伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2014.07.17
ルートが複雑なのは宮殿の外側でなく内側
2014.07.15
提案に耳を貸すそぶりだったヌレエフ
2014.07.12
なくてもいい報道に毎日向き合う女王
2014.07.10
ダイアナ妃死後の混乱は主に言いたいことではない
2014.07.07
普通でないと述べた文が正反対に

ルートが複雑なのは宮殿の外側でなく内側

『バッキンガム』P.44:
建物の北東棟のロイヤルブルス門から入った人と、南西棟のキッチン側の門から入った人が、どうやって宮殿の一階に達するのかわかりませんでした。宮殿の後ろ側の一部分は、違う階に繋がるように交差していました。
Meyer-Stabley原本:
je ne comprends toujours pas comment deux personnes entrant dans le palais au rez-de-chaussée, l'une par la porte de la Bourse royal à l'angle nord-est du bâtiment et l'autre par la porte des cuisines à l'angle sude-ouest, en se dirigeant l'une vers l'autre, réussissent à ne jamais se rencontre. Quelque part à l'arrière du palais, elles se croisent sans se voir, à des étages différents.
Telperion訳:
二人の人間が宮殿に1階で入り、一人は建物の北東の角にある君主手許金の戸口から、もう一人は南西の角にある厨房の戸口から、互いに相手に向かって進みながら、どうすれば決して会わないことに成功するのか、私には今でも分かりません。宮殿の後ろのどこかで、二人は互いを見ずに、違う階ですれ違うのです。

宮殿で15年勤めた元召使、ラルフ・ホワイト(Ralph White)の述懐より。

第1文の構成

前半

最初の文は、"je ne comprends toujours pas comment ~(文)"という形をしている。commentの後に続く文がむやみに長いので、その説明を後回しにすると、「どうすれば~なのか、私は今でも分かりません」となる。英語の"I do not understand how ~(文)"と同じようなもの。

後半

commentに続く文は次のように分解できる。

主語
deux personnes entrant dans le palais au rez-de-chaussée (1階で宮殿に入る二人)
主語の言い換え
l'une par la porte de la Bourse royal à l'angle nord-est du bâtiment et l'autre par la porte des cuisines à l'angle sude-ouest (建物の北東の角にある君主手許金の戸口を通る一人と、南西の角にある厨房の戸口を通るもう一人)
主語の動作を説明するジェロンディフ
en se dirigeant l'une vers l'autre (互いに相手に向かいながら)
述部
réussissent à ne jamais se rencontre (決して会わないことに成功する)

第1文で使われる語句の説明

la porte de la Bourse royalは本来は英名

宮殿に入る一人が通るのは"la porte de la Bourse royal"。porteは門または戸、"bourse royal"は「王室の財布」という意味のフランス語。イギリスの宮殿の場所にフランス語の名が付くとは考えにくいので、イギリスでは英語で呼ばれていると思われる。ここで、原本第1章の最初のほうで触れられた戸口"Privy Purse Door"(君主手許金の戸口)の中にpurse(財布)という単語が入っていることを思い出せば、"la porte de la Bourse royal"は"Privy Purse Door"のフランス語訳だと見当が付く。

porteは門でなく戸口

ホワイトは「1階で宮殿に入る二人」と言った後、それぞれについて"par la porte ~"(porteを通って)と説明している。宮殿に入る人間の説明だし、porteの一方は恐らく"Privy Purse Door"なのだから、porteは門でなく戸口だと推定できる。

宮殿内部の通路の理解不能さを言いたいホワイト

ホワイトの言葉によれば、宮殿の反対の方角から入った二人が相手の方角に向かっても、会わずにすれ違ってしまう。見取り図には大きな部屋しか書いていないので、そんなことは起こらないように思える。しかし、実際には宮殿内部には細かい通路が縦横に走っていて、反対側に行くルートが幾通りもあり、ホワイトには把握しきれないのだろう。

引用より少し前で宮殿を"une architecture labyrinthique"(迷宮の建築)と呼ぶなど、Meyer-Stableyはこの周辺で宮殿の中が迷いやすいことをいろいろ述べている。私にはこの迷いやすさの描写が新倉本のあちこちで薄まっているように思えるが、それについてはまた後日書きたい。

