伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2014.02.25
テネシー・ウィリアムズの言葉が事実とは限らない
2014.02.21
他の誰よりも前に耐えたプティ
2014.02.17
共同作業の経験は豊富だったヌレエフ
2014.02.14
誤訳を守るために原文を書き換えた疑惑 (2)
2014.02.08
誤訳を守るために原文を書き換えた疑惑 (1)

テネシー・ウィリアムズの言葉が事実とは限らない

『ヌレエフ』P.204:
アンディ・ウォーホルが催したパーティでルドルフと出会ったテネシー・ウィリアムスは一夜を共にした。
Meyer-Stabley原本:
Tennesse Williams qui rencontrera Rudolf lors d'une party organisée par Andy Warhol à son studio de la 47e Rue Est, sera, lui, tellement séduit par le personnage qu'il se vantera même d'avoir passé la nuit avec lui.
Telperion訳:
アンディ・ウォーホルが東47番街のスタジオで企画したパーティでルドルフと出会うテネシー・ウィリアムズは、この人物にあまりに誘惑されたため、一夜を共にしたとまで自慢することになる。

ウィリアムズの話への信頼を留保した原著者

「テネシー・ウィリアムズがヌレエフと一夜を共にした」という話の出所はウィリアムズ自身。しかしその話しぶりをMeyer-Stableyが"se vanter"と表現しているのが曲者。"se vanter"には「自慢する」の他に「ほらを吹く」という意味もある。つまり、自慢の内容が事実でもそうでなくても使われる言葉。Meyer-Stableyはウィリアムズの話が本当でないという可能性を否定していない。

ウィリアムズの話を事実と断定した新倉真由美

新倉真由美は「ウィリアムズが自慢した」をばっさり省き、揺るぎない事実のように書いた。しかし、原著者がわずかに疑問を残す書き方をしているものを「膨大なデータに裏付けられた事実」(訳者あとがきより)のように見せるのは、「バレエ界にとり貴重な記録」(訳者あとがきより)より、薄弱な根拠をもとに大げさな記事を書くタブロイドに似合う。

「自慢した」より信頼性のありそうな書き方だったとしても、「誰かがこう言っていた」を「こうだった」と言い換えていいかどうか。私は疑り深いほうなので、誰が言ったのか、多くの人が言ったのかどうかによって、その話を信じるかどうかは変わる。信じるか疑うかは読者によって違うだろうか、どちらにしても話の出典は重要な要素。せっかく名を挙げて書いてあるのを省いてもらいたくない。

おまけ1 - 別なヌレエフ伝記も断定を留保

Diane Solway著『Nureyev: His Life』のペーパーバックP.322にも、ウィリアムズとヌレエフに性的関係があったかもしれないという話が書かれている。

Williams had recently met Nureyev in London and had hinted to Persky that he and Nureyev had had a sexaul encounter in London.

ウィリアムズは最近ロンドンでヌレエフと会っており、二人がロンドンで性的な出会いを果たしたとパースキーにほのめかした。(Telperion訳)

“I hope for Tennessee's sake it was true,”Persky said later.

「テネシーのためにも本当だったらよいですね」とパースキーは後に語った。(Telperion訳)

パースキーとはウィリアムズとも仕事をしたプロデューサー、レスター・パースキー(Lester Persky)。Solwayはパースキーにインタビューしている。真偽に立ち入ることなく、一つの証言として提示するのにとどめている。

おまけ2 - ヌレエフとウィリアムズが出会った場所は不確定

上の引用を読めば分かるとおり、二人はMeyer-Stabley本だとニューヨークで、Solway本だとロンドンで出会っている。Solway本によると、ウィリアムズがロンドンでヌレエフと会った後、ウィリアムズとパースキーの発案でウォーホルが東47番街のスタジオ、ファクトリーで多分1965年にパーティーを開いた。Meyer-StableyとSolwayのどちらが正しいのかは私には判断できないが。

更新履歴

2014/9/30
Meyer-Stableyについての記述と新倉真由美についての記述を分ける

他の誰よりも前に耐えたプティ

『密なる時』P.76-77:
当初私はなんとか彼の急変ぶりに耐えようと試みたが、彼との殴り合いを回避するにはこれ以外の解決策が見つからなかった。もし喧嘩になったら、この愛してやまない怪物と私は転げ回って殴り合ったかもしれない。
プティ原本:
J'étais le premier à supporter cette crise, mais n'avais pas d'autre solution pour éviter le pugilat dans lequel le monstre aurait tant aimé se rouler avec moi.
Telperion訳:
私はこの危機に誰よりも真っ先に耐えたが、殴り合いを回避するには、他に解決法はなかった。もし殴り合いになれば、あの怪物は私と共に転げ回るのを大変気に入ったろうが。

