伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2015.06.16
ブログ公開3周年
2015.06.06
王室は任命の実権を持たない

ブログ公開3周年

今日で3周年を迎えました。でも最近はろくに更新していなくて、歯がゆい気持ちです。1月から長引いていた咳と3月の花粉症のダブルコンボに会い、しばらくはとても文章を書けない状態だったのが発端でした。復調した後も、崩れた記事書きリズムを立て直すのはなかなか難しい。そろそろ他のことにも目を向けたいし、3冊それぞれに指摘記事作成には困難があります。でも、まだできることは少しはありそうです。

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』指摘の課題

記事を書く困難さ

年明けと6月の節目記事でいつも書いているとおり、「私の解釈のほうが正しいという確証が足りない」「取り上げるには小さすぎないか」という迷いが原因で記事にしていない個所の多さにじりじりしています。

原文をすべて辞書で調べるほどの気力を持てないのも心残りです。原文と新倉真由美の文を読み比べたとき、構文解析が正しそうで、新倉文に矛盾が見られなくても、新倉文が正しい訳だとは言い切れません。frileux(寒さに弱い)をfurieux(怒り狂った)と読み違えただけでとんでもない誤訳になる例もあるので。ああいうのを見過ごしていなければいいのですが。

今できそうなこと

ブログで取り上げている3冊のうち、実力が及ぶ限りのことはしたと一番思えるのがこの本です。今後するのは、ボツ箱カテゴリ向き(新倉文はどう見てもおかしいが、正しい訳を確定できない)に少し追加するとか、記事にするに足る問題だと思い直した個所を取り上げるくらいでしょうか。

『ヌレエフとの密なる時』指摘の課題

記事を書く困難さ

プティの原文が難しくて、どういう意味だか見当が付かない個所がいくつもあります。そういう個所は新倉訳を読んでも、「原文をこう解釈するのはとても無理があるけど」と思いますが、それだけで記事にはできません。

今できそうなこと

目下のところぜひともやりたいのは、初期記事の書き直し。内容を端的に説明した見出しを付けるだけでも、斜め読みで要点をつかみやすくなりそうな記事は、あちこちにあります。この種の書き直しのとき投稿日は変更しないので、新着記事にはなりませんが。

他2冊だと「取り上げるには小さすぎないか」と迷う誤訳でも、『密なる時』なら記事にしていいかも知れません。原本はとても薄い本だし、私が意味をしっかり理解できる個所は限られます。すべて書いても、大して煩雑にはならないでしょう。

『バッキンガム宮殿の日常生活』指摘の課題

記事を書く困難さ

これはヌレエフ本2冊と違い、記事にできるくらい大きな誤訳がいくらでもあります。最近更新が伸び悩んでいる理由は、投稿リズムが崩れた以外には2つ。

  1. ヌレエフ本の記事を圧倒する量にしないためには、ヌレエフ本にあれば取り上げた誤訳でも、見送る必要がある。選別はとてもストレスがたまる作業。
  2. ヌレエフ本と違い、英国王室本は何冊も現役出版中。英国王室について熱心に知りたい読者がフランス人の著作『バッキンガム』を選ぶ確率は、ヌレエフについて知りたい読者が『ヌレエフ』を読む確率より低い。私の記事の必要性も落ちるはず。
  3. 『バッキンガム』で意味が破綻した個所は『ヌレエフ」を上回る。私の記事を読まなくても、この本が信用ならないと気づく読者はかなりいそう。

今できそうなこと

でも、今の記事数74では、あの本のお話にならない品質を書ききれていないとは思います。あと数十増やしても、ヌレエフ本指摘記事の存在感は薄れないでしょう。ま、今は波に乗れなくて苦労しているので、数十増えるか分かりませんが。

記事数を増やすなら考えなければならないのは、記事のカテゴリ分け。どう分ければいいか頭を悩ませています。細分化し過ぎても煩雑だし、大ざっぱ過ぎても参考にならないし。

王室は任命の実権を持たない

『バッキンガム』P.73:
王室の遠隔操作による首相や知事など高級官僚の任命には、女王の手にキスをするという特別な計らいが伴っている。
Meyer-Stabley原本:
La nomination d'un haut fonctionnaire, depuis le Premier ministre jusqu'au gouverneur général d'un des lointains dominions de la couronne, s'accampagne d'une faveur, celle de baiser la main de la reine.
Telperion訳:
総理大臣からはるか遠くの英連邦加盟国の総督に至るまで、上級公務員の任命には、女王の手にキスをするという好意が伴う。

女王の公務とイギリス政府がどうかかわるかについての説明から。

新倉真由美の文の不自然な点

1. 王室が任命を操作?