宮殿外部の描写に変わった新倉真由美の文

新倉真由美の文は、宮殿に至る2つの門から宮殿に向かう人の話になった。恐らくその原因は2つ。

疑問文の述部が「1階に達する」に化ける
どうやら新倉真由美は、"deux personnes"(二人)に続く現在分詞entrant(入る)を述語entrentと見間違えたのではないかと思う。そのため、本当の述語réussissent(成功する)を説明できなくなったので、述部を丸ごと、ついでにジェロンディフも無視した。こうして「どうして会わないことに成功するのか」が「どうやって宮殿の一階に達するのか」に変化した。
porteを戸口でなく門にした
これは新倉真由美の癖。"Privy Purse Door"に関する記事の他に、「開放されるのはステート・ルームを仕切る扉」でも取り上げた。

第2文で交差するのは第1文の2人

2番目の文の要となるのは"elles se croisent sans se voir"(彼らは互いを見ずにすれ違う)。これを次の2つの語句が修飾する。

  • Quelque part à l'arrière du palais (宮殿の後ろのどこかで)
  • à des étages différents (違う階で)

文の主語ellesは複数の女性名詞を表す代名詞。女性名詞の複数形として唯一該当するのは、前の文にある"deux personnes"(二人)。personneは女性を指すとは限らないが、personne自体は女性名詞なので。

新倉真由美はellesを無視し、"Quelque part~"が主語だと解釈したらしい。しかしこの解釈には無理がある。

  • "quelques part"は「どこかに、どこかで」というイディオム。場所を指す修飾語なので、主語にはならない。
  • 2番目の文の述語は"se croisent"(すれ違う)だが、この活用形は主語が三人称複数形の場合のもの。"quelque part"はどう見ても名詞の複数形ではない。

おまけ - 2つの戸口の場所の推測

googleマップから宮殿の東西南北は分かるので、新倉本P.37の宮殿1階見取り図と照合してみた。君主手許金の戸口も厨房の戸口も、あいにく見取り図には載っていないが、私には次の場所にありそうに思える。

君主手許金の戸口と厨房の戸口
君主手許金の戸口
別の記事で場所を推測したことがある。その場所をgoogleマップにおける宮殿の形の写し図に重ねた。その記事と上の図では左右が逆になっているのは、見取り図では南が上になっているから。
厨房の戸口
厨房は宮殿の南の角を占めている。図の場所に戸口があるなら、原本の記述どおりになる。

君主手許金の戸口が北東に、厨房の戸口が南西にあるという原本の記述は、信頼してもよいと思う。

提案に耳を貸すそぶりだったヌレエフ

『ヌレエフ』P.290:
これが報道されたとき、ある若きエトワールはヌレエフにこう示唆した。
「彼は感じは良いがなんの経験もありません。カドリーユとして入団し、本当に上達すれば四年以内にはエトワールになれるでしょう」
Meyer-Stabley原本:
Et quand on rapporte alors à Noureev ce qu'une danseuse étoile de l'Opéra suggère : « Ce garçon est sympathique mais n'a aucune expérience. Il n'a qu'à entrer dans le corps de ballet comme simple quadrille et, s'il est vraiment doué, il peut devenir étoile en quatre ans », le Russe s'exclame, conciliant : « Mais il ne demande que cela ! Kenneth rêve d'entrer dans la troupe de l'Opéra et je veux qu'il travaille le style français. »
Telperion訳:
そして、当時オペラ座のある女性エトワールがほのめかしたことがヌレエフの耳に入った。「彼は感じが良いですが、何の経験もありません。単なるカドリーユとしてバレエ団に入りさえすればよいのです。もし本当に才能があれば、4年でエトワールになれます」。そのとき、ロシア人は妥協するように叫んだ。「しかし彼が頼んだのはそれだけだ! ケネスはオペラ座のバレエ団に入るのを夢見ていたし、私は彼にフランスのスタイルを勉強して欲しいのだ」

1989年7月前後、ヌレエフがパリ・オペラ座と何らつながりがないケネス・グレーヴェ(Kenneth Greve)をエトワールにしようとして総スカンを食ったときのこと。

ヌレエフの妥協発言が消された

原本と新倉本を見比べて最も目立つのはもちろん、この提案について知ったときのヌレエフの反応が新倉本では消えたこと。

ヌレエフの言葉からは、「エトワールでなくてもいい、パリ・オペラ座に入れたいだけだ」と要求を後退させたことが分かる。いきなりエトワールという当初のプランを押し通すのは無理そうだとヌレエフは悟っていたのだろう。conciliant(協調性がある、妥協的な)という形容詞を使ったMeyer-Stableyも、ヌレエフの妥協に気づいている。ヌレエフの言葉がなくてエトワールの提案だけでは、「ヌレエフの要求は理路整然と反対された」という意味にしかならない。

