伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

パリで買った舞台用のかつら

『ヌレエフ』P.102:
アルブレヒト役を踊るときにパリで注文した鬘はなくしてしまった。それはくるくるカールした金髪だったのでマリリン・モンローのようだと大笑いされた。
Meyer-Stabley原本:
Il a perdu aussi une perruque commandée à Paris pour tenir le rôle d'Albrecht dans Giselle (cette perruque si blonde et si bouclée qu'il l'avait baptisée en riant « Marilyn Monroe »).
Telperion訳:
「ジゼル」のアルブレヒト役を演じるためにパリで注文したかつらも失った(このかつらはあまりに金髪であまりにカールしていたので、笑いながら「マリリン・モンロー」と名付けていた)。

"en riant"は文"il l'avait baptisée « Marilyn Monroe »"(彼はそれに「マリリン・モンロー」という名を付けた)を修飾するジェロンディフ。ジェロンディフの意味合いは「~だから」「~しながら」「~することにより」などいろいろあるが、ここでは「笑いながら」が最も自然な意味かと思う。かつらにあだ名をつけ、笑っていた「彼」(il)とは、かつらを失った本人であるヌレエフ。それに、この引用部分は亡命を決行したヌレエフの心中を描いた長文の一部なので、「彼」がヌレエフ以外の誰かを指す可能性はまずない。

かつらを使う公演

これから書くのは、訳本についての指摘というより、補足説明のようなもの。

『Nureyev: The Life』(Julie Kavanagh著)によると、このアルブレヒト用のかつらはキーロフ・バレエの次の公演場所であるロンドンで使うためのもの。言われてみれば、キーロフ・バレエのパリでの演目として挙げられたのは、「ラ・バヤデール」や「白鳥の湖」などロシア・バレエばかり。「ジゼル」発祥の地フランスで他国のバレエ団が「ジゼル」を公演するのは物議をかもしそうなので、わざわざリスクを冒さなかったのだろう。ヌレエフは亡命翌年の1962年2月21日にフォンテーンと「ジゼル」で初共演するが、『Nureyev: His Life』(Diane Solway著)を読む限り、ヌレエフが西側で初めてアルブレヒトを踊ったのはこのときだったように見える。

訳本の「アルブレヒト役を踊るときにパリで注文した」は「ヌレエフはパリでアルブレヒト役も踊った」と読めるのが微妙に気にかかる。原文の"pour tenir"(演じるために)なら、「踊るときに」と違ってそういう印象は持たないのだが。とはいえ、微妙な違いなので、他の読者も訳本から同じ誤解をするはずとまでは言えない。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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