「ノートルダム・ド・パリ」ニューヨーク公演の打ち上げパーティーでヌレエフに悪罵を浴びせられた翌日、絶交に踏み切ったプティ。

ヌレエフへの愛情は話題になっていない

文の最後の"le monstre aurait tant aimé se rouler avec moi"は、プティが回避した"le pugilat"(殴り合い)を修飾する関係節から関係詞"dans lequel"を除いた文。この殴り合いが実現したら行われたろうことを述べている。これを訳すと、「怪物は私と共に転げ回るのを大変好んだであろう」となる。

構文解析

  • 主語は"le monstre"(怪物)
  • 述語は"aurait aimé"(好んだであろう)
  • 目的語は"se rouler avec moi"(私とともに転げ回る)

新倉真由美は恐らくこう解釈している。

  • 主語は"le monstre tant aimé"(大変愛される怪物)
  • 述語は"aurait se rouler"(転げ回ったであろう)

それが正しくない理由は次のとおり。

  • aiméはauraitより遠くにある"le monstre"にはつながらない
  • auraitはaiméより遠くにある"se rouler"にはつながらない
  • auraitと動詞の原形"se rouler"が合わさってひとつの述語になることはありえない

「最初にする人」と「最初にすること」の違い

最初の原文"J'étais le premier à supporter cette crise"の直訳は、「私はこの危機に耐える最初の人間だった」。"le premier à ~(動詞の不定詞)"は「~する最初の人/もの」だが、主語は私(J')なのだから、premierは「最初のもの」でなく「最初の人」。

「~する最初の人/もの」という言い回しを消さずに、対応する新倉真由美の訳「当初私はなんとか彼の急変ぶりに耐えようと試みた」を書き直すと、「私がした最初のことは、なんとか彼の急変ぶりに耐えようと試みることだった」といった形になる。つまり、最初なのはプティの耐えるという行動。

まとめるとこうなる。

プティの文
  • 最初なのはプティ自身
  • 比べる対象は他の人びと
新倉真由美の文
  • 最初なのはプティの耐えるという行動
  • 比べる対象はプティのしうる他の行動

プティの言葉がどういう意味なのか、私の推測は2つある。

  1. 「この危機」とは打ち上げパーティーの事件だけでなく、稽古中から積み重なってきたプティとヌレエフの不仲全体を指している。「私は誰よりも前から耐えてきた」と言うことで、堪忍袋の緒が切れるのが必然だったと訴えている。
  2. 「私はこの危機に最初に耐える」とは、普段のプティに関する一般論。「私はダンサーからの罵倒ごとき、他の誰よりも難なく受け流すことができる」と言うことで、それをこの時できなかったプティがどれだけ精神的に痛手を受けていたかをほのめかしている。

2番目の推測の場合だと「この危機」より「このような危機」と言いそうなので、私は1番目の推測に傾いている。でも私の語学力では、2番目の推測がありえないとは言い切れない。

1番目の推測どおりの場合、プティの「他の誰よりも前から」も、新倉真由美の「他の何よりも前に」も、「早くから」という意味では似たようなものかも知れない。それでも私は「他の誰よりも前から」という表現を尊重したい。プティが自分と比べている相手の中には、間違いなくヌレエフも含まれているはずだから。

共同作業の経験は豊富だったヌレエフ

私がMeyer-Stableyの見解について今まで異議を唱えたのは、時折「有名人との恋愛関係のうわさを信じすぎ」と書いてきたくらいでしょうか。ヌレエフは見る人によって大きく違うイメージを呼び起こすので(『密なる時』冒頭にあるように)、人によって言うことが違っても、それ自体はおかしくありません。はっきり白黒つけられない題材では物言いをつけにくいものです。でも今回、それでもちょっと違うんじゃないかと思ったことを書いてみます。

監督となって共同作業が開花したというMeyer-Stableyの主張

何が引っ掛かったかというと、次の記事に載っている「ヌレエフはパリ・オペラ座バレエの監督になって初めて共同作業で開花した、それまでとは違う性質の成功を収めた」という見解です。

ヌレエフがパートナーとなった女性ダンサーたちの多くと友好的な関係だったことは12章に書かれていますが(訳本ではその描写が減らされましたが、それでも残ってはいます)、パートナー以外のダンサーたちとの関係を築けたのは監督になって以後という印象です。「以前は会話をかわさずに踊っていた」と書かれるくらいですから。

ヌレエフの協力的な態度の例

でも、ヌレエフについての文をいろいろ読むと、ヌレエフはロイヤル・バレエでよく踊っていた1960年代から、才能と意欲があるダンサーにとっては頼れる存在だったようです。インターネットで読める記事では、このあたりが分かりやすいですね。

Telegraph紙、デヴィッド・ウォールの訃報

デヴィッド・ウォールは1960~80年代のロイヤル・バレエで活躍しました。

For his part, Nureyev regarded Wall with both wariness and a rare affection, seeing him as the young lion most likely to steal his own position, yet valuing his pleasant friendship.