原本の一部を省略するのは出版界ではありふれたことらしく、新倉真由美と文園社に限ったことではない。しかし、ある発言だけを残し、その発言に本の主役がどう反応したかを消すのは、かなり変わっていると思う。私は新倉真由美が「他人のことなど歯牙にもかけないヌレエフ」像を誇張するのをいろいろ見てきた。そのせいで、ここでの省略を見て、ヌレエフの妥協的な態度が新倉真由美のヌレエフ像に合わないからではないかと勘繰ってしまう。

ヌレエフはエトワールの発言を人から聞いた

「まずカドリーユとして入団させるべき」という発言は、"ce qu'une danseuse étoile de l'Opéra suggère"(オペラ座のエトワールが示唆したこと)と説明してある。それをヌレエフに報告したのはon(不特定の人)。つまり、このエトワールはヌレエフに面と向かって進言したのではない。別の場所で言ったことを誰かがヌレエフにご注進した。

提案したエトワールが若いとは限らない

グレーヴェの待遇について示唆したのは、"une danseuse étoile de l'Opéra"(オペラ座のエトワール)とだけ書かれている。

  • "une danseuse étoile"なので女性。男性ならdanseuseでなくdanseurになる。冠詞もuneからunに変わるかも知れない。
  • 「若き」にあたる単語は原文にない。

1989年当時、現役の女性エトワールは定年の40歳未満なのだから、全員若いには違いない。でもダンサーの肉体能力はあまり長続きしないので、30歳を過ぎたら「若いダンサー」とは呼ばれないような印象がある。当時のパリ・オペラ座の場合、たとえば定年まで5年を切っていたフロランス・クレールやクロード・ド=ヴュルピアンを「若きエトワール」と呼ぶのが普通か、私には疑わしい。

「若きエトワール」だとクレールやヴュルピアンを候補から外したくなる一方、原文を読めば対象外と分かる男性のマニュエル・ルグリやローラン・イレールが候補に入ってくるのは、地味ながら気にかかる。いくら憶測しかできないとはいえ、少しの手掛かりでも大事に提示してもらいたいのは、私自身がヌレエフ時代のエトワールたちにある種の感傷を持つせいかも知れない。

更新履歴

2016/5/5
小見出し変更

なくてもいい報道に毎日向き合う女王

『バッキンガム』P.22-23:
彼女は荒れ狂う海の中の動かざる岩にも似て、マスコミの絶え間ない攻撃に向かい合う哲学者のようだ。彼らは情け容赦なく毎日朝食のたびに、女王自ら出演している連続ドラマに新たなエピソードを加え続ける。題して〈ウィンザー家のスキャンダル〉。
Meyer-Stabley原本:
Tel un roc isolé au milieu d'une mer démontée, elle fait front, philosophe devant les assauts répétés d'une presse impitoyable qui lui offre chaque matin au breakfast un nouvel épisode d'un feuilleton dont elle se passerait volontiers : «Scandale chez les Windsor.»
Telperion訳:
大荒れの海に取り巻かれるぽつんとした岩のように、彼女は立ち向かう。容赦ないマスコミが攻撃を繰り返す前で達観して。マスコミは毎朝の朝食のとき、女王にとってはなくても喜んでやっていける連続ドラマ「ウィンザー家のスキャンダル」の最新回を女王に見せる。

序文から、女王が報道に関して抱えている問題について。

英王室スキャンダル報道は女王にとって無益

文中の"un feuilleton"(連続ドラマ)は、«Scandale chez les Windsor»というタイトルから分かるとおり、英国王家のスキャンダル報道のこと。これには関係節"dont elle se passerait volontiers"が付いており、連続ドラマが次のようなものだと説明している。

Elle se passerait de un feuilleton volontiers. (彼女は連続ドラマなしで喜んで済ませるだろう)。

  1. 述語"se passerait"は、イディオム"se passer de ~"(~なしで済ませる)の一部。『プログレッシブ仏和辞典第2版』を読む限り、代名動詞"se passer"にせよ、普通の動詞passerにせよ、「出演する」という意味にはならなさそう。
  2. 述語の時制は条件法現在。条件法の用途はさまざまだが、ここでは文が事実に反する仮定だということを示しているのだろう。女王の生活からその手の報道がなくなることは、まずないのだから。
  3. volontiersは「喜んで、容易に」。Meyer-Stableyならずとも、スキャンダル報道がないほうが女王はせいせいするに違いないと推測したくなるだろう。

