伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ダンサーたちの気に障った監督ヌレエフの契約

『ヌレエフ』P.258:
組合は想像を絶する伝説的な二重のいわゆるヌレエフ契約が、常に彼らとのコミュニケーション無しに交わされることに我慢ならなかった。同時に彼の毎月のサラリーや出演料が引き上げられることや、税金の免除などにも腹を立てていた。
Meyer-Stabley原本:
les syndicats ne digèrent pas qu'on ne leur ait toujours pas communiqué un double du prétendu fabuleux contrat de Noureev. Ils s'irritent à la fois du montant de son salaire mensuel, des primes qu'il touche pour chaque mise en scène, d'un accord qui prévoirait une exonération fiscale et du fait que la clause d'essai d'un an ne lui soit pas appliquée.
Telperion訳:
組合は想像を絶すると言われるヌレエフの契約の写しをいつも渡されるわけではないことに我慢ならなかった。同時に、彼の月給の総額、公演のたびに受け取る手当、税の免除を予想させる合意、そして1年の試用の条項が彼に適用されないという事実にいら立った。

ヌレエフがパリ・オペラ座バレエの監督に就任した初期、ダンサーたちの組合がヌレエフの契約に抱いていた不満について。新倉真由美はいろいろ省略しているが、ここでは訳された部分についてのみ書く。

「伝説的ないわゆる」でなく「伝説的だと言われる」

prétendu(称されている)は、本当かどうか疑わしいことを指して使われる。ここでは直後のfabuleux(想像を絶する、伝説の)について言っている。恐らくヌレエフの契約の正確な内容は外部に知られておらず、Meyer-Stableyは断言を避けるためprétenduを付けたのだろう。

新倉真由美はprétenduが"contrat de Noureev"(ヌレエフの契約)を指すと考えたらしい。しかしそれには問題が2つある。

  1. たとえ詳細が不明でも、ヌレエフの契約は確かに存在した。prétenduが付くと、実際には契約がなかったという疑惑があるように聞こえる。
  2. 新倉真由美の訳「いわゆるヌレエフ契約」は、「世間ではヌレエフ契約と呼ばれているもの」という意味に聞こえる。しかしprétenduに「世間で広くこう呼ばれている」という意味はない。

「二重の契約」でなく「契約の写し」

doubleは形容詞「二重の」の場合もあるが、ここでは名詞だということが次の2点から分かる。

  1. doubleの前に冠詞unが付いている。
  2. doubleの直後に"du prétendu fabuleux contrat de Noureev"(想像を絶すると言われるヌレエフの契約の)がある。doubleがcontrat(契約)を修飾する形容詞なら、間にdu(~の)は挟まらない。

doubleにはいろいろな意味があるが、契約のdoubleが組合に伝えられないという文脈に合うのは「写し、コピー」。

「サラリーが引き上げられること」でなく「サラリーの総額」

名詞montantの意味は「総額」。montantは場合によっては「上昇する」という意味の形容詞だが、それでも名詞が「上昇すること」という意味にはならない。

更新履歴

2014/1/20
小見出しを付与、第1項の後半を追記、第3項を簡略化

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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