伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2014.05.24
池が原因で生まれた喜劇
2014.05.23
シャンデリア制作者に化けたピアニスト
2014.05.22
鳥瞰図で地面すれすれを見る?
2014.05.21
『バッキンガム宮殿の日常生活』のチェック
2014.05.16
スノードン家のおざなりな呼び方

池が原因で生まれた喜劇

『バッキンガム』P.55:
庭園の一番西側には〈アイトンの泉水〉と呼ばれている小さな池がある。滝もあり、ヴィクトリア時代にはこの辺りで芝居を行っていた。
Meyer-Stabley原本:
À l'extrémité ouest du parc se trouve un petit étang, baptisé « bassin d'Aiton », avec une cascade miroitante, qui donna lieu à une scène comique sous le règne de Victoria.
Telperion訳:
庭園の西端には「エイトンの泉水」と呼ばれる小さな池が、きらきら光る滝とともにある。この池が原因で、ヴィクトリア女王の治世に喜劇的な場面が生まれた。

宮殿の庭の説明より。

仏文解釈

文の最後にある関係節"qui donna lieu à une scène comique sous le règne de Victoria"は、文の主語である"un petit étang"(小さな池)を修飾している。関係代名詞がquiなので、この小さな池は次のようなものだと分かる。

un petit étang donna lieu à une scène comique sous le règne de Victoria. (小さな池は、ヴィクトリアの治世下で喜劇的な場面の原因となった。)

文中で使われている"donner lieu à ~"は、「~を引き起こす、~の原因になる」というイディオム。

なお、文法的には、この関係節は"un petit étang"でなく直前の"une cascade miroitante"(きらきら光る滝)を修飾することもできる。しかしこの場合、後で述べる事情から、滝でなく池だと推測できる。

喜劇的な場面とは

引用した文に続いて、1841年2月のエピソードが語られる。アルバートが池の上でスケートしようとしたら氷が割れ、ヴィクトリアの目の前で池に落ち、泳いで難を逃れたというもの。これこそ、ヴィクトリア治世に起きた喜劇的な場面。池がその原因になったというMeyer-Stableyの記述も充分納得できる。

新倉真由美は「池(または滝)が喜劇の場面の原因になった」を「その辺りで芝居を上演した」と解釈したらしい。しかし、私にはその解釈が妥当には思えない。

  • ある場所で芝居を上演することを「その場所は芝居の原因となった」とは普通言わない。演劇関係者が「ぜひここで芝居を上演しよう」と思い詰めたという可能性がないではないが、単に「芝居を行っていた」と訳している新倉真由美自身、そう考えているように見えない。
  • 庭園の端の小さな池のほとりで芝居を上演するのはとても手間がかかりそう。まして19世紀の英国王室が、そんな斬新なことを習慣的に行うとは信じられない。

シャンデリア制作者に化けたピアニスト

『バッキンガム』P.50:
アーサー・ルビンスタインが自ら作った数々のシャンデリアは宮殿の中で最も美しい。
Meyer-Stabley原本:
les lustres immenses demeurent les plus beaux du palais. Arthur Rubinstein lui-même s'y produisit.
Telperion訳:
広がるシャンデリアの数々は宮殿で最も美しいものであり続けている。アルトゥール・ルービンシュタインその人がここに姿を現した。

バッキンガム宮殿内の音楽の間(英名は"the Music Room")の説明。

仏文解釈

新倉真由美はどうやら、2番目の原文を"Arthur Rubinstein lui-même les produisit."と混同したらしい。

  1. 文の述語"s'y produisit"で使われている動詞は、代名動詞"se produire"であり、意味は「生じる、現れる、出演する」など。単なる他動詞であるproduire(作り出す)とは違う。
  2. yは「そこに、そこで」などという場所を指す代名詞。この場合は、引用したのより1つ前の文で名指しされた音楽の間を指す。「それを」とか「それらを」とかいう意味ではない。

