伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ヌレエフの好きな身なり

『ヌレエフ』P.221:
白か茶色のブーツ、ズボン、ロシア将校が着るような折り返しと金色のボタンのついた上着、白いキャスケット、肩にかけられたタータンチェックのマフラー、マリア・カラスが着そうなワイルドに見える豪華なコート…。
Meyer-Stabley原本:
bottes blanches ou fauves (il ne chausse que des bottes cavalières et en possède une trentaine de paires de toutes les couleurs), pantalon et veste blanche à parements et boutons dorés de préférence, tels qu'en portaient les officiers du tsar, casquette blanche, écharpe écossaise et, jeté sur une épaule, un somptueux manteau de vison sauvage, semblable à celui de Maria Callas. Il lui faut au moins deux malles pour loger sa garde-robe.
Telperion訳:
白または黄褐色のブーツ(履くのは乗馬用ブーツだけで、あらゆる色のものを30足ほど持っていた)、ロシア皇帝の将校が身に付けていたもののような、折り返しと好みの金色のボタンがついたズボンと白い上着、白いキャスケット、タータンチェックの肩掛け、そして片方の肩に投げかけた、マリア・カラスのものに似ている野生のミンクの豪華なコート。衣服を収めるには少なくとも2つの大型トランクが必要だった。

コートの描写

素材

visonは「ミンク」。sauvageはコートの材料としてのミンクを描写する言葉なので、「野生の」が最も自然。新倉真由美が"de vison sauvage"を「ワイルドに見える」としたのは、visonをvision(光景)と間違え、それに合いそうな言葉をsauvageの訳語に当てた「ワイルドな光景の」の言い換えなのだろう。

マリア・カラスのコートとの関連

"semblable à celui de Maria Callas"は「マリア・カラスのそれに似ている」。ヌレエフのコートと似たコートをマリア・カラスは実際に着ているのだろう。原文でのコートの描写は「野生のミンクで豪華」という想像しやすいものなので、カラスのコートと似ているという判定は下しやすいはず。

列挙の区切

原文はヌレエフの好きな服装を"A, B, C, ... et D"という形で列挙している。このとき、列挙するものをコンマで区切って並べていき、最後のものを挙げる前にだけ、コンマの代わりにetを使うのがフランス語のお約束。原文の場合、最後のetは、"écharpe écossaise"(タータンチェックの肩掛け)と"un somptueux manteau"(豪華なコート)の間にある。このことから言えることは2つある。

  1. 肩にかけたのはマフラーでなくコート
    "jeté sur une épaule"(ひとつの肩に投げかけられた)は、最後の区切となるetの後に書かれている。つまり、この語句が修飾するのは、etの前で挙げられたécharpe(マフラー、肩掛け)ではなく、etの後で挙げられたmanteau(コート)。
  2. ズボンにも折り返しとボタンがある
    "pantalon et veste blanche"(ズボンと白い上着)にあるetは、列挙の途中にあるので、列挙するものを区切る役割を持たない。コンマとコンマの間にある、"pantalon et veste blanche à parements et boutons dorés de préférence"という長い語句は、全部ひっくるめて一つの列挙。つまり、"à parements (中略) de préférence"(折り返しと好みの金色のボタンがある)は、その前の"pantalon et veste blanche"を両方とも修飾する。なお、blanche(白い)は単数形の形容詞なので、直前のvesteのみ修飾する。

2番目について少し補足。欧米の男性がズボンを履くのは当たり前で、ヌレエフに固有なことではない。ズボンの特徴まで書くことで、初めてヌレエフならではのファッションと見なすことができる。

私の訳の不確かさ

好みなのはボタンだけか

"de préférence"(好みの)が指すのは、直前の"boutons dorés"(金色のボタン)だけでなく、その前のparements(折り返し)も含まれるかも知れない。私には判断が付かなかった。

écharpeの意味

écharpeは仏和辞書には「スカーフ、マフラー、肩掛け」と載っているが、このうちどれが適切かは、ヌレエフの写真をいろいろ見ないと分からない。私は「肩掛け」を選んだが、確信はない。

2012/11/9
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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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