伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

お騒がせスターの称号 - カラスからヌレエフへ

『ヌレエフ』P.164:
平手打ちをし、怒りや不満をわめきちらし地面をのた打ち回るルドルフは、マスコミの妄想をあれこれ駆り立てた。彼は群舞ダンサーたちの恐怖の的となり、話題に事欠かなかった。
Meyer-Stabley原本:
L'image d'un « Rimbaud des steppes » se construit au fil de ces années 1960, en même temps que se retire de la scène l'autre grande star de l'époque, Callas la tigresse, Callas la capricieuse, Callas la tapageuse. L'image de la star qui gifle, qui tempête et se roule par terre fait fantasmer les médias. Rudolf sera donc la terreur des corps de ballet et fera recette dans ce répertoire-là.
Telperion訳:
「ステップのランボー」というイメージは1960年代に作られたが、これは当時のもう一人の大スターである雌虎カラス、気まぐれカラス、お騒がせカラスが舞台から退くのと同時期のことである。平手打ちをし、わめき散らし、地面を転げ回るスターのイメージはマスコミに幻想を抱かせた。それゆえ、ルドルフはコールドバレエの恐怖となり、このレパートリーで大当たりを取ることになる。

Meyer-Stableyがヌレエフの「スター」の面、つまり気まぐれと傍若無人さを示すエピソードをいろいろ挙げた後の文。訳本ではエピソードを省略してあるので、直前の文は記事「記者をからかうヌレエフをMeyer-Stableyがどう見たか」に載せた文になっている。

Meyer-Stableyの原文を読むと、ヌレエフにわがままスターのイメージが付いたのは、その前に同様のイメージでマスコミに人気だったマリア・カラスの影響が大きいと語っていることが分かる。カラスが表舞台を去った後でマスコミが次なる逸材を探しているところにヌレエフが現れ、すかさず第2のカラスに仕立て上げられたというわけ。fantasmer(幻想を抱く)は現実でないことを空想するということ。「スターのイメージがマスコミに幻想を抱かせる」とは、マスコミがヌレエフの実像を見るより、自分たちの脳内にあるわがままスターのイメージをヌレエフに投影したということだろう。「スターのイメージ」がヌレエフの実像そのままだとしたら、マスコミが幻想を抱く余地がなくなってしまう。

「平手打ちをし、わめき散らし、地面を転げ回るスターのイメージ」は、実際のマリア・カラスとも、マリア・カラスが体現したスターのイメージの簡潔な描写とも取れる。カラスが実際に地面を転げ回ったかどうかははっきりしない、その程度のラフな描写だと思う。ましてやヌレエフが実際に地面を転げ回ったとは言い切れない。もっとも、平手打ちどなりつけるのは実際にしているわけで、「スターのイメージ」が実際のヌレエフからかけ離れているわけでもないのだが。

新倉真由美の文からはマリア・カラスがきれいに消え去り、ひたすらヌレエフがわがまま勝手ということになった。「妄想をあれこれ駆り立てた」も、具体的にどういう妄想なのか分からない。訳本の出版に当たって原文の一部が省略されること自体は珍しくないらしいが、これは要約と呼ぶに値しないと思う。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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