伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2015.03.30
皇太后の帽子について会社が公言したのではない
2015.03.23
ラテン語の名文句を強引にフランス語扱い
2015.03.16
ロイズは王室儀式中止保険を提供する
2015.03.08
見落とされたロイヤル・ミューズ統率者の存在
2015.03.05
礼儀作法の重圧ばかりを書き立てるつもりはない原著者

皇太后の帽子について会社が公言したのではない

『バッキンガム』P.208:
「皇太后が花やリボンやパールや羽根やチュールで飾り立て、クリスマスツリーのような帽子をかぶっていない姿を想像できますか?」
これはフレデリック・フォックス社とシモーヌ・マーマン社に言われたことだ。
Meyer-Stabley原本:
Peut-on imaginer la reine mère sans ses chapeaux fleuris, débauches de rubans, perles, plumes et tulle qui, au dire de certains, ressemblent à des arbres de Noël ? Deux adresses pour les confectionner : Frederick Fox (169, Sloane Street) et Simone Mirman (11, West Hackin Street).
Telperion訳:
花柄でおびただしいリボンやパールや羽根やチュールが付き、クリスマス・ツリーに似ていると言う人もいる帽子をかぶっていない皇太后を想像できるだろうか? これらを作るための住所は2つある。フレデリック・フォックス(スローン・ストリート169)とシモーヌ・ミルマン(ウェスト・ハッキン・ストリート11)である。

王族のファッションとひいきのデザイナーを記述した部分から。

会社が皇太后の帽子を公然と小馬鹿にする不自然さ

私がここの原文を読む気になったのは、「批判的な文は新倉真由美が創作した可能性があるのでとりあえず確認」という方針に従ったため。「~で飾り立て」とか「クリスマスツリーのような」とかは、帽子をかぶっている本人に面と向かって言える表現ではないと思う。

でもそれ以外に、こう発言したのが2つの会社だという新倉真由美の説明への違和感もある。人の帽子への感想を会社が自社の意見として表明する局面はそうはないだろう。私に考えられる状況はせいぜいこれくらい。

  1. 2社はマスコミ
  2. 従業員の内輪話を新倉真由美が大げさに社全体の意見扱いした

Frederick FoxもSimone Mirmanもマスコミではないので(2人については後述)、1番目の選択肢は消える。2番目の可能性は、ずさんで困ったことではある。でも新倉真由美が本当にしたことほどではない。

帽子を描写したのは原著者

皇太后の派手な帽子について書いた第1文は、原文では括弧に囲まれていない。当然、原著者Meyer-Stabley自身による文だと受け取れる。「皇太后はいつも派手な帽子をかぶっている」という説明を反語の疑問文として表現しているのだろう。ところが新倉真由美はこの文を角括弧で囲み、誰かが言ったことをMeyer-Stableyが書き写したかのように見せている。

確かに新倉真由美は、日本語の角括弧に当たる原文の«と»の見方が非常に雑。『ヌレエフ』でも、閉じ括弧»があるのに気付かなかったり(「マリア・トールチーフの談話がロゼラ・ハイタワーのものに」や「談話の語り手も範囲も間違い」を参照)、«と»で囲まれた引用文を地の文のように描いたり(「三日月クラシック」の原文比較5より「P.80 一二〇名のダンサーたちは~」を参照)。

それにしても原文にない左右の括弧が見えたつもりになるのは不注意が過ぎる。Meyer-Stableyが«と»をつけ忘れたと思って意図的に日本語文に「」を足したという可能性すら考えてしまう。

2つの名前は帽子制作者のもの

原文の第2文はコロンで前後に分かれている。こういう風にコロンが使われるのは、コロンの直前に話題にしたことをコロンの後で説明するため。

コロン前の文法説明

コロン前にある"Deux adresses pour les confectionner"(それらを作るための2つの住所)は主語と動詞を備えた文ではなく、名詞句。英語だと"two addresses to make them"。

