伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

戦前は順調に暮らしていた父

『ヌレエフ』P.13:
薄給だった父親は、スターリンが少数民族の軍幹部を更迭したため大尉から降格された。
Meyer-Stabley原本:
Son père (dont la solde était misérable) sera cassé de son grade de capitaine après la guerre, lorsque Staline décidera de limoger de l'armée tous les cadres appartenant à des minorités ethniques. Mais en cette année 1938, l'Union soviétique de Staline lui semble providentielle.
Telperion訳:
父(その俸給は雀の涙だった)は、戦後スターリンが軍から少数民族の幹部を全員更迭することを決意したとき、大尉の位から降格されることになる。しかしこの1938年、父にとってスターリンのソ連は神の摂理に思えた。

ヌレエフが生まれた1938年当時の父ハメットについて。

ハメットはまだ降格されていない

ハメットが降格されるのが1938年より後なのは、原本では以下のことから分かる。

  1. 「(スターリンが)決意する」(décidera)と「(ハメットが)降格される」(sera cassé)の時制が直説法単純未来。つまりこれらは未来の出来事
  2. ハメットが大尉に昇進するのは第二次世界大戦中
  3. スターリンが更迭を決意するのは戦後(après la guerre)。文脈的に第二次世界大戦が終結した1945年以後

1938年のハメットが恵まれた環境にいたことは、原本でははっきりと書かれている。なのに新倉真由美はその文も、降格がまだ先のことだという言及も消してしまった。

ハメットの経歴を何度もみじめに描く新倉真由美

ハメットの経歴についての新倉真由美の扱いが不審なのは、ここだけではない。

これだけ積み重なると、新倉真由美は「ハメットは共産主義に期待したものの裏切られ、みじめな暮らしを送った」と信じているのではないかという疑いが湧いてくる。第二次大戦前のヌレエフ一家がささやかな幸せを満喫していたことは、レストランで息子の誕生を祝ったり(訳本P.12)、息子が映画館に忍び込んだり(訳本P.14)しているという描写からもうかがえるのだが。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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