伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2014.08.08
ラジオ音楽には何でも聴きほれた幼い頃
2014.08.05
追及したのはプライベートの楽しみ
2014.08.02
ステート・ルームを訪問するのは読者

ラジオ音楽には何でも聴きほれた幼い頃

『ヌレエフ』P.20:
ヌレエフにとって外の世界を知れたのはラジオだけだった。公人が亡くなると絶え間なく流れていたポピュラー音楽が中断され、ベートーベンやチャイコフスキーなどの曲が放送されたが、彼はそれに聴き入っていた。
Meyer-Stabley原本:
Car pour Noureev, le seul aperçu d'un monde extérieur plus vaste est la radio familiale. Il l'écoute des heures durant, particulièrement heureux quand la mort d'un personnage officiel met un terme à la perpétuelle musique populaire au profit de larges extraits de Beethoven et de Tchaïkovski.
Telperion訳:
なぜならヌレエフにとって、もっと広い外界を表す唯一のものは家庭のラジオだったからだ。何時間でも耳を傾けていた。とりわけ幸せだったのは、公人が死去したために絶え間ないポピュラー音楽が終わり、ベートーヴェンやチャイコフスキーの長時間の抜粋に交替したときだ。

2歳のころから音楽にとても反応していたという記述に続く文。

クラシック音楽以外のラジオ放送も聴いた

原文最初の"Il l'écoute des heures durant"(彼は何時間もの間、それを聞いた)の目的語は、三人称単数の名詞を指す代名詞leまたはlaの縮約形l'。この代名詞が指す名詞としてこの場合に適切なのは、前の文で出たラジオ(la radio)。radioは女性名詞なので、l'はlaの略だと分かる。

新倉真由美は、ヌレエフが聴いていたのが臨時放送のクラシックだとしている。しかしこの解釈には私が納得できない点がいくつもある。

  1. "Il l'écoute des heures durant, "の個所では、まだクラシック音楽は話題になっていない。触れていない音楽をいきなり代名詞で指すのは不自然。
  2. このクラシックは"de larges extraits de Beethoven et de Tchaïkovski"(ベートーベンやチャイコフスキーからの多大な抜粋)と呼ばれている。この名詞句は複数形なので、対応する代名詞はles。しかし、ヌレエフが聴いていたのは、上で書いたように単数の名詞なので、抜粋と合わない。
  3. 上の2点に比べると個人的な意見だが、一応書いておく。ヌレエフは音楽を「何時間も」聞いていた。死去したのがソ連の最高指導者でもない限り、臨時放送は何時間も続かないと思う。

ポピュラー音楽を聴いても幸せになった

要人の死去のためラジオのポピュラー音楽がクラシック音楽になったという文の前にある"particulièrement heureux quand ~"は、「~のとき特に幸せだった」。特に幸せだったと言うからには、それよりは落ちるけれどそれなりに幸せだった時間もあるはず。この場合、前の文が「ラジオを聞いていた」なので、ほどほどに幸せだったのは、ポピュラー音楽を初めとする普段のラジオを聞いているときだろうと見当がつく。

引用部分の前後でも音楽は何でも好きだった

前後の記述を読んでも、ヌレエフが好きだったのはクラシックに限らないと分かる。

  • 引用する直前の文で、ヌレエフは「音楽に」(à la musique)反応していたとある。クラシック音楽限定ではない。
  • この後にヌレエフがこの時期の音楽への傾倒を回顧する文(多分自伝の引用)が続く。そのなかでヌレエフは「どんな音楽でも(n'importe quelle musique)」聞いたと語っている(新倉真由美訳は「あらゆる音楽」)。この回顧全体を通して、ヌレエフはこの時期好きだった音楽の種類を限定していない。

クラシックに傾倒したのは成長後

名を成した後のヌレエフがクラシック音楽を愛好した様子は、『ヌレエフ』のあちこちにも書いてある。今回の文を読む限り、クラシック好きは子どもの頃からのことらしい。しかし幼児のヌレエフは聴きたいものを選り好みをできる立場にない。聞こえてくる音楽が何であろうとかじりついた。同時代の音楽とは多分あまり縁がなかったヌレエフが、幼いころはポピュラー音楽にも聴きほれていたということから、当時のラジオがヌレエフのきゅうくつな生活をどれほど慰めたかを想像できる。

Meyer-Stableyの言では、ヌレエフの音楽好きはヌレエフをバレエのとりこにする土台となった感情(「三日月クラシック」の原文比較記事より「P.20 音楽は情熱を生み出す母体となり、~」を参照)。それほど深い愛着を「たまにクラシックが流れると聴き入った」ですまされるのは、原文を読んでいると少しあっけなさ過ぎる。

更新履歴

2016/5/13
諸見出し変更

追及したのはプライベートの楽しみ

『ヌレエフ』P.85:
成功が大きくなっていくにつれ、ヌレエフはフランスの首都で彼独自のやり方で観客を扇動していけるように感じていた。
Meyer-Stabley原本:
Plus le succès va crescendo, plus Noureev se sent libre de suivre ses propres inclinations dans la capitale française.
Telperion訳:
成功が大きくなるにつれ、ますますヌレエフは自分独自の好みをフランスの首都で自由に追及できるように感じた。

