伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ロバート・トレイシーとの関係に固執したわけではない

『ヌレエフ』P.186:
ダンサーは信じがたい性的欲望のためそれを容認しなかったが、彼は“もはやセックスではなく優しさを”と告げた。
Meyer-Stabley原本:
« De la tendresse, mais plus de sexe », annonce-t-il, tant il désapprouve l'incroyable promiscuité sexuelle du danseur.
Telperion訳:
「優しいが、それよりセックスだ」と彼は告げた。それほどまでにダンサーの信じがたい性的乱交に反対だった。

ヌレエフと長年の関係があったロバート・トレイシーが、性的関係をもう持たないことにしたという記述の直後。

容認しなかったのはトレイシー

tant(それほどまでに)の後の文は、「主語 + 述語 + 目的語」という至ってシンプルな構文。

  • 主語はil(彼)
  • 述語はdésapprouve(反対した)
  • 目的語は"l'incroyable promiscuité sexuelle du danseur"(ダンサーの信じがたい性的な混雑状態

前の文とのつながりから、彼とはトレイシー。ダンサーつまりヌレエフは、トレイシーに駄目出しされた側。

欲望の大きさより相手の多さが問題

仏和辞書にあるpromiscuitéの意味は「雑居状態、混雑」。この場合は不特定多数との関係を指すのだろう。トレイシーがエイズを恐れたことは出版本にあるとおりだが、性的欲望が激しくても、相手が特定の少数ならHIV感染のリスクは少ないのだから。

トレイシーからの非難

tendresse(優しさ)の前にある"de la"は非可算の女性名詞に付く部分冠詞で、特に訳出すべき意味はない。"plus de ~(無冠詞名詞)"は「より多くの~」で、ここでの比較対象は前にある「優しさ」だろう。「優しさよりセックスのほうが多い」はヌレエフへの不満の内容を指しているように思える。

更新履歴

2012/9/20
promiscuitéについての記述を中心に加筆
2014/2/2
小見出し導入を中心に書き換え

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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