  1. addressは中心となる名詞で、意味は「住所」、または「器用さ、巧妙さ」。
  2. confectionnerは他動詞の原形で、意味は「作る」。
  3. lesは動詞confectionnerの直前にあり、名詞を修飾していない。だから動詞の直接目的語である代名詞「それらを」だと分かる。
  4. pourは前置詞。ここでは「~のために」という意味だとつじつまが合う。

皇太后の帽子について書いた直後にこうあるのだから、「それら」とは帽子のことだろう。

説明したいのは業者の住所

コロンの後には2つの人名と住所が挙がった。

  1. Frederick Fox (169, Sloane Street)
  2. Simone Mirman (11, West Hackin Street)

次の理由から、これは帽子の制作者とその住所だと推定できる。

  1. 「帽子を作るための2つの住所」の説明として2つの具体的な住所が出た
  2. 周囲で王族の服のデザイナーを説明しているという文脈とも合う
  3. Telegraph紙に載ったFrederick Foxの訃報Simone Mirmanの訃報に、二人ともmilliner(婦人帽子屋)だったとあるし、顧客としてQueen Mother(皇太后)などの王族も挙がっている。

新倉真由美はadresses(住所)を「言われたこと」としたらしい。仏和辞書を引き、具体的な住所が続くのを見た後で、「住所」以外の意味を思いつくほうが難しいのに。帽子の描写を引用の«と»が囲むと信じるあまり、その思い込みに合わせてadressesの意味を創作したのだろうか。

人名を社名に変えたことに根拠はあるのか

Frederick FoxもSimone Mirmanも、原文では名前だけなのに、新倉真由美は「フレデリック・フォックス社とシモーヌ・マーマン社」と会社扱いしている。世を去って久しい帽子デザイナーのことは私には調べがつかないが、上の訃報を読む限り、2人は個人として店を経営していた可能性を無視できない。架空の名前ではないのだから、手を加えるならまずそれでも正しいという確証を得るべき。でも新倉真由美が確証を握った上で「社」を追加したのか、私は非常に疑っている。新倉真由美の文からは、2「社」が帽子を販売していることすら分からないのだから。

原本のミス - 通りの名前

二人の帽子デザイナーの住所は最後の部分しか書いていないが、バッキンガム宮殿があるロンドンにある可能性が最も高い。でもgoogleマップで"West Hackin Street"を検索すると、ロンドンの"West Halkin Street"が検索結果として提示される。googleで"West Hackin Street"を検索しても、ヒットするのは原本『La vie quotidienne à Buckingham Palace sous Elisabeth II』からの引用だけ。正しい住所は"West Halkin Street"なのだろう。

ラテン語の名文句を強引にフランス語扱い

『バッキンガム』P.133:
危険な噂話がある。
Meyer-Stabley原本:
Alea jacta est.
Telperion訳:
賽(さい)は投げられた。

子どもの頃から馬術に打ち込んでいたアン王女が競技大会でその才能を発揮するようになったことを述べた段落にある文。

一向に説明されない噂話

新倉真由美の文があからさまに変な点は、危険な噂話が何なのかがこの後も明かされないということ。アン王女が馬術の大会に出場したのは公の事実。Meyer-Stableyが同じ段落で書くことも、タブロイドより信頼性が高いメディアで普通に取り上げられそうなことばかり。

  • 競技のために進学をあきらめた
  • オリンピックでチームの一員として勝利した
  • 競技が縁で(最初の夫となる)マーク・フィリップスと知り合った

どこが危険な噂話なのか、まったく腑に落ちない。

原文はジュリアス・シーザーが発したとされるラテン語

2つの理由から、原文はフランス語でないことが強く疑われる。

  1. 正しい文法のフランス語として解析するのがとても無理
  2. イタリックで書かれている

イタリックはいろいろな意味で使われるので、それだけで非フランス語だとは決めつけられない。でもこのようにフランス語としては変な文がイタリックで書かれていれば、外国語の可能性を考えていい。

