伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

郵便局に並ぶ理由の強引な改変

『ヌレエフ』P.280:
その後二番目の娘のリリアと彼女の夫と孫と共にウーファで二部屋にぎゅうぎゅう詰め込まれ、電話も置かず慎ましい年金で暮らしていた。ルドルフはできるだけ多く送金をしていたが、ソビエト政府はその半分を搾取していた。受け取りのため彼女はリューマチで効かない体で、郵便局に列をなして並んだ。
Meyer-Stabley原本:
Elle vit ensuite de sa maigre retraite avec sa deuxième fille Lilia, le mari de celle-ci et sa petite-fille. Ils s'entassent dans un deux pièces à Oufa. Farida, on l'a vu, ne dispose pas du téléphone. Percluse de rhumatismes, elle doit faire la queue à la poste. Rudolf lui envoie le plus d'argent qu'il peut mais le gouvernement soviétique en prélève la moitié.
Telperion訳:
その後は乏しい年金で次女リリア、その夫と娘とともに生活した。皆はウーファの2部屋のアパルトマンに詰め込まれた。すでに述べたとおり、ファリダは電話を持っていない。リューマチで動かない体で郵便局で並ばなければならない。ルドルフはできる限り多額の金を母に送ったが、ソ連政府はその半分を天引きした。

ヌレエフの母ファリダがソ連で送った苦しい生活について。

金を受け取るため列に並ぶという話はまったくない

原文では「ファリダは電話を持っていない」の次に「郵便局で並ばなければならない」と続く。だから列に並ぶのは電話を使うためだと推測できる。ところが新倉真由美は大なたを振るった。おかげで、列に並ぶ理由が電話のためとは、新倉本からは絶対に分からない。

  1. 「電話も置かず」を「乏しい年金で暮らした」の前に移動
  2. 「郵便局で並んだ」云々の文とその後の「ヌレエフが多額の送金をし、その半分が政府に横取りされた」の順序を入れ替え
  3. 原文にない「受け取りのために」を「郵便局で並んだ」の文に追加

「原本からは並ぶ理由が送金受け取りに見えない!こんな悪文は修正するのが翻訳者の使命!」くらいに思い込まなければ、ここまでの改変はできないのではないのか。なぜそうまでしてファリダが並ぶ理由を送金受け取りのためだと誘導するのか、見当がつかない。

電話がないことは前にも書いていた

"on l'a vu"は文字通りには「人がすでにそれを見た」だが、前に書いたことをまた取り上げる場合に使われる言葉。実際、ファリダが電話を持っていないことは、第13章に書いてある。

『ヌレエフ』P.223:
ファリダは電話をかけられず
Meyer-Stabley原本:
Farida n'a jamais pu obtenir le téléphone
Telperion訳:
ファリダは決して電話を入手できず

新倉本ではファリダが単なる機械オンチとも受け取れる。「知ってのとおりファリダは電話を持っていない」だった場合、読者は「はて、電話がないなんて書いてあったっけ」ととまどったかも知れない。

更新履歴

2016/5/13
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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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