2番目の原文でシャンデリアは触れられていない。完全に別な文。

ルービンシュタインの素性

ピアノ曲に偏ったクラヲタ歴が長い私にとって、この新倉真由美訳は『ヌレエフ』や『密なる時』にあるどんな「明らかに事実でない文」よりも噴飯もの。アルトゥール・ルービンシュタインは20世紀に活躍したピアニストのなかでも、特に高名な一人なのだから。

2014年現在では、googleでArthur Rubinsteinを検索すると、ルービンシュタインの日本語wikipedia記事がトップに出る。『バッキンガム』が出版された2011年でも、ルービンシュタインを扱うページが上位にずらずら出たはず。たとえインターネット検索がなかった時代でも、音楽の間に来る人間としてまず考えられるのは音楽家だと推測し、クラシック人名事典か何かで正体を知ることはできたろう。

それに、「仏文解釈」で書いたとおり、あの原文に「シャンデリアを作った」という解釈はありえない。たとえRubinsteinについて調べる気がなくても、原文をしっかり読んで「アーサー・ルビンスタイン自身がそこに現れた」にすれば、人名表記は別として、どんな職業の人間にも通用する文になったのに。

鳥瞰図で地面すれすれを見る?

『バッキンガム』P.44:
鳥瞰図で見ると、バッキンガム宮殿は実際地面すれすれに真四角に見える。経験の浅い従僕には、立方体のラビリンスの迷宮のように見えたのだろう。
Meyer-Stabley原本:
À vol d'oiseau, le palais de Buckigham ressemble, en effet, à un carré ; à ras du sol, tel que le voit un valet inexpérimenté, le carré devient un cube, une architecture labyrinthique.
Telperion訳:
上から見たバッキンガム宮殿は、実際に正方形に似ている。不慣れな召使が見るように地面の高さからだと、正方形は立方体になり、迷宮のような建築になる。

2つの視点の対比

2つの文がセミコロンで区切られている。"à ras du sol"(地面すれすれで)は第2文の冒頭にあるので、第1文の「正方形に見える」でなく第2文の「正方形が立方体になる」を修飾している。

第1文の冒頭の新倉真由美訳「鳥瞰図で見ると」からは、宮殿の図面を見ている印象を持つかも知れない。しかし、不慣れな召使が地面のすぐ上で宮殿を見る様子を述べた第2文と対比しているのだから、第1文も宮殿を直接見る様子を述べていると考えられる。実際、「鳥瞰図」に当たるフランス語は"perspective à vol d'oiseau"であり、"à vol d'oiseau"は「上空から見て」。

つまり原文は「宮殿は上から見ると正方形、横から見ると立方体に見える」という意味になり、理にかなう。

新倉真由美の文の不自然な点

  1. 鳥瞰図とは上から見た図。地面すれすれの様子を見るために鳥瞰図を持ち出すのはとても奇妙。
  2. 実害はないが、「ラビリンスの迷宮」も奇妙な表現。ラビリンスの日本語訳として最も広まっているのは「迷宮」だと思うのだが。「迷宮の迷宮」とは?

新倉真由美がセミコロンに無頓着な例

『バッキンガム宮殿の日常生活』のチェック

『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の存在はずっと前から知っていましたが、原本と照合する気は長らく起きませんでした。理由はいくつもあります。

  1. バレエの専門家を自負していると思われる新倉真由美や文園社が本気で出版したがる題材に思えない。どうせ『ヌレエフ』出版の許可をもらいやすくするための抱き合わせに過ぎないのだろう。そんな邦訳本の出来など、初めから見当が付く。
  2. 著作例を見る限り、Meyer-Stableyは注目を集める芸能人の本を書くのをルーチンワークにしていると思う。邦訳の出来がどうであろうと、自分に印税が入るだけで満足するのではないか。
  3. 訳本がイギリス王室に無知丸出しだったとしても、私自身がやはり無知なのでなかなか気づけない。
  4. それに王室に思い入れもないので、その紹介本の出来をヌレエフ本のように真剣に案じられない。

