伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2014.01.31
目覚しいチームワークが今一つな人間関係に
2014.01.28
ヌレエフの毒舌にプティが動揺したとは限らない
2014.01.23
真っ赤になったわけではなさそうなプティ
2014.01.20
最後となったガルニエ宮からの退出
2014.01.15
未完のフーガはヌレエフの人生を象徴するのか

目覚しいチームワークが今一つな人間関係に

『ヌレエフ』P.265:
ヌレエフは団員たちとも打ち解けていたのだろうか。
「フランスのダンサーたちは実に個性的です」
牽引しながら彼は実感していた。“ジゼル”は数え切れないほど踊ってきたが、団員たちと会話を交わしたことは一度もなかった。
Meyer-Stabley原本:
Noureev s'épanouissant dans le travail d'équipe ? « Les danseurs français ont vraiment du caractère », a-t-il découvert en les dirigeant, lui qui avait dansé dans Giselle plus de mille fois sans jamais établir de dialogue avec eux.
Telperion訳:
チームワークの中で花開いたヌレエフだろうか。「フランスのダンサーは本当に気骨がある」。率いながら彼は悟った。かつて「ジゼル」で千回以上踊りながら、決して会話を交わさなかった彼がである。

ヌレエフがパリ・オペラ座バレエの監督として確かな業績を挙げたことを書き連ねる長文の一部。

原著者が問うたのはチームワークによる業績

第1文の直訳は「チームワークの中で花開くヌレエフ?」。原文中のtravailは「仕事」、équipeは「チーム」。組み合わせた"le travail d'équipe"は英語のteamworkに相当する。

チームワークとは、グループが共同作業を上手にこなす力を指す。単に皆が和気あいあいとするのでなく、各自が助け合って何らかの成果を上げてこそ、チームワークを評価される。ではヌレエフが「チームワークの中で花開く」とはどういうことか。この部分の前後を読めば、ヌレエフがダンサーたちを率いてバレエ団の地位を高めたことだと簡単に想像が付く。

Meyer-Stableyはこの部分の少し前で、ヌレエフがパリ・オペラ座バレエの監督として認められたことを「さらなる成功、しかし異なる性質の成功」と呼んでいる。Meyer-Stableyにとって、ダンサーとしての成功は個人プレー、監督としての成功は共同プレーなのだろう。

原著者はチームワークによる業績を肯定

Meyer-Stableyが上の疑問に用意した答えはイエスだということは、前後でパリ・オペラ座バレエの躍進ぶりをこまごまと書くことから分かる。しかしここでは、直後の第2文がイエスとノーのどちらをにおわせているかについて書く。

第2文には、ヌレエフに関する文が2つある。

  • フランスのダンサーたちについて発見した。述語(a découvert)の時制は直説法複合過去
  • ダンサーたちと会話せずにジゼルを踊った。述語(avait dansé)の時制は直説法大過去

時制の違いから、口もきかずに踊っていたのは、ダンサーたちの性格を把握するより前のことで、今のことではないと分かる。多分Meyer-Stableyが言いたいのは、「昔のヌレエフは他のダンサーにちっとも関わらなかった。それが今ではダンサーたちと真剣に向かい合うようになった」なのだろう。

新倉真由美が問うたのは人間関係の良好さ

一方、新倉真由美はMeyer-Stableyが提起した疑問を次のように扱った。

  • 「チームワークの中で花開く」を「団員たちとも打ち解ける」と言い換える
  • ヌレエフが監督として成功したことを書いた前の部分と段落を分ける

このため、実績の話をひとまず終えて、チーム内の人間関係が良かったかどうかを問いかけているように見える。

新倉真由美は人間関係の良好さに否定的

新倉真由美による第2文(訳本では第2・3文)は、私にはこう読める。

  • 前半の「彼は実感していた」からは、ヌレエフが団員たちと打ち解けていたかどうかは分からない。
  • 後半の「会話を交わさずジゼルを踊ってきた」の文からは、今は昔と違うということが分かりにくい。日本語では時制の差がフランス語のようにはっきりしないので、仕方ないかも知れないが。