1980年代以前なら、"Alea jacta est."がどこの言葉で何という意味かを探すのは大変な作業だったろう。でも2010年代の今は、googleで検索するだけで、あっという間に答えが出る。

日本語訳「さいは投げられた」に聞き覚えがある人は多いだろう。趣味を優雅に楽しむのに飽き足らず、厳しい競技の世界に飛び込んだアンの覚悟を表すために、Meyer-Stableyは勝負に出たシーザーの言葉を引いた。

無理やりフランス語として読もうとしても破綻する

仏和辞書には、原文の単語3つを思わせる単語がいくつかある。

aléa
偶然、運、危険性
jacter
[口語]話す、しゃべる
est
être(英語のbeに相当する動詞)の直説法現在の三人称単数の活用形。英語のisに相当。

これを見ると、新倉真由美は「危険性」「話す」「~がある(estはこの意味を持つこともある)」を適当に書き換えながら組み合わせ、文を創作したらしいと想像できる。jactaを「噂話」としたらしいのは、飛躍の最たるもの。フランス語でjactaはjacterの直説法単純過去の三人称単数活用形。派生名詞jactaなる単語はラルース仏語辞典にすらない。

『バッキンガム宮殿の日常生活』が昔の翻訳本なら、外国語だと見当をつけてもその先に進めないこともあったろう。調べがつかずに破れかぶれになった訳者に同情したり、ほほえましく思ってもいい。でも『バッキンガム』はgoogleやwikipediaが栄える2011年出版。強引な創作を大目に見るべき事情はない。

ロイズは王室儀式中止保険を提供する

『バッキンガム』P.71:
ロイド社は大きな公式セレモニーの中止に備え、定期的にコマーシャルやホテル経営者やテレビ番組に保険をかけている。戴冠式の折に安全警備にかけられた額は少なかった。
Meyer-Stabley原本:
La compagnie Lloyd's assure ainsi régulièrement commerçants, hôteliers et chaînes de télévision contre l'annulation de grands cérémonies royales. Au moment de son couronnement, la cote de la prime sur la police d'assurance était bon marché ;
Telperion訳:
だからロイズ社は定期的に、商人やホテル経営者やテレビのチャンネルを相手に、大規模な王室儀式の中止に対する保険を引き受ける。戴冠式の時点では、保険証券の保険料の相場は非常に安かった。

女王の健康状態に細心の注意が払われる様子を述べた部分から。この引用の後には次の文が続く。

言い換えればロイド社の専門家たちは女王のヴァイタリティに賭けたのだ。

ロイズは保険業を営むというのが大前提

新倉真由美の文から思い浮かぶロイド社は、ホテルやテレビ局を傘下に収め、警備を手掛ける巨大多角企業といったところだろうか。でもあいにく、Lloyd'sは保険会社と同じサービスを提供する組織だということは、ちょっと調べれば分かる。ロイズはホテル経営者などに保険をかけたり、安全警備にかける費用を決めたりする立場にない。

保険に関する文で「ロイド社」を見てロイズを思い出す人なら、新倉真由美の文にかなりの違和感を覚えるはず。王室の機構や日常が詳しく書かれた本を読もうという『バッキンガム』読者には、イギリス全般についても知識がある人が比較的多いのではないかと私は思う。

ロイズは王室儀式中止の折には保険金を支払う

保険をかけるのではなく引き受ける

最初の文の述語の動詞assurerには、保険関連の意味が2つある。ラルース仏和辞典での説明とともに紹介する。

動作主が保険契約者
意味は「~に保険をかける」
Faire garantir un bien, une personne par un contrat d'assurance ;
保険契約によって財産や人を保証させる (Telperion訳)
動作主が保険業者
意味は「~を保険で保証する」
couvrir quelqu'un, quelque chose en tant qu'assureur :
保険業者としてある人や物を保護する (Telperion訳)

