伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2014.06.18
軍配が上がったのは青の客間
2014.06.17
意外と贅沢な高級職員執務室
2014.06.14
ブログ公開2周年
2014.06.13
感動の渦から外された近くの観客
2014.06.12
開放されるのはステート・ルームを仕切る扉

軍配が上がったのは青の客間

『バッキンガム』P.49:
次は偉大な指揮官たちのテーブルのある青の客間、緑と金色の陶器のトレイは、古(いにしえ)の偉人たちをかたどったメダルより豪華だ。
Meyer-Stabley原本:
Mais la vedette revient au salon Bleu, qui recèle la « table des Grands Capitaines » : son plateau de porcelaine vert et or s'enrichit de médaillons figurant les grands hommes de l'Antiquité.
Telperion訳:
しかし一番は結局のところ、青の客間だ。そこには「偉大な指揮官たちのテーブル」が隠れている。その緑色と金色の磁器のトレーは、太古の偉人を描いたメダルのおかげで豪華になっている。

宮殿2階の南側と西側にある儀礼用の部屋の説明から。これらの部屋はステート・ルームという総称で知られているので、ここではそう呼ぶ。

青の客間の扱い

最初の"Mais la vedette revient au salon Bleu"は、「しかしスターは青の客間に~する」という形をしている。述語で使われている"revenir à ~"にはさまざまな意味があるので、どの意味が最も適切かを推定するには、前後の文脈を考える必要がある。

文の前
ステート・ルームの説明が始まったばかり。直前の文は、新倉真由美訳では次のような形になっている。分かりやすさのために部屋の描写は省略した。
最も特徴的なのは、見事な階段、(中略)緑の客間、舞踏会の間、王座の間、(中略)絵画の間、(中略)白の客間、音楽の間である。
つまり、ステート・ルームの中でも代表的な部屋を列挙している。
文の後
「偉大な指揮官たちのテーブル」の来歴を説明している。
文の冒頭
文が「しかし」(mais)で始まるからには、前の文と反対の意味を持つはず。

これらの手掛かりを頭に入れてから、改めて仏和辞書を引く。"revenir à ~(名詞)"の意味として載っているのは、「~に帰る」「~に復帰する」「~のものになる」「結局は~になる」など。この中で上の文脈に一番合う意味は、「結局は~になる」。「しかしスターは結局は青の客間になる」、つまり青の客間が数あるステート・ルームの中でも図抜けているという文なら、「これこれの部屋が特徴的である」「青の客間のテーブルは逸品だ」の間に自然に入ることができる。

一方、新倉真由美はmaisも"la vedette"(スター)も"revient à ~"も無視し、"salon Bleu"(青の客間)だけを使って文章を創作した。revenirにさまざまな意味があるといっても、「次は~である」と訳せそうな意味は見当たらない。それどころか新倉真由美の文では、青の客間がその前に列挙された部屋よりも一段劣るようにも読める。

テーブルの見栄えをよくするメダル

コロンの後には「偉大な指揮官たちのテーブル」を描写する文がある。次のように分解できる。

son plateau de porcelaine vert et or
この文の主語。緑と金の磁器(陶器ではない)のトレー。
s'enrichit
この文の述語。"s'enrichir de ~"(~によって豊かになる)という言い回しを使っている。
de médaillons figurant les grands hommes de l'Antiquité
述語につながる"de ~"の部分。歴史上の偉人を表すメダル。

つまり、トレーがメダルのおかげで豪華になったということ。トレーとメダルを比較しているのではない。

おまけ - テーブルについて

英国王室コレクションサイトに、話題になったテーブルの説明ページがある。もとはフランスのテーブルだったので、« table des Grands Capitaines »はMeyer-Stabley独自の仏語訳ではなく、本来の名前。英名は"Table of the Grand Commanders"。

上で「トレー」と呼んだ部分は、本当は天板と呼ぶべきかも知れない。でも実物がトレー状の形だし、「天板」はラルース仏語辞典で見てもメジャーな用語でなさそうなので(リンク先で先頭に太字の"Mobilier et décoration"がある項がそれ)、私は「トレー」と呼んでいる。

意外と贅沢な高級職員執務室

『バッキンガム』P.48:
これらの部屋には贅沢な調度品は見当たらず、マホガニー製の事務机や観葉植物、チェスターフィールドのソファ、女王のコレクションには程遠い絵画などが置かれている。
Meyer-Stabley原本:
En ces locaux qui ressemblent à s'y méprendre à ceux de managers, rien de très luxueux - bureaux en acajou, plante vertes, fauteuils Chesterfield... -, mis à part les tableaux qui proviennent de la collection de la reine.
Telperion訳:
幹部の場所と見まがうようなこれらの場所に、とても贅沢なものは何もない。マホガニーの机、観葉植物、チェスターフィールドの肘掛け椅子…ただし絵画は例外で、女王のコレクションに由来する。

君主手許金の管理人や女王夫妻の個人秘書などの執務室について。

まるで幹部の場のよう

文の最初の"En ces locaux"(これらの場所には)の後には、quiで始まる関係節が続いている。新倉真由美が訳さなかったこの関係節によると、「これらの場所」は次のような場所。

Ces locaux ressemblent à s'y méprendre à ceux de managers.