このため、「ヌレエフは相変わらず団員とは打ち解けていなかった」と言いたげに見える。

Meyer-Stableyは「ヌレエフはもめごとを起こさないようになった」と書いた後(訳本ではP.265最初)、ヌレエフとパリ・オペラ座がどれほど成功したかを熱烈に書く。訳本だとそのさなかにこの部分だけ、業績でなく人間関係が話題になる。しかもあまりほめているように感じられない。私にはとても浮いて見える。

更新履歴

2016/5/5
小見出し変更

ヌレエフの毒舌にプティが動揺したとは限らない

『密なる時』P.41:
彼はそれを使うことを好んでいたが、それは恐怖感やショックを与え、私を情緒不安定にさせた。
プティ原本:
qui font peur, et il aime ça, choquer et rendre son interlocuteur instable.
Telperion訳:
おかげで相手は怖がり、ショックを受け、不安定になったし、彼はそれを気に入っていた。

ヌレエフの話し言葉について述べた長文の最後。この部分は、ヌレエフが多用する攻撃的なアメリカ英語について説明する関係節。文全体を解読するのは私にはとても難しかったので、前の部分は棚上げにした。

話し相手にプティが含まれるかは分からない

  • ヌレエフの言葉が恐れさせ、不快にさせ、不安定にするのは"son interlocuteur"(彼の話し相手)
  • プティはここでヌレエフの言葉づかいや友人関係を長い間語るのだが、その間に自身に触れるのは、「彼はマーゴについて私にこう打ち明けた」だけ。

つまり、「彼の相手」がプティ一人だと決めるべき要素はない。単なる一般論と見なすほうが無難。

ヌレエフが好んだこと

挿入されている"et il aime ça"(そして彼はそれを好んだ)にある指示代名詞ça(それ)は、既出の名詞を厳格に置き換えるよりは、漠然としたことを指すことが多い。この場合、「(ヌレエフの言葉が)相手を恐がらせる」という説明が始まってからçaが現れることから、相手が怖がるという状況を指すのだろうと思う。

新倉真由美の訳を読む限り、ヌレエフが好んだ「それ」と恐怖感を与えた「それ」は同じものに見える。その場合、"qu'il aime et qui font ~"というように、どちらも同じく関係節で説明するほうが自然に思える。

何かとプティの話にする新倉真由美の癖

原本ではプティ自身の話でないのに、訳本ではプティが出てくるのは、『密なる時』ではそう珍しくない。今までにこんな例を見た。

  1. 「観客がタクシーを探した」が「私は群衆に急き立てられながらタクシーを探した」に
  2. 「楽園でテルプシコーレに再会する」が「私の創造する芸術世界の楽園へ再び戻る」に
  3. 「人気のミュージカルを見ないのが不可能だった」に「もはや私には」が追加
  4. 「彼にためらわせた」が「我々にためらわせた」に

ここでの例は最初の2例ほどとんでもなくはないが、それでも強引さを感じる。奇妙な癖だと思う。

真っ赤になったわけではなさそうなプティ

『密なる時』P.32:
この奇想天外な説明に私は赤面し、それが少しどころではなかったことは神様がご存知だろう。
プティ原本:
Suivirent des explications rocambolesques qui me firent monter le rose aux joues, et Dieu sait s'il en faut plus qu'un peu pour me faire rougir.
Telperion訳:
途方もない説明が続いたために私の頬はピンク色が差し、私を赤面させるために必要なことが少しですむかどうかは神のみぞ知る。