この場合、ロイズは保険業者なので、assurerは2番目の意味。

ホテル経営者などはロイズの顧客

最初の文の目的語、つまりロイズが保証する相手は"commerçants, hôteliers et chaînes de télévision"(商人、ホテル経営者、およびテレビのチャンネル)。三者のうちホテル経営者は、王室儀式が中止になると大損害を被りうる立場にあるということが最も分かりやすい。商人やテレビチャンネルも同様の立場にあると考えられる。

ロイズがこれらの業者を保証するとは、王室儀式が中止になったときに保険金を支払い、儀式を当てにした加入者の損害を軽減するということ。

警備費用をけちるのでなく保険料を安くする

2番目の文もやはり保険の話をしていることが、2つの保険用語から分かる。

la police d'assurance (保険証券)
仏和辞書に載っている用語。一見すると、「保障の警察」と訳せなくもない。新倉真由美が「安全警備」と言い出したのはそのせいだろう。しかし前の文の述語assurerの関連語assuranceが使われているのだから、やはり保険用語だと疑うべきだった。
prime (掛金、保険料)
仏和辞書にもある意味で、ラルース仏和辞典では最初に載っている。

前の文とのつながりから、ここで話題にしている保険とは、戴冠式が中止になったときに支払われる保険だと推測できる。その掛金が安価だったのは、保険金を支払う事態にはならないから安い保険料でも黒字になるとロイズが見込んだから。だから「ロイズの専門家たちは女王の生命力に賭けた」と言い換えることができる。

新倉真由美は「保険証券の掛金の相場」(la cote de la prime sur la police d'assurance)を「安全警備にかけられた額」とした。「安全警備の費用が少なかった」の後に「女王のバイタリティにかけた」が続くため、ロイズは「女王はバイタリティがあるから、テロがあっても大事には至らないだろう」と考えて警備の金を惜しんだように見える。何とも無責任な警備会社扱い。

見落とされたロイヤル・ミューズ統率者の存在

『バッキンガム』P.139:
そこで働くスタッフたちは宮殿内で働く人たちとは違う格付けがあり、一般の廷臣よりはずっと上で王室の廷臣より下の階級に属している。管理するのはロイヤル・ミューズである。
Meyer-Stabley原本:
Le personnel qui y travaille a son propre ordre de préséances, différent de celui du palais ; il est placé sous les ordres de l'écuyer de la couronne, au rang bien supérieur à celui des écuyers ordinaires. Il dirige les Royal Mews.
Telperion訳:
そこで働く職員には、宮殿とは異なる独自の優先順位がある。普通の侍従よりずっと地位が高い冠侍従の指揮下にいる。彼がロイヤル・ミューズを率いる。

王室厩舎で働く人々について。

厩舎職員が一般廷臣より上という不思議さ

新倉真由美の文を読んで、私が変に思った個所は2つある。

1. 厩舎の職員が一般の廷臣より上?
廷臣に含まれる職の範囲はよく分からないが、宮殿で王族に対面しながら働く職員は当然含まれるはず。それより王家の馬や車を世話する職員のほうがずっと上とは信じがたい。
2. イギリスの廷臣はすべて王室の廷臣では?
新倉真由美によると、一般の廷臣と王室の廷臣は別もの。でも、王家に仕える廷臣はみな、王室の廷臣と呼べるのではないのか。

「王室の廷臣」とは王族に直接仕える廷臣、「一般の廷臣」とは王族とまったく会わない廷臣だとこじつけることもできるかも知れない。でも新倉真由美の文なのだから、さっさと原文を読んだほうが効率的。