この文は、"Ces locaux ressemblent à ceux de managers."(これらの場所は幹部のそれらに似ている)に"à s'y méprendre"(間違えるほどに)が付いたもの。つまり、見間違えるほどに幹部の場所にそっくりということ。

とても贅沢な絵画

最後の"mis à part"から文末までは、「女王のコレクションに由来する絵画を別にすると」という意味。最初に書いた私の訳は、この部分が文の最後に自然に来るように手直ししたもの。原文は2つの語句が関係詞quiによって結ばれている。

1. mis à part les tableaux (絵画が別にされて)

これは分詞構文"les tableaux étant mis à part"が次のように変化したもの。

  1. étant(英語のbeingに相当)を省略
  2. "les tableaux"と"mis à part"を倒置

とても贅沢なわけではないものの例が挙がった後に「絵画が別にされて」が続くのは、絵画は「とても贅沢なものは何もない」に当てはまらないから。

2. les tableaux proviennent de la collection de la reine. (絵画は女王のコレクションに由来する。)
これは「絵画は他のものと違い、とても贅沢だ」という前の記述の駄目押し。

高級品が多いとはいえ地味な執務室の中で、絵画だけが宮殿ならではの圧倒的な贅沢さを誇っているのだろう。

ある程度は贅沢な調度品

原文には"rien de très luxueux"(とても贅沢なものは何もない)とある。私は普段なら「とても」の有無を大して気にしないが、ここで「贅沢なものは何もない」はちょっと言い過ぎのような気がする。マホガニーの机やチェスターフィールドの椅子は、宮殿の最も豪華な家具に比べれば地味とはいえ、十分贅沢だと思う。ましてや、執務室の贅沢さを物語る描写が2つもなくなった後で「贅沢なものは何もない」では、部屋の印象が殺風景過ぎる。

ソファでなく肘掛け椅子

fauteuilの意味は、「背もたれと肘掛けのついた椅子、劇場などの席」などだが、ソファのような椅子は指さないらしい。チェスターフィールドのソファは有名らしいので、筆がすべっても仕方ないかなと思う。ただ、執務室の椅子なのだから、やはりメインは肘掛け椅子のほうがもっともらしい。

ブログ公開2周年

また6月14日がやって来ました。このブログを公開して2周年。まさかバッキンガム宮殿の観光客気分でこの日を迎えるとは、つい数か月前ですら予想もつきませんでした。

『バッキンガム宮殿の日常生活』の原文比較

「バレエ翻訳家になりたい新倉真由美がこの本を訳したいとは思えない、やっつけ仕事に決まっている」と前から決めつけてはいましたが、それでも現物には圧倒されます。今読み比べているのは新倉本のたかだか18ページ半ですが、すでに15の記事を公開、あと軽く15は上乗せできそうです。当初は「ページ数が少ないのだから、今度こそどんな細かいミスでも遠慮せずに書こう」と決意していたのですが、どうしたものか。

今の私は、残りのページも読み比べたいという誘惑と戦っています。ええ、比べたいですとも。でも、『バッキンガム』はページ数も大きさも『ヌレエフ』を上回る一方、私は知っている仏単語の数が決定的に少なく、動詞の時制すら辞書で確かめることが多い。あまりに気が遠くなる作業です。そこまでして懸命に読むのは、英国王室本よりはAriane Dollfus著『Noureev : L'insoumis』のほうが楽しそうだし、2冊のヌレエフ本もないがしろにしたくありません。それでも、あと1~2章くらいは『バッキンガム』を読んでもいいかなと迷っていますが。

もしフランス語の原書を楽に読める人が新倉本とMeyer-Stabley本を比較してくれるなら、特に目立つ個所だけでも、数年がかりの列挙でも、私は喜んで読みに行きます。フランス語と翻訳と英国王室を同時に好きな人が多くなさそうなのがネックですが。

ヌレエフ本の記事についての今後の課題

1. 確証不足な個所を確定した記事に昇格させる

今年最初の記事にも書きました。私の実力だと実現には一苦労ですが、もちろん、私が一番やりたいのはこれです。

2. 『Noureev』について思うことも書く

これ、2013年最初の記事のときから、1月と6月に節目の記事を書くたびに言い続けています。なのに今まで果たせない理由は2つ。

  1. 新倉真由美訳のネタが多過ぎる。新規記事の頻度は減っても、上に書いた確証不足な個所について考えることは今もある。
  2. 何が正解とは言いづらい分野に踏み込むのはためらわれる。