英王室スキャンダル報道を女王のもとに届けるマスコミ

文中の"une presse impitoyable"(容赦ないマスコミ)には、関係節"qui lui offre chaque matin au breakfast un nouvel épisode d'un feuilleton"が付いており("un feuilleton"に付いている関係節はここでは省略)、マスコミが次のようなものだと説明している。

une presse impitoyable lui offre chaque matin au breakfast un nouvel épisode d'un feuilleton. (容赦ないマスコミは毎朝の朝食で連続ドラマの新たな回を彼女に提供する。)

ここで注意すべき単語は次の2つ。

  1. 代名詞lui。場合に応じて「彼に、彼女に、それに」のいずれかになる。女王についての文なのだから、ここでは当然「彼女に」。
  2. 述語offre。動詞の原形はoffrirで、意味は「提供する、示す」など。

つまり、マスコミは連続ドラマをわざわざ女王にもたらしている。どういうことなのか。その答えになりそうな文が、第2章「女王の一日」にある。女王夫妻が朝食をとる時間の描写から。

『バッキンガム』P.60:
朝刊は2人の間にある台の上に積み重ねてある。

残念ながら、英国アマゾンではこの部分の原本を読めない。原本を参照せずに新倉真由美の文を信じるのは無謀には違いない。しかし、女王が報道に目を通す時間はどこかにあるはずなので、朝食を取りながら新聞を読むのは自然なことに思える。その新聞に王室批判だの王族の失態だのが書かれていることもあるだろう。20世紀末のイギリスなら、報道が過熱しても不思議はない。

まとめ

原本からは、「見たくもない報道に毎日付き合わされて、女王も大変だ」という同情めいたものが感じられる。Meyer-Stableyだって芸能マスコミの一員だが、イギリスの騒ぎをフランスから見ているため、少しだけ第三者的なのだろう。でも新倉本ではその薄い同情がさらに薄くなった。「女王自ら出演している」では、本人もまんざらでないようにも読める。

ダイアナ妃死後の混乱は主に言いたいことではない

『バッキンガム』P.23:
一九九七年のダイアナ妃の死とそれを取り巻いた国民感情は、王国と国民の間の溝を浮き彫りにさせ、君主国に弔鐘を鳴らした。
Meyer-Stabley原本:
Certes, la morte de la princesse Diana l'été 1997 et l'émotion populaire qui l'entoura semblèrent sonner le glas de la monarchie, en soulignant le fossé évident entre la couronne et ses sujets.
Telperion訳:
なるほど、1997年夏のダイアナ妃の死、そしてそれを取り巻いた大衆の心の高ぶりは、王権と臣民の間にある明白な溝をくっきりと見せ、君主制の弔鐘を鳴らすかに思われた。

本題と反例の消失

私にとって、上の新倉真由美の文で最も大きな問題は、certes(なるほど)を抜いたこと。certesは"certes A, mais B"(なるほどAではあるが、Bである)という表現の一部であり、反例Aを出しながらも本題Bを主張するためのもの。ここでの"certes A, mais B"構文は広範囲にまたがるので、まず構文がどのように成り立っているかを見る。

Meyer-Stableyが述べる本題と反例

上で引用した文は、短い段落の後半部分。前半部分を新倉本から引用する。

バッキンガム宮殿に立てこもり、生涯を祖国とウィンザー家に捧げた彼女は、沈着冷静に統治し続けている。

そして最初に引用した文が続き、その後で段落が替わる。その内容は二つに分かれるので、ここでは二つに分けて書く。新倉本には問題が多少あるが、とりあえず引用する。

ウィンザー家は早急にイギリス国民と新たな協定を結び、次世代に何をもたらすことができるか証明する必要に迫られた。国民は馬車や城や財宝や厳格な儀式等に象徴される、古臭い王朝以外のものを求めていた。君主国は社会学的に実社会と断絶しているように見える。皇太子妃の逝去が巻き起こした人びとの悲嘆に満ちた反応は、過去数年間イギリスに起きていた未曾有の大騒動に対し、王国が何も対策を打てなかったことを証明した。
いったん人びとの感情が収まると、いくらかの広報活動を除いては、すべて以前と同じような日々が再開された。数トンに及ぶヴィクトリア時代の石造りの建築に覆われたバッキンガム宮殿とその閉塞的な雰囲気の中で、女王は隔離された世界から抜け出る気にはなれない。

2番めの段落の後半最初の文「いったん人びとの感情が~」は、原本ではこうなっている。注意すべき点は、その冒頭にあるOr(ところが)が新倉本では訳されていないということ。

Or, une fois l'émotion passée, hormis quelques opérations de relations publique, tout a recommencé exactement comme avant.