厩舎職員はある一人の下につく

引用した部分のうち、最も大事なのはこの部分。新倉真由美の「王室の廷臣より下の階級に属している」に当たる。

il est placé sous les ordres de l'écuyer de la couronne,
彼は王冠の侍従の指揮下に置かれる。
  1. 主語ilは前の文の主語"Le personnel"(職員)、つまりロイヤル・ミューズの勤務員たち。これは新倉真由美の文でも同じ。
  2. "sous les ordres de ~"は「~の命令下に」。単なる下の階級でなく、同じ指揮系統における下を指す。
  3. 命令を下すのは、"sous les ordres de"に続く"l'écuyer de la couronne"(王冠の侍従)。

"l'écuyer de la couronne"は新倉真由美の「王室の廷臣」に相当する。Meyer-Stableyと新倉真由美の語句を見比べると、注意を引く点が2つある。

  1. 「王室の廷臣」は何人もいるように見えるが、"l'écuyer de la couronne"は単数形。
  2. Meyer-Stableyは「王室の」という意味では形容詞royalを多用してきた。でも"de la couronne"(王冠の)はまだこの近辺でしか見かけない。当然のようにroyalと同一視することはできない。

原文から想像できる"l'écuyer de la couronne"とは、厩舎職員の上に立つただ一人の人物。恐らく"l'écuyer de la couronne"とは、厩舎の最高統率者の職名だろう。定着した日本語訳がありそうに思えないので、私は独断で「冠侍従」と訳した。

実在するCrown Equerry

英国王室サイトにあるウィリアム王子とキャサリン妃が結婚式の日に乗る馬車の説明ページに、こんな文がある。

The Royal Mews is part of the Lord Chamberlain’s Office and is run by the Crown Equerry.
ロイヤル・ミューズは宮内長官の管轄内であり、冠侍従に管理される。(Telperion訳)

間違いなく、"the Crown Equerry"は"l'écuyer de la couronne"に相当する英語。王室サイトよりは信頼性が下とはいえ、英語wikipediaにも項がある

厩舎統率者の説明はさらに続く

"l'écuyer de la couronne,"には"au rang bien supérieur à celui des écuyers ordinaires"(普通のécuyerの地位よりずっと高い地位の)が続く。新倉真由美が「一般の廷臣よりはずっと上で」とした部分。実際は誰が誰の上にいるのだろうか。

地位が下なのは普通の侍従

新倉真由美は「l'écuyer de la couronne=王室の廷臣」という訳語にこだわったために"écuyers ordinaires"も「普通の廷臣」にした。しかしMeyer-Stabley本でécuyerとは、王族に直接仕える、侍女の男性版のような職業。新倉真由美は終始「侍従」と訳してきた。臣下一般を指す「廷臣」よりずっと範囲が狭い。ここに限って「一般の廷臣」は不自然。

地位が上なのは恐らく冠侍従

文法だけを考えるなら、「普通の侍従よりずっと高い地位の」は、厩舎で働く職員全般を指すことも多分できる。しかし、先ほど書いたように、厩舎職員の地位がそこまで上とは、私には信じられない。

しかし一般の侍従は、いくら王族に近い存在でも、一部署の責任者ではない。厩舎の職員を統括する冠侍従が侍従より上だというなら、私にも納得できる。肩書に"de la couronne"が付くのは伊達ではない。

最後の文もロイヤル・ミューズ責任者についての文

最後の文"Il dirige les Royal Mews."で、初めて王室厩舎の名、ロイヤル・ミューズが出る。文の主語il、つまりロイヤル・ミューズを率いるのは、むろん"l'écuyer de la couronne"。でも新倉真由美は責任者一人の存在を認識していないため、「管理するのはロイヤル・ミューズである」も一人についての文に見えない。スタッフたちが皆で手分けしてロイヤル・ミューズを管理しているかのよう。

他にも「王室の廷臣」の例はある

"le écuyer de la couronne"はこの近くで何回か話題になっているが、新倉真由美はもちろん「王室の廷臣」で押し通している。2つ例を挙げる。

『バッキンガム』P.139:
王室の廷臣は入り口付近に大変美しい家を持っている。
『バッキンガム』P.141:
王室の廷臣(=侍従)を除いて、宮殿で食事をする職員はほとんどいない。