ヌレエフのほうでは、用心深さとまれに見る好意をもってウォールを見ていた。自身の地位を盗み取る可能性が最も高い若獅子と見なしながらも、彼の心地よい友情を重んじていた。(Telperion訳)

Time誌、ヌレエフの生涯の概要より

パリ・オペラ座バレエで若い才能を育てたことに触れた後にこう続きます。

As Royal's dancers had learned years before, when it came to teaching, he was direct, intelligent and tireless.

ロイヤルのダンサーたちが何年も前に学んだように、教えることになると彼は率直で聡明で根気強かった。(Telperion訳)

Independent紙、ヌレエフの訃報より

ヌレエフがイギリスのバレエ界を革新したことを書いた後にこうあります。文脈的にこれもイギリス時代を指しているでしょう。

A reason for Nureyev's influence with dancers was his generosity in sharing the knowledge he possessed, not as some special favour, but as part of the job, an extension of his commitment to perfection.

ヌレエフがダンサーたちに及ぼした影響の理由は、自分の知識を分かち合うことに寛大だったことである。特別な好意としてではなく、仕事の一環として、完璧さへの傾倒の延長としてである。(Telperion訳)

また、Diane Solway著『Nureyev: His Life』の索引には"teaching and coaching of dancers by"(ヌレエフによるダンサーへの教えとコーチ)という項があるくらいで、たとえばペーパーバックP.281には、1963年にロイヤル・バレエでの「影の王国」シーンを演出したとき、影の一人モニカ・メイソンに難易度の高い技をどんどんやらせたそうです。1960年代に「くるみ割り人形」で相手役となったメール・パークや1970年代に「眠れる森の美女」で相手役となったカレン・ケインは、ヌレエフのおかげでキャリアが躍進しています。ヌレエフは自分の振付を上演するとき、ダンサーを指導する機会はいくらでもあったし、十分にそれを活用したようです。

まとめ

そういうわけで、ヌレエフが監督としてバレエ団のレベルを上げたのは、新境地を開いたのではなく、それまでの経歴の延長上にあると私は思います。本当にダンサーたちと会話なしに共演していたのなら、それはパリ・オペラ座バレエが鎖国的でゲストに無関心だったせいではないのかと、私は勘ぐっています。1980年のニューヨーク・ツアーのキャンセル事件もあるし、1961年にキーロフ・バレエがパリに来たとき、フランスのダンサーがキーロフのダンサーの練習を見に来ないとヌレエフが語っていましたし(訳本P.81)。

Meyer-Stableyがパリオペ以外のバレエ団やダンサーに大して興味がないので、そちらでのヌレエフの業績を書くのを省いた可能性もありますね。別格のフォンテーンの経歴はたくさん書いていますが(訳本ではほとんどカット)、ロイヤル・バレエの扱いは、結局フォンテーンがいたバレエ団という程度ですから。

誤訳を守るために原文を書き換えた疑惑 (2)

原本を信頼するということ

私は外国語の文を読解するとき、次のことを心がけています。

  1. 個々の単語に辞書から外れていない意味を当てる
  2. すべての単語の役割を説明できるように原文の構文を解析する
  3. その上で、前後の文脈から外れない、筋の通った意味を探す

このすべてに成功した解釈がきっと存在すると信じるのが大前提です。Meyer-Stableyはこの手の本を何冊も出してきたライター。それなりに読みやすく首尾一貫した文を書けるのだろうと思います。これは間違った記述だと思わざるを得ないこともありますが、まずは原文を手直ししないで可能な限り妥当な内容の訳文を考えるようにしています。

新倉真由美は『ヌレエフ』の訳者あとがきで、原本を褒めたたえてみせます。

それは疑問点の解決にとどまらず、ヌレエフについて知らなかったこと、知りたかったことがぎっしり詰まった宝箱のようでした。
著者はジャーナリストならではの客観的で冷静な切り口で、膨大なデータに裏付けられた事実を淡々と綴っています
それはバレエ界にとり貴重な記録になるばかりでなく、ジャンルや世代を超え(原文ママ)多くの人びとにインパクトを与えると確信したからです。

