレエフ』P.16:
金に値する価値があったのは、祈りの言葉でなくジャガイモだった。
Meyer-Stabley原本:
ces pommes de terre valent leur pesant d'or, pour ne pas dire leur pesant de prières.
Telperion訳:
このじゃがいもは、祈りに値するとは言わないが、金に値するものだった。

いつも空腹だった幼いヌレエフが、キリスト教徒の老婆がくれる食べ物欲しさに、自分の家の宗教でないキリスト教の祈りの言葉を唱えたことについて。

2つのイディオム

  1. "valoir son pesant d'or"は「高価である、貴重である」。文字通りの意味は「その金の重さの価値がある」といったところだと思う。pesantは「重い」などの意味を持つ形容詞だが、このイディオムでのみ名詞として扱われるらしいので、ここでは「重さ」とした。
  2. "pour ne pas dir ~"は「~と言うのが悪ければ」。穏当なことを言う前置きとして、話し手が必ずしも賛成しない極端なことを挙げるときに使う。

祈りをじゃがいもや金より上に置くMeyer-Stabley

Meyer-Stableyがじゃがいもと同じ価値があるものとして挙げた、穏当な表現と極端な表現は次のとおり。

  1. 極端な物言いは、"pour ne pas dir"に続く"leur pesant de prières"(祈りの重さ)
  2. 穏当な物言いは"pour ne pas dir"の前にある"leur pesant d'or"(金の重さ)

老婆とヌレエフの間で行われたのは、じゃがいもと祈りの言葉の取引だった。取引が成立したのだから、少なくともヌレエフにとって「じゃがいもには祈りと同じ価値があった」と言える。しかし宗教心の強い人たちには、この言い方や2人の行為が冒涜的に映ることもあるだろう。だからMeyer-Stableyは、じゃがいもと祈りを同じ価値だと呼ぶのは不穏当だと認め、「金と同じ価値があった」というフランス語では普通の慣用句に言い換えている。

祈りをじゃがいもや金より下に置く新倉真由美

新倉真由美の訳では、「じゃがいもには金に値する価値があるが、祈りの言葉にはない」と、祈りの言葉をじゃがいもや金よりはっきり下に置いている。Meyer-Stableyは「じゃがいもには祈りに値する価値がある」すら不穏当で極端だと見なしているのに、「祈りにはじゃがいもや金に値する価値がない」と書くわけがない。

2014/2/3
小見出しや箇条書きの導入を中心に書き換え

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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