初めてフォンテーンとヌレエフに振付けた「失楽園」の初演前、「今日は3回愛し合ったから今夜の気分は最高」みたいなことをヌレエフに言われたプティ。

構文解釈

引用したうち前半の解釈は新倉真由美とそう違わないので、後半に絞って書く。

  • 神が知ることの内容である"s'il en faut plus qu'un peu pour me faire rougir'の直訳は、「私を赤くするために少しのそれより多いものが必要かどうか」。
    • "il faut A pour B"は「BするにはAが必要だ」。その前にs'が付くことで、「BするにはAが必要かどうか」となる。
    • 「少しのそれより多いもの」に当たる語句は、中性代名詞enと"plus qu'un peu"。たとえば「少しの花より多いもの」なら"plus qu'un peu de fleurs"となる。「花」を「それ」に言い換えると、"de fleurs"がenに言い換えられ、述語fautの前に移動する。
  • "Dieu sait ~(神が~を知る)は文脈によって次のことを表す。
    • 「~なのは間違いない」という断言
    • 「~なのは分からない」という不確かさ
    この場合、後に続くのが「~が必要かどうか」という疑問なので、表すのは不確かさ。

プティが言いたいこと

人を赤面させるために必要なものは、無遠慮さ、はしたなさなどいろいろ考えられる。プティは中性代名詞enを使うことで、具体的には明言せずにすませている。「それ」が何なのかを深く考えずにこの後半の文を読むと、「私が少しのことでは赤面しないかどうかは何とも言えない」と言い換えられると思う。

「ヌレエフが露骨なエロ発言をし、プティが頬を染めた」という文脈を考えると、プティを赤面させるのが易しいかどうかに応じて、プティの内心はこんな感じなのだろう。

  • 赤面させるのが易しい
    私はすぐ赤面する人間なのだから、あんなことを言われたら赤くなるに決まっている。
  • 赤面させるのが易しくない
    私は簡単に赤面しない人間なのに、あまりの言い草に赤くなってしまった。

次のことから、私の考えでは「簡単には赤面しない」のほうがありえそう。

  • 「ヌレエフったらあんなこと言って」という気持ちを強調できる。
  • プティは長年バレエ界で仕事をしてきたのだから、ある程度の奇矯さには慣れているだろう。

プティの赤面の程度

もう一つ、私が「プティを赤面させるのは易しくない」説を取る理由がある。引用した前半でプティが"le rose"(バラ色、ピンク)という言葉を使っていること。後半の一般論ではrougir(赤くなる)という単語を使っているが、実際になった色を表すときは赤でなくピンク。プティの頬が染まったとしても、たかが知れていたのではないだろうか。

最後となったガルニエ宮からの退出

『ヌレエフ』P.307:
棺は再びダンサーたちによって持ち上げられ、最後にガルニエ宮の入口まで達した。
Meyer-Stabley原本:
Le cercueil, de nouveau porté par les danseurs, franchit pour la dernière fois le seuil du Palais Garnier.
Telperion訳:
棺は再びダンサーたちに運ばれ、これを最後にガルニエ宮の敷居を越えた。

ガルニエ宮での葬儀が終わった後、埋葬のために墓地に向かうところ。

永遠の別離への感傷を呼び起こす原著者の文

原文の表現のうち、私が取り上げるのは2つ。

  1. "pour la dernière fois"は「最後に」。詳しく書くと、「このことをするのはこれが最後であり、以後することがなかった」ということを指す表現。
  2. "franchit le seuil"は「敷居を越えた」。

この2つを組み合わせた「最後にガルニエ宮の敷居を越えた」は、「ガルニエ宮に出入りするのはこれが最後となった」と同じ意味になる。

棺そのものがガルニエ宮に入って出たのは多分1回、事前の準備に使ったとしてもせいぜい数回。しかしヌレエフは1961年にパリでデビューしたときから、数えきれないほどガルニエ宮を訪れてきた。そこから永久に出て行くヌレエフを見て、列席者、特に同業者たちは、胸にこみ上げるものがあったのではないだろうか。

ヌレエフが最後に観客の拍手を受けた「ラ・バヤデール」の制作あたりから、Meyer-Stableyの文には感傷的なものがかなり混じっている。この文が感傷を誘うのも、偶然とは思わない。