キーロフ・バレエの一員としてパリに来たときのこと。前の段落ではヌレエフがパリの公演で人気者になる様子が書かれており、新しい段落の先頭がこの文。

「好みを追及」を「観客を扇動」と言い換えるのは苦しい

"suivre ses propres inclinations"の直訳は「彼自身の好みを追う」。この直訳だけを見たときに私が想像する意味は、「欲しいものを手に入れようとする」とか「やりたいことをやる」とかいったところ。

"suivre ses propres inclinations"に対応する新倉真由美訳は「彼独自のやり方で観客を扇動する」。「彼自身の好み」(ses propres inclinations)を「彼独自のやり方」と言い換えるのは可能だろう。だが「好みを追う」が「観客を扇動する」になるのは、私から見ると拡大解釈が過ぎる。

この文はヌレエフのオフタイムを書いた段落に含まれる

初めに書いたとおり、この文は新しい段落の先頭にある。その段落でこの後書かれるのは、ヌレエフがフランス人の友人たちと夜に集ったこと、西側の映画やバレエを鑑賞したこと。この文脈を念頭に置くと、「彼自身の好みを追う」とは、同じ段落で描写されているように、プライベートの時間を好きな人々と一緒に好きなことをして過ごすことだと分かる。ダンサーとして成功したという話は、前の段落でひとまず終わっている。

新倉本だけを読むと、「でもMeyer-Stableyの段落分けってもともと滅茶苦茶だよ。前の段落に来るべき内容を次の段落に押し込むなんて、珍しくもない」という感想を持つかも知れない。しかしそれは、新倉真由美がよその個所でMeyer-Stableyの段落分けをまるで尊重しないから。たくさん引用する手間が煩わしくて今までほとんど取り上げていないが、それでも原本の段落が終わらないうちに小見出しが割り込むという例は取り上げた。新倉真由美は『密なる時』でも1つの文の途中で段落を代えるという荒業をやっている。

更新履歴

2016/5/11
主に諸見出しを変更

ステート・ルームを訪問するのは読者

『バッキンガム』P.50:
訪問の様子を詳しく観察してみよう。
Meyer-Stabley原本:
Reprenons la visite en détail.
Telperion訳:
訪問を詳しく再開しよう。

宮殿で最も豪華な場所であるステート・ルームの数々を説明する部分から。

訪問とは読者とMeyer-Stableyの宮殿巡り

原文で使われている他動詞reprendreには、ここに載せきれないほどさまざまな意味がある。その中で「訪問を」につながりそうなのは「再開する」。reprenonsは一人称複数(私たち)に対する命令文の活用形なので、訪問を再開するのは読者とMeyer-Stabley。だから訪問とは、この章でMeyer-Stableyがしている仮想的な宮殿内部ツアーだと分かる。

新倉真由美はreprendreを「観察する」と解釈した。しかし、reprendreは「再び手にする」とか「回復する」とか、原状復帰の意味合いが強い言葉。「観察する」にそういうニュアンスはなく、「観察する」と言い換えられそうな意味は仏和辞書に見当たらない。

この文の直前には、国主催のパーティのときに王家の人々が白の客間から舞踏会の間まで、5つのステート・ルームを次々に訪れることが書いてある。このため、新倉真由美の文は、「王族たちが数々のステート・ルームを訪れる様子を観察してみよう」という意味に見える。しかしこの後で説明されるのは、ステート・ルームの詳細な外観。「訪問の様子を観察する」なのに、訪問者やパーティがまったく話題にならないのはやや不自然。

臨場感を高めるMeyer-Stableyの呼びかけ

バッキンガム宮殿の案内である第1章で、Meyer-Stableyは読者を宮殿に来た客、自分を客のガイドに見立てている。たとえば、私がこのブログで今まで引用した部分だけでも、次の個所は読者であるvous(あなた)の動作になっている。

「訪問を再開しよう」も、読者が宮殿を訪問中だという前提に立っている。この文の前でMeyer-Stableyは、王族の行列の他に、ステート・ルームの概要、"Table of the Grand Commanders"の来歴、ヴィクトリア時代のメンデルスゾーンやアルバート公の逸話を聞かせている。知識披露を終えて部屋巡りに戻るきっかけの文が、「訪問を再開しよう」なのだ。今度はステート・ルームの紹介が詳細になるので、「詳しく」(en détail)という形容が付いている。

臨場感の点で、「訪問の様子を観察」は「訪問を再開」より落ちる。その場で見るのでなく、たとえばテレビ中継を見る場合も使えるからだ。それに、自分が英国主催パーティのど真ん中にいるという想像はなかなかしにくいもの。仮にその場に自分がいると想像しても、物陰からそっと観察するという地味なイメージになりかねない。

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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