問題の引用では王室の廷臣と一般の廷臣は別物扱いだったが、2番目の例では王室の廷臣を侍従の別名扱いしている。新倉真由美の見解では、一般の廷臣(普通のécuyers)は侍従(écuyers)ではないらしい。

礼儀作法の重圧ばかりを書き立てるつもりはない原著者

『バッキンガム』P.196:
もし一般人がこのように格式ばった中で生活するとしたら、恐らく窒息してしまうだろう。何も大げさに言っているのではない。
Meyer-Stabley原本:
À vivre dans un tel cérémonial, le commun des mortels aurait quelque peu l'impression d'étouffer. Il ne faut cependant rien exagérer.
Telperion訳:
このような儀礼の中で暮らすことに対して、一般人の大多数は息苦しい印象を少し持つだろう。しかし何事も誇張してはならない。

節「礼儀の問題」(原題: Questions d'étiquette)の冒頭。前の節では、エリザベス二世の戴冠式や、チャールズ皇太子のプリンス・オブ・ウェールズとしての戴冠式の厳粛な様子を描写していた。

原本が新倉本と違う個所

述べられる息苦しさの程度は弱い

最初の文の述語は、イディオム"avoir l'impression de ~"(~という印象を持つ)を使っている。de(ここではその縮約形d')に続くétouffer(窒息する、息苦しくなる)とは、王族の暮らしに対して一般人が持つ印象。「窒息する」に比べて「窒息するという印象を持つ」は差し迫った感じではない。それに原文には"quelque peu"(少し)とあるから、なおさら。

これは私の憶測だが、私はこの文を「儀式づくめで暮らすことになった一般人の反応」でなく、「儀式づくめの暮らしを外部から見る一般人の心情」だと見なしたい。もしそんな暮らしを強いられて息苦しくなるなら、「息苦しい印象を持つだろう」(aurait l'impression d'étouffer)より「息苦しくなるだろう」(étoufferait)のほうが似つかわしいと思うので。

息苦しいという印象は反論される

二番目の文のポイントは2つ。

  1. "Il ne faut ~(動詞の原形)"は「~してはならない」。
  2. cependant(しかし)が入っている。

「しかし誇張してはならない」とは前の文にブレーキをかける文。それがなぜか新倉真由美の文では、前の文をさらに強調する内容になっている。

息苦しさ一辺倒でないのは節全体にわたる

実際、上の部分の続きを読むと、Meyer-Stableyが王室を礼儀でがんじがらめと言い続ける気がないのがよく分かる。

『バッキンガム』P.196:
ヴィクトリア時代の礼儀作法については多くの誤解がある。ヴィクトリアは礼儀作法の奴隷でなく、偶然に聴こえてきたメンデルスゾーンの曲を口ずさむような、気取らない素直な女性だった。美しい虹を見せようとして、突然リトルトン夫人の部屋に入ってくることもあった。

つまり、ヴィクトリア朝は礼儀にうるさいイメージがあるが、実際には心のままに行動することもできたということ。Meyer-Stableyがここでヴィクトリア女王の逸話を持ち出したのは、現在の王室についても、「息苦しいことばかりではない、王族が人間的に振る舞う余地はたくさんある」と主張するつもりだからだろう。

実際、この後も節「礼儀の問題」は、節冒頭の流れを繰り返す。

  1. まず、王室の細かい作法を挙げる。女王の腕を取ってはいけないとか、お辞儀の仕方とか。
  2. 次に、王族の決まりにとらわれない行動を挙げる。チャールズ皇太子が庶民の家をサプライズ訪問したとか、エディンバラ公フィリップが買い物客に話しかけてうるさがられたとか。
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プロフィール

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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