単なる移動の説明のような新倉真由美の文

訳本では"franchit le seuil"が「入口まで達した」になった。私の考えでは、これには次の影響がある。

  • 「入口に達する」という表現では、その場所から出て行ったことを指すように聞こえにくい。百歩譲ってもせめて「出口に達する」では?
  • 「~まで達した」は「終点に到着した」のような言い方なので、それに付く「最後に」もやはり終点到着を表す「ついに」と同じ意味に見える。「これが最後になる」というニュアンスを感じにくい。ただでさえ「最後に」はそういう勘違いを招きやすい言葉なのだから。

その結果、「これが最後になるのか」という感傷を覚える余地が、原文に比べてとても低い。私は原文を読むまで、単に「棺が入口まで運ばれた(そしてそこでダンサーたちに下ろされた)」という説明文だと思っていた。

原本と訳本の違いはかなり微妙で、「誤解を招きやすい」カテゴリに入れるかどうかを迷ったくらい。しかし「入口に達する」と「敷居を越える」はわずかとはいえやはり違うことだし、原文どおりに訳すのは易しい。「入口に達する」が新倉真由美の創意工夫の表れなのか、それとも仏和辞書を引く手間を惜しんで適当に想像したのかは分からないが、成功したとは言えないと思う。

未完のフーガはヌレエフの人生を象徴するのか

先日は「フーガの技法」のContrapunctus 14自体について結構語ったので、今日はもう少しヌレエフを絡めます。

選曲者の心境

葬儀で演奏される曲を選んだのが誰か、Solway本やKavanagh本を丁寧に読めば見つかるのかも知れませんが、今のところ私は知りません。しかしヌレエフは自分の埋葬場所を手配しておいたのだし、葬儀で朗読された詩もニューヨークタイムズ紙の記事によると"reportedly chosen by Nureyev"(聞くところではヌレエフが選んだ)なのだから、曲を選んだのも恐らくヌレエフなのでしょう。

あれほど壮大に展開しながら、「フーガの技法」の主題という中核を得ることなく中断されたContrapunctus 14。自分が成し遂げたことに誇りを持ち、そしてまだまだやり残したことがあるという気がなければ、自分の葬儀にこの曲は選べないのではないかと思います。ヌレエフはダンサーとしては舞台に立たなくなっていたとはいえ、新作バレエやら指揮やら、やりたいことをたくさん抱えていました。この曲を選んだ時にどれほど現世に後ろ髪を引かれていたのだろうと思うと、やるせなさを感じます。

ヌレエフの人生は完成しなかったのか

ところがその一方、今の私はKavanaghやMeyer-Stableyとは違い、Contrapunctus 14が未完であるほどにヌレエフの人生が未完だとは思わないのです。ヌレエフがもっと長生きしたらやはり密度の濃い時を過ごし続け、何十年たってもやりたいことを見つけ続けていたのではないか。そういう人の場合、人生が終わるのが54歳でも74歳でも、その完成度は変わらないのではないかと。

それと、あれほど自分の意思を通し続け、いろいろな障害をはねのけてきたヌレエフに、最後は病に倒されたという幕切れは何だか似合わないという思い込みがあります。我田引水かも知れませんが、その思い込みと関連して思い出すのが、プティの『Temps Liés avec Noureev』の結びとなる文です。

Dans ses orages, ses éclairs de génie, ses triomphes, le danseur arrêtait le temps.

嵐と稲妻のような才能と数々の輝かしい成功の中で、そのダンサーは時を止めてしまった。(『ヌレエフとの密なる時』P.102)

プティがヌレエフと共に踊った夢幻のような時が終わった後の文ですが、ヌレエフの人生そのものでもあるでしょう。プティはヌレエフがHIV陽性なのを知った時にショックを受けたに違いないと想像しているし、死が早過ぎるとも書いているのですが(『密なる時』ではP.97)、「時を止めた」と能動的な行為のようにヌレエフの死を書いているのですね。フランス語では普通な表現だという可能性がゼロではありませんが(とりあえずプログレッシブ仏和やラルース仏語では見つけていません)、興味を引かれます。プティとの踊りも、ヌレエフが自ら途中で切り上げたらしいのでした。

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プロフィール

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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