伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ヌレエフとクララ・サンの「石の花」鑑賞

『ヌレエフ』P.87:
二日後の夜、ルドルフはキーロフのバレエを見せるためにクララをオペラ座に連れて行った。作品は彼の好きなプロコフィエフの“石の花”だったが彼自身は出演していなかった。クララは数人の友人を連れボックス席に座っていた。
Meyer-Stabley原本:
Deux soirs après leur rencontre, Rudolf emmène d'ailleurs Clara à l'Opéra afin de voir le ballet du Kirov qu'il préfère : La Fleur de pierre de Prokofiev, dans lequel il ne danse pas lui-même. Ils prennent place dans une loge réservée. Clara a amené des amis.
Telperion訳:
その上、出会い後2晩にわたり、ルドルフはお気に入りのキーロフのバレエを見るために、クララをオペラ座に連れて行った。プロコフィエフの「石の花」で、彼自身は踊らない。二人は予約したボックス席に座った。クララは友人たちを連れてきていた。

キーロフ・バレエの一員としてのパリ・ツアーで、後にヌレエフの亡命の立役者となるクララ・サンと交流を深めるヌレエフ。

新倉真由美訳の誤り

  1. 前置詞après(~の後に)にあるのは"Deux soirs"(二晩)でなく"leur rencontre"(彼らの出会い)。"Deux soirs après leur rencontre"は「二日後の夜」でなく「出会いの後に二晩」。
  2. 「彼らは席に座った」(Ils prennent place)は「ヌレエフがクララを連れ出した」という文の次にあるので、彼らとはヌレエフとクララだと分かる。まだクララの友人たちは話題になっていない。
  3. まずクララが友人たちを連れてきて、その後でクララとヌレエフが座ったことが、時制の違いから分かる。
    • 「彼らが座った」の述語prennentの時制は直説法現在
    • 「連れてきていた」の述語"a amené"の時制は直説法複合過去

新倉真由美の文の不自然な点

1. いつから2日後の夜なのかが分からない

この引用文の直前の文は、「ルドルフはクララを慰めるために寄り添い片時も離れなかった」。実は積極的に相手のそばにいたのはクララだが(「三日月クラシック」の記事より「P.87 ルドルフは~」の項を参照)、ここで重要なのは、特定の日時についての文でないということ。それなら、「二日後の夜」とはいつの2日後なのだろうか。「離れなかった」の文の前には、(1961年の)5月27日にクララの婚約者が交通事故で死亡したと書かれている。しかし婚約者に死なれて2日後の女性をバレエに連れ出すとは信じがたい。

2. ヌレエフとクララが同じボックス席だったのか分かりにくい

この後で「休憩時間になるとキーロフの首脳陣たちがルドルフを呼びつけ、非難した」とあるので、ヌレエフはクララとともにバレエを見ていたのだろうとは思える。しかし「クララはボックス席に座っていた」は、ヌレエフがいなかったような書き方なので、読んでいてすっきりしない。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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