でも実際には「これは原著者の間違いに違いない」と原文を変えまくっているとしたら、それは私にとって余計に腹立たしいことです。語学力不足と不注意だけでも大問題なのに、そこに「自分の考えは原文より優先される」という傲慢さが加わったら目も当てられません。

原本の間違いを疑ったとき

もっとも、Meyer-Stableyは実際に間違えます。Meyer-Stableyの間違いを新倉真由美が妥当に修正した例として、今までに私が気づいたのは次のとおりです。

P.57 バレエの演目
  • 原文はGaeney
  • 訳文は“ガヤーネ”(フランス語のスペルはGayaneなど)
P.205 イタリアの島
  • 原文は« I Galli »
  • 訳文は「リ・ガリ」
P.282 1961年から1987年までの年数
  • 原文は"Vingt-neuf ans"(29年)
  • 訳文は「二六年間」
P.284 ジェームズ役があるバレエの演目
  • 原文は"Les Sylphides"
  • 訳文は“ラ・シルフィード”

でも、Meyer-Stableyの書くことが参考文献に沿っていたり、筋道立った説明だったりするのに、新倉真由美に顧みられなかった例のほうがはるかに多いのです。前の記事に書いた「ヌレエフの亡命を援護した検査官」や「エトワールを任命する芸術監督」に至っては、訳本しか知らない読者にはMeyer-Stableyがいい加減なジャーナリストに見える結果になっています。Meyer-Stableyはバレエの門外漢とはいえ、文献をいろいろ読んだうえで本を書いています。仏和辞書でinspecteurの意味として「刑事」より「検査官」が先に載っていたという程度の理由で、否定するべきではありません。

もし原本がどうしても間違いだらけに見えるなら、訳者が間違いを尻拭いして回るより、訳本出版を取りやめるほうが有意義でしょうね。新倉真由美は文園社に翻訳を依頼されたのではなく、自らが出版を文園社に承諾させたのです。「バレリーナへの道」94・95号でコラムや取材に活躍していることからも、文園社での新倉真由美の立場の強さがうかがえます。

新倉真由美は本当にMeyer-Stableyを「膨大なデータに裏付けられた事実を綴るジャーナリスト」と思っているのでしょうか。貴重な情報の集積体を日本に紹介する使命に駆られながら、故意を疑うレベルの読み落としや読み間違いの数々って。新倉真由美の思い込みをもっともらしく見せるための大義名分として、体よくMeyer-Stableyの名が使われているほうが、実情に近く見えますが。

誤訳を守るために原文を書き換えた疑惑 (1)

文の一部を誤解するのはよくあることです。でも、近くの別な部分を読んで「あれ、さっき書いてあったことと矛盾している。そうか、さっきのは勘違いだ」と間違いに気づくことも多いものです。こうして自分で誤訳を修正しやすいことが、長文のいいところ。

ところが、新倉真由美の訳文を読んでいると、勘違いのままだと矛盾する他の個所が都合よく消えていることがあります。不注意が重なっただけかもしれません。でも、私は矛盾をなくすためにわざと消したのかもと疑ってしまいます。

「新倉真由美のヌレエフ像に合うように原本を都合よく書き換えていないか」と思える個所がいくつかあることについては、以前「訳本が招くヌレエフの誤解」シリーズで書きました。今回はそこで挙げた例を外し、純粋にひとつの勘違いを守るために正しい別な個所が消されたように見える例を挙げます。

特に目立つ例

まず、私の印象に最も残っている例を挙げて説明します。

1. バリシニコフが亡命した時にいた場所

もともとの指摘は「三日月クラシック」にあるのですが、そこで私が誤訳をやらかしていたので、修正して再掲します。

『ヌレエフ』P.214:
一九七四年バリシニコフがキーロフバレエ団の巡業でヨーロッパに滞在しているとき、
Meyer-Stabley原本:
Lorsqu'en 1974 Barichnikov passe à l'Ouest en profitant d'une tournée du Kirov à Toronto,
Telperion訳:
1974年バリシニコフがキーロフのトロント・ツアーを利用して西側を訪れたに渡ったとき

"passer à l'Ouest"(西側に渡る)は単なる訪問でなく、亡命を指す言葉。別な場所でもその意味で使われていました。次の文に"cette défection"(この亡命)とあるのに、前の文で亡命が行われていたと気づかなかったとは、うかつでした。