それでも、「当時プルミエ・ダンスールだったマニュエル・ルグリ」とか、「ダニエル・エズラロー振付『In the Middle Somewhat Elevated』」とか書いてある愉快な本を、『ヌレエフ』訳者あとがきで新倉真由美が「膨大なデータに裏付けられた事実」とか何とか褒めちぎるのを読むのは、何ともむずかゆいものです。Meyer-Stableyが書いたことは『ヌレエフ』の中身と違うし、私は新倉真由美の絶賛が本心だと思いませんが、それ以外にも、そもそも原本がそれほどの本ではないと思うのです。バレエ素人の芸能記者にも伝記を書きたいと思わせるのは、ヌレエフの大きな影響力のたまものだし、私はMeyer-Stabley本をかなり楽しく読んでいます。でもヌレエフの貴重な参考文献としてすべて信じるのはお勧めできません。

3. 既存の記事を分かりやすく書き直す

私のブログの目的上、『ヌレエフ』や『密なる時』を読んだ人や読もうとしている人に分からない記事を書いては意味がありません。ただでさえ私のブログはフランス語が多くて取っつきにくいと思います。時間をかけない飛ばし読みでも、フランス語の文法を深く考えなくても、新倉真由美訳のどこがおかしいかを理解しやすい記事にする努力は、記事の公開後も続けたいです。

今のところ、『密なる時』の当初の記事の読みにくさが目立ちます。あの頃(2012年末から2013年初め)は私の記事の長文化が始まった一方、箇条書きや小見出しなど、要点を見やすくする工夫をろくにしていなかった時期なので。『ヌレエフ』優先で長らく後回しにしましたが、そろそろ手を付けたいです。

感動の渦から外された近くの観客

『ヌレエフ』P.303:
天井桟敷の最前列からブラボーという声と拍手が聞こえると、花束が舞台の上に投げられ散らばった。
Meyer-Stabley原本:
Des premiers rangs au poulailler, tandis que crépitent les bravos, des fleurs sont jetées et jonchent le plateau.
Telperion訳:
最前列から天井桟敷まで、喝采が弾けた一方、花が投げられ、舞台を覆った。

1992年10月8日、ヌレエフ振付「ラ・バヤデール」全幕初演後のカーテン・コール。すでにヌレエフは病が重く、観客の前に姿を見せるのはこれが最後となった。

仏文和訳

文の最初の"Des premiers rangs au poulailler"の中にあるdesは"de les"の、auは"à le"の縮約形。分かりやすさのために縮約形を元の2語に戻すと、"De les premiers rangs à le poulailler"となる。これは"de A à B"(AからBまで)という形をしている。だから「天井桟敷(le poulailler)の最前列(les premiers rangs)から」でなく「最前列から天井桟敷まで」。

感動が広がった範囲の差

このカーテン・コールは、この本の中でも有数の胸をゆさぶられるシチュエーション。「パリ中が彼に残された時間が多くないことを知った」(新倉本P.304より)は多分誇張ではない。引用直前の文は、新倉真由美訳では「舞台裏でも舞台上でも、すべての人の顔に涙が流れていた」。舞台裏と舞台上なのだから、これは「ラ・バヤデール」制作にかかわったバレエ関係者たちの反応。そして次の文で書かれるのが、観客の反応。

新倉真由美の文には、ごくわずかながら違和感があった。なぜ、ブラボーの声がかかるのが、天井桟敷の最前列というはるか遠くからなのだろう。「すべての関係者が涙を流した」に続くべき文は、「すべての観客が喝采した」だろうに。Meyer-Stableyは厳密な事実よりも場面の盛り上げを重視するライターだと私は思うし、近くの観客がブラボーと叫ばなかったというのは事実ですらなさそう。でも、原文に目をやったことはあるものの、しっかり訳そうとはしなかったため、舞台の一番近くから一番遠くまでの観客が喝采しているということに、私は今まで気づかなかった。正直、手抜かりだった。

実は、関係者に関する文は、原文だと単に"sur les visages"(顔の上に)であり、「すべての人の」は新倉真由美による追加。しかし、関係者の反応が少し誇張されたからといって、観客の反応がかなり狭められたことは相殺できないと思う。普通の公演後ならまだしも、この公演については大目に見たくない。

開放されるのはステート・ルームを仕切る扉

『バッキンガム』P.50:
宮殿の出入りの門は開放され、それぞれの部屋で巨大なシャンデリアが光景を照らし出す。
Meyer-Stabley原本:
De part et d'autre et de bout en bout des Grands Appartements, les portes-miroirs pliantes restent ouvertes et dans chaque pièce des lustres massifs éclairent la scène.
Telperion訳:
威容ある続き間の両側の端から端まで、折り畳みの鏡張りの扉は開いたままになり、各部屋で重厚なシャンデリアが舞台を照らす。