このorは、"certes A, mais B"構文におけるmais(しかし)の役割を果たす。つまり、原本において反例Aと本題Bは次のとおり。

反例A
ダイアナ妃の死去で英国王室の権威は大きく揺らいだ。
本題B
民の感情が鎮まると、すべては元通りになった。

反例Aの前にある「女王は冷静に統治し続ける」も本題Bと同様の内容なのに注意したい。「女王は冷静に統治し続ける」と書いたMeyer-Stableyは、多分「ダイアナ妃逝去で混乱が起こったばかりではないか」と読者から突っ込まれるのを予期したのだろう(『バッキンガム』原本の出版は2002年)。そこで、「なるほど当時は混乱があった」と譲歩し、その上で「しかし感情が収まったらすべては元通りになった」と続けることで、「女王は冷静に統治し続ける」という記述を補強しているのだ。

新倉本の読みにくさ

新倉真由美がcertesもorも無視した結果、新倉本のこの部分では反対の内容が同列に並ぶだけになっている。だから「女王は冷静に統治し続ける」の直後にいきなり「君主国に弔鐘を鳴らした」が続き、私は「統治し続けているって言ったばかりなのに?」とびっくりしてしまった。原本ならダイアナ妃に関する文の前にcertesがあるため、「ダイアナ妃云々のことはそのうち打ち消されるんだな」と予想でき、動じないで読み続けられるが。

「大雨が降った。運動会は行われた」という文を読むと、私は2つの文の間に「しかし」を入れたくなる。Meyer-Stableyも私と同じ感覚らしく、状況に応じて「しかし」とか「したがって」とかいう接続詞をこまめに入れるので、私には文のつながりが分かりやすい。しかし新倉真由美はそういう言葉に興味がないらしく、原本での使い方をまるで尊重しない。『密なる時』のときすでに「ベッドが1つしかないのを歓迎したプティ」でやらかしているし、『ヌレエフ』での例は挙げきれない。ひどい誤訳の例として挙げるには地味な部類だと思うが、それでも私には読んでいて苦痛。

英国王制は廃止されていない

原文を見ると、「弔鐘を鳴らす」(sonner le glas)の前に「~のように思われた」(semblèrent)がある。つまり、実際には英国の君主制は続き、1997年の騒ぎは弔鐘にならなかったことを、この文の段階でもう示している。しかし新倉真由美はsemblèrentを訳さなかったため、私は読んでいて「英国王制が今も続いているのは明らかなのに、なぜ終わったような言い方をするのだろう?」と変な気になる。死なないうちから弔鐘が鳴り響くことはあるのかも知れないが、原著者が「実際には弔鐘は鳴らなかった」という見解なのだから、それは尊重するべきと思う。

普通でないと述べた文が正反対に

『バッキンガム』P.24:
非現実的に見える組織の中に飛び込んでみると、恐らく普通でないことは何もないと気づく。
Meyer-Stabley原本:
On mesure, en plongeant dans ses rouages parfois surréalistes, que rien n'y peut être tout à fait ordinaire.
Telperion訳:
時には現実離れした機構に入り込むと、何物も完全には普通でいられないと見極める。

記事「内務省の統治は無関係」の直後の部分。バッキンガム宮殿内部の世界について述べている。

存在しえないのは普通のもの

原文最後の"rien n'y peut être tout à fait ordinaire"は、機構の中に入り込んだ者が見なすこと。この文で言いたいことがここに凝縮されている。

rienは英語のnothingに似ており、「何も~ない」という否定文を作る。しかしnothingと違い、rienは英語のnotに似たneとともに使われる。例として、2つの言語での「私は何も言わない」を載せる。フランス語ではneとrienが否定の意味を作っている一方、英語ではnothingのみで否定の意味を作っている。

フランス語
Je ne dis rien.
英語
I say nothing.

これを"rien n'y peut être tout à fait ordinaire"に当てはめると、「何ものもそこでは完全に普通ではいられない」。つまり多かれ少なかれすべてが普通でないということ。

この文とその前後のずれ

この文の周辺では、「女王の住む宮殿は外界とは違う」という論調の文がいろいろ並んでいる。新倉本からいくつか抜き出してみる。原本もだいたいは同じ内容。

女王は隔離された世界から抜け出る気にはなれない。
一般庶民の生活と、霧に覆われた宮殿の生活との間には本物の溝がある。(引用した文の直後)
しかしバッキンガム宮殿のアリスは鏡を突き抜けることはできない。

宮殿の中と外を普通の世界と『鏡の国のアリス』の世界にたとえるほど、Meyer-Stableyはバッキンガム宮殿内部の特異さを繰り返している。そのさなかに「普通でないことは何もない」はずいぶん浮いて見える。

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プロフィール

Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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