さて、本題です。先ほど私が書いた、勘違いに気づくきっかけになるべき部分が都合よく消える様子を簡単に書くと、こうなります。

勘違い
Ouest(西)とはヨーロッパ。
反証
原本には続いてTorontoとある。トロントはカナダの都市なのだから、ヨーロッパではありえない。
本当の解釈
Ouestはアメリカを筆頭とする西側諸国。
新倉真由美の訳
「トロント」が消える。

Ouestをヨーロッパと思うこと自体は、そうおかしな連想だとは思いません。でも、そうすると「トロントでの巡業でヨーロッパに滞在し」という変てこな訳文になります。推測の余地があるOuestと、疑問の余地がないToronto、どちらを信じるかといえば、当然Torontoでしょう。だから「なんだ、Ouestはヨーロッパではないんだ」と簡単に軌道修正できるはず。

しかし新倉真由美の文では「ヨーロッパ」でなく「トロント」が消えました。もちろん、バリシニコフがトロントで亡命したのは歴然たる事実です。しかしそれを知らなければ、一見もっともらしい文になりました。

説明を簡略化して、他の分かりやすい例をいくつか挙げます。

2. ヌレエフの亡命を援護した2人の男性(P.97)

詳細記事
「三日月クラシック」の原文比較3
勘違い
inspecteurは「検査官」。
反証
2人はpolicierとも何度か呼ばれている。policierは「警官」で、「検査官」という訳はない。
本当の解釈
inspecteurは「刑事」。これなら同時にpolicierであっても矛盾はない。
新倉真由美の訳
policierもすべて「検査官」(または誤植かもしれない「検察官」)と訳される。
原本ではpolicierが使われている個所の例
  1. クララがフランスの検査官二人と戻ってくる(P.98)
  2. あれはフランスの検察官なの。(P.98-99)

3. ヌレエフがもたらしたもの(P.303)

詳細記事
「三日月クラシック」の原文比較4
勘違い
「ルドルフは《 touche de perfection 》を~にもたらす」という形の原文は、「ルドルフは完璧ないでたちで~に向かう」と言い換えられる。
反証
  1. 原文は「彼が最後の《 touche de perfection 》を振付にもたらす」という形。ヌレエフが振付に向かうとは意味不明。
  2. これは本番前日のこと。ヌレエフは翌日の本番にも出席するのに、本番前日が「最後の完璧ないでたち」のはずがない。
本当の解釈
問題の個所はヌレエフが振付を完璧に見えるように仕上げるさまを表す。翌日発表するのだから、手を加えるのは本番前日が最後。
新倉真由美の訳
  1. 「振付」(フランス語はchorégraphie)が「劇場」(フランス語はthéâtre)になる。
  2. 「最後の」が消える。

4. エトワールを任命するのは(P.272)

詳細記事
「三日月クラシック」の原文比較5
勘違い
エトワールを任命するのは芸術監督。
反証
任命するのは"le directeur de l'Opéra"、推薦するのが"le directeur de la danse"だとある。芸術監督に当たるフランス語が"le directeur de la danse"なのは、原本を読めば明らか。
本当の解釈
エトワールを任命するのは、推薦者であるバレエ団芸術監督の上位にいるオペラ座総裁。
新倉真由美の訳
"le directeur de l'Opéra"が「芸術監督」と訳される一方、普段は「芸術監督」と訳される"le directeur de la danse"がここに限って「バレエ部門の責任者」と訳される。

5. オランジュリー(P.226)

詳細記事
オランジュリーは美術館でなくレストラン
勘違い
文中のl'Orangerieは有名な美術館。
反証
"de Jean-Claude Brialy(ジャン=クロード・ブリアリーの)が付いている。オランジュリー美術館はブリアリーの私有物ではない。
本当の解釈
オランジュリーはブリアリーがオーナーをしていたレストラン。
新倉真由美の訳
「ジャン=クロード・ブリアリーの」が消え、「美術館」が追加される。

なぜ都合の良い変更が多発するのか

第3の例はtoucheの解釈がちょっと難しいですが、他は明快な文ばかり。あれだけ明快な矛盾点がすべてたまたま見過ごされることもあるかも知れません。でも私にとって、それよりはるかにありそうなのは、「バリシニコフはヨーロッパにいるのだから、トロントというのは原著者の間違いだ!」「オランジュリーは美術館なのだから、ブリアリーの名があってはならない!」という強烈な思い込みによる確信的な削除や改変。

信じられないような原文無視が過失なのか意図的なのかは、しょせん憶測しかできません。それに、どちらであっても情けない事態には違いなく、考えても仕方がないことでしょう。なのに考えてしまうのは、私自身にとっては意図的な書き換えのほうが嫌だからなのだろうと思います。

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プロフィール

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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