でも、最近になって少し考えが変わりました。

  1. たとえ出版関係者が満足しても、読者はたまったものではない。かつて私が『ヌレエフ』を参考文献にしようとしたのに裏切られてがっかりしたことを思うと、わずかではあるが、他人ごとではないという気がする。
  2. 2冊のヌレエフ本からは、「新倉訳が間違いなのが明白」「原本と訳本のずれが大きい」の2点を満たす問題をこれ以上見つけるのは難しくなりつつある。記事を書くのに悩む必要がない誤訳を新たに『バッキンガム』から探すのは、簡単にできる気分転換になるかも知れない。

とはいえ、訳本の本文が348ページという厚い本を読むのは大変です。原書に金を出すのも私にはハードルが高く、どうせならAriane Dollfus著『Noureev: L'Insoumis』と格闘するほうがよほど楽しそうです。ところが、便利なものが見つかりました。『バッキンガム』に載っている原著のタイトルは『BUCKINGHAM PALACE AU TEMPS D'ÉLISABETH II』ですが、それと同じ2002年出版で、内容も同じと思われる『La Vie quotidienne à Buckingham Palace sous Elisabeth II 』が英アマゾンにあったのです。「LOOK INSIDE!」機能付きで!

ざっと見たところ、英アマゾンで公開されている原文は訳本にして約17ページ分。仏和辞書を引きまくる必要がある私にはこれでも手こずる量ですが、収穫を期待できる量でもあります。イギリス王室を知らない私が妥当な訳を提案できるかは自信がなく、記事に仕上げられる数には限りがありそうですが、ちょっとのぞいてみます。

スノードン家のおざなりな呼び方

『ヌレエフ』P.244:
スノードン侯
Meyer-Stabley原本:
des Snowdon
Telperion訳:
スノードン一家

ヌレエフのセレブな友人の一例。ここでいうスノードンとはマーガレット王女の夫のこと。もっとも、新倉本でスノードンの名が初めて出るP.202には「マーガレット&スノードン大佐夫妻」とあるし、マーガレットが王妃呼ばわりされているので、新倉本からはスノードンの素性は明らかとは言えない。

新倉訳の不適切さ

一人だけではない

desは"de les"の縮約形。固有名詞の前に付く複数形定冠詞lesは、「~一家、一族」という意味。だからここで言われているのはスノードン一人でなく一家。実際、新倉本P.202~203を読む限り、ヌレエフはスノードンよりマーガレット王女と親しく、一家ぐるみで交際していたらしい。

爵位が違う

古代中国ならいざしらず、現在「なんとか侯」と言えば、侯爵を指すのが普通だろう。しかしスノードンは伯爵。「スノードン伯」という呼び方は比較的見かけるが、「スノードン候」は少なくともgoogle検索では見かけない。

侯爵にされたもう一人の人物

侯爵でない人物が侯と呼ばれた例はもう一つある。ついでにここに書き加えておく。

『ヌレエフ』P.202:
ロスチャイルド候
Meyer-Stabley原本:
Lord Rothschild
Telperion訳:
ロスチャイルド卿

これもヌレエフのセレブな友人。Meyer-Stabley原本では"Jacob Rothschild"、新倉真由美訳では「ヤコブ・ロスチャイルド」と書かれており、イギリスの男爵であるジェイコブ・ロスチャイルドのことだと分かる。Lordは爵位を持つ貴族一般に対する尊称なので、日本語訳は「卿」でいいと思うのだが、新倉真由美はわざわざ侯爵に限定している。

英国王室本を翻訳する予定のはずなのに

爵位を間違えるのは小さなミスと呼んでよい。でも私の気になるのは、『ヌレエフ』より5か月後の2011年4月付で、『ヌレエフ』と同じくMeyer-Stabley原著、新倉真由美訳の『バッキンガム宮殿の日常生活』が文園社から出版されたということ。イギリス王室の豆知識本らしい。『ヌレエフ』出版のためにやむを得ず抱き合わせたのだろうと想像している。

しかし本を出した以上、知識を求めて真剣にその本を手に取る読者がいるはず。その信頼を裏切らないためにも、きちんとした翻訳で出すのが当然と思う。そのためにはイギリス王室に無知ではいられないはず。『ヌレエフ』後の『バッキンガム宮殿』では爵位をろくに調べず創作するような真似を控えるようになったのか、気になるところ。

更新履歴

2016/5/13
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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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