イギリスは「君臨すれども統治せず」の元祖。現在、女王は行政機関が下した決定を追認することが多く、行政に自ら指図はしない。そのことは原本に散々書かれているし、王室本を読むほどイギリスに興味がない人でも耳にしたことは多いはず。しかし新倉本の「操作による」からは、誰が任命されるべきかまで王室が指図している印象を受ける。現状にそぐわない。

2. 女王が任命現場にいるのに「遠隔」?

「任命には、女王の手にキスをするという好意が伴う」という文から、任命の場で官僚が女王の手にキスをすると分かる。任命を宣言する文を読み上げるのも、恐らく女王なのだろう。これを「遠隔」と呼ぶのは解せない。

dominionは操作でなく加盟国

新倉訳の「遠隔操作による」に相当する原文の語句は"d'un des lointains dominions"。ラルース仏語辞典にあるdominionの定義は次のとおり。

Nom donné aux États indépendants membres du Commonwealth.
英連邦に加盟する独立国に与えられた名前。(Telperion訳)

原文にあるCommonwealthは英語で、日本語訳は「英連邦」。その加盟国とは、オーストラリアやニュージーランドといった国々。"d'un des lointains dominions"は「最も遠くの英連邦加盟国の」となる。

dominionは学習用の仏和辞典に載るような単語ではないだろう。でも、ラルース仏語辞典の他に仏語wikipediaにもdominionの項はある。決して調べが付かない単語ではないと思う。

gouverneur généralは知事でなく総督

先ほどの「最も遠くの英連邦加盟国の」が修飾しているのは"gouverneur général"。ラルース仏語辞典や仏語wikipediaに項がない分、難易度はdominionより高い。でも調べる手段はある。

出典1. 英和辞典

イギリスの役職と予想されることから、仏単語を英単語に直した"governor general"を英和辞典で引いてみる。「ジーニアス英和大辞典」にはこうあった。

  1. 《主に英》(英連邦・英国植民地の)総督
  2. (副知事・副長官など補佐役のいる大地域の)知事、長官

Meyer-Stableyの原文ラルース仏語辞典によるdominionの定義にはCommonwealth(英連邦)という英単語もあるのだから、"gouverneur général"は1番目の意味だと簡単に推測できる。

出典2. イギリス王室サイト

Meyer-Stabley原本に参考資料としてURLが載っているイギリス王室サイトは、実に情報豊富。このサイトで"governor general"を検索すると、あちこちで見つかる。たとえば、オーストラリアの"Governor-General"の説明はこう始まる。

The Governor-General is The Queen's representative in Australia. As such, he or she performs the same constitutional role in Australia as The Queen does in the United Kingdom.

総督とはオーストラリアにおける女王の代理人である。女王が連合王国で果たすのと同じ制度上の役割を果たす。(Telperion訳)

オーストラリアだけでなく、多く(すべてかも)の英連邦加盟国に一人のGovernor-Generalがいる。イギリスの行政に関する日本語の文献を漁れば、日本語でこの役職が「総督」と呼ばれていることが分かる。

総督職は実権こそないが高位

たとえばオーストラリアの政治や外交について語るとき、総督の言動は話題にならない。総督とは女王と同じく、実権のない名誉職なのだろう。とはいえ、「知事」から想像できるよりずっと高い役職だと思う。任命時に女王の手に接吻することを許されるのも納得できる。

更新履歴

2014/6/12
英単語Commonwealthは引用したMeyer-Stableyの原文にはなかったので修正
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プロフィール

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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