宮殿2階で王族が列を作って豪華な部屋の数々を移動していくときの様子。

話題になっているのは終始2階の部屋

"Grands Appartements"の新倉真由美訳の不統一

文中の"Grands Appartements"が初めて出るのは、引用した文の少し前にある、舞踏会の間の説明に含まれる文。王族の行列について説明する最初の文でもある。

『バッキンガム』P.50:
舞踏会や晩餐会に使うときには、大広間の中を王室の人びとが行列を作って歩く光景を目にすることができる。
Meyer-Stabley原本:
Lorsqu'on l'utilise pour les bals ou banquets d'État, les cérémonies offrent le spectacle de la procession royale à travers les Grands Appartements.
Telperion訳:
国が催す舞踏会や宴会でここを使うときは、威容ある続き間を横切る王族の行列という見せ場が儀式で見られる。

2つの文を見比べると、新倉真由美は"Grands Appartements"に「大広間」「宮殿」という2つの訳語を当てているのが分かる。同じ個所で王族の行列について説明する文にしては、範囲が違い過ぎる。

次の2つの理由から、「大広間」より「宮殿」のほうが、"Grands Appartements"と呼ばれる場所からかけ離れている。もっとも、新倉真由美が「大広間」と訳した部屋が宮殿1階にあるので(英名は"the Grand Hall")、2階のここを「大広間」と呼ぶのも紛らわしいが。

理由1. 具体的に挙がるのは限定された部屋

"Grands Appartements"が出てくる2つの文の間で、王族の行列が通る場所は順番に名指しされている。参考までに英名を新倉真由美の訳語に添えて書く。

  1. 白の客間 (the White Drawing Room)
  2. 音楽の間 (the Music Room)
  3. 青の客間 (the Blue Drawing Room)
  4. 晩餐の間 (the State Dining Room)
  5. 舞踏会の間 (the Ballroom)

これらの部屋はバッキンガム宮殿の精華とも言うべきステート・ルーム(the State Rooms)の一部だが、「宮殿」と呼ぶのは大ざっぱ過ぎる。

理由2. appartementの語義は複数の部屋

appartementの最も一般的な意味は、集合住宅に含まれる住居の単位である複数の部屋。Meyer-Stabley本では、壮麗な儀式用の広間を指すことも、住み込み職員の私室を指すこともあるという、訳すのが難しい言葉。だが、どちらにしても建物全体を指す言葉ではない。

扉の役目

"Grands Appartements"の両側(de part et d'autre)の端から端まで(de bout en bout)開いたままになっているのは、折り畳みの"portes-miroirs"。扉(porte)と鏡(miroir)をつなげただけの単純な単語で、『プログレッシブ仏和辞典第2版』やラルース仏語辞典では見つからなかった。しかし、扉と鏡の両方の機能を持ち、開けたままにできるのだから、鏡張りの扉だろうと見当が付く。

新倉本P.38の宮殿2階見取り図を見ると、先ほどの5部屋はあの順に隣接している。恐らく、これらの部屋を隔てる壁に、大きな鏡張りの扉があるのだろう。そして儀式のときは扉を開け放ち、部屋から部屋へと王族が直接移動する。そうしないと、廊下の役目があるピクチャー・ギャラリー(新倉本の見取り図では「絵画の間」)をいちいち経由しなければ次の部屋に行けず、"à travers ~"(~を横切って)という表現が似合わない。

私は前に、porteをとにかく「門」と訳そうとする新倉真由美の思い込みの強さに触れたが、ここもその一つ。王族が横切る場所の話をしているのだし、「鏡」や「折り畳みの」(pliantes)という、門には似つかわしくない単語もあるのに。

英国王室公式サイトで見られる鏡張りの扉

さっきは「恐らく」と書いたが、英国王室公式サイトのおかげで、扉が実在することを今のところ確認できる。新倉本巻末にも、王室公式サイトのURLが載っている。

  1. 青の客間のバーチャル・ツアーで、カーソルをドラッグして、窓が右側に来るように向きを定める。すると真正面に鏡張りの扉がある。その向こうに晩餐の間があるはず。
  2. ここで窓が左側に来るように、反対側を振り返る。すると真正面に開いた扉があり、その向こうに青い柱が見える。これは音楽の間のもの。新倉本P.50にも「音楽の間には(中略)ダークブルーの一六本の柱がある」と書かれている。さらに遠くを見ると、シャンデリアの向こうに大きな絵がある。
  3. 白の客間のバーチャル・ツアーに行けば、先ほど見えた絵が白の客間にあることが確認できる。扉が閉まっているので白の客間から青の客間は見えないが、音楽の間の青い柱は見える。
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プロフィール

Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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