伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

エリック・ブルーンが名声先行?

『ヌレエフ』P.183:
彼はルドルフの名声によって実力以上に評価されたように感じたと思います。突然富を手に入れ華々しい功績を築き、著名人に囲まれたのですから。
Meyer-Stabley原本:
Il s'est senti dépassé par la célébrité de Rudolf, sa soudaine excessive richesse, tout le sillage de glamour et de jet-set qui l'entourait.
Telperion訳:
ルドルフの名声に、彼が突然得たありあまる富に、輝かしさと彼を囲むジェット族の足跡全部に追い越されたと感じていたのです。

ソニア・アロワによる1970年代のエリック・ブルーン評。

ブルーンを追い越したもの

  1. 文の最初の"Il s'est senti dépassé"は「彼は自分が追い越されたと感じた」。
  2. 次に来る前置詞parは、受動態の動作主を示す「~によって」。英語で過去分詞の直後のbyが受動態の動作主を指すのと同じ。
  3. parの後に来る名詞句は、彼すなわちブルーンを追い越したもの。名詞句は3つある。
    1. la célébrité de Rudolf (ルドルフの名声)
    2. sa soudaine excessive richesse (彼の突然のありあまる富)
    3. tout le sillage de glamour et de jet-set qui l'entourait (彼の輝かしさ、そして彼を囲んでいたジェット族の軌跡すべて)

このうち、はっきり"de Rudolf"(ルドルフの)と書かれているのは最初の名声だけ。しかしこれらは同列に並んでいるので、富も足跡もすべてヌレエフにまつわるものだと推測できる。

「ヌレエフの名声や富や足跡にブルーンが追い越される」とは、ヌレエフと比較してブルーンの影が薄くなったことだというのは、この文を読むだけで想像できることだと思う。実際にそういう見方は可能だということは、新倉本P.151-152でも触れられている。

新倉真由美の文の真実味の低さ

原本と訳本を比較すると、新倉真由美は自分の訳を作るために以下のように解釈したのが分かる。

  1. dépasserの意味は「実力以上に評価する」
  2. parは受動態の動作主でなく手段や理由を示す
  3. 富や足跡の形容に含まれる代名詞(sa,l')が指すのはブルーン

私から見ると、dépasserの解釈は苦しいし、過去分詞の直後に来るparの用法も異例。しかしそれにもまして問題なのは、新倉真由美の文がまるでもっともらしくないということ。「ブルーンがヌレエフのおかげで実力以上に評価された」「ブルーンが富を得た」「ブルーンが著名人に囲まれた」と思える記述は、新倉本の他の個所にも原本にもない。ブルーンが時代の寵児になったことがないのは否定できない事実のはず。私は仏和辞書にも現実にも沿わない訳文に説得力を感じない。

更新履歴

2014/6/8
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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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