伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2013.11.13
原本のほうが理があるヌレエフの憤激
2013.11.08
消えた創造者と創造物のたとえ
2013.11.04
ストリップ劇場のいかがわしさの微妙な差

原本のほうが理があるヌレエフの憤激

『ヌレエフ』P.59:
その電報によれば彼はもはやキーロフの一員ではなく、返金のためバシキール共和国のウーファオペラ座にダンサーとして入団しなければならなかった。オペラ座は彼の研修中経済的な援助を行っていたからだ。
Meyer-Stabley原本:
Il n'appartient déjà plus à la troupe du Kirov et doit entrer comme danseur à l'Opéra d'Oufa afin de rembourser la république de Bachkirie pour l'aide financière qu'elle lui a apportée durant ses études.
Telperion訳:
彼はもはやキーロフのバレエ団の一員ではなく、ウーファのオペラ座にダンサーとして入団しなければならない。学業中に受けた金銭的援助をバシキール共和国に返済するためである。

キーロフ入団が決まったヌレエフのもとに来た、入団禁止を宣告する電報の内容。ヌレエフはこれに猛反発し、何とかキーロフにとどまろうとする。

奨学金を出したのはオペラ座でなくバシキール政府

ヌレエフの学業に金銭的援助をしたのは、原文では女性名詞を指す代名詞elleで表されている。Opéraは男性名詞なので、elleが指すのはオペラ座ではない。elleが指すのは女性名詞république(共和国)だということは、次の2点から分かる。

  • 文中の動詞rembourser(返済する)の目的語はバシキール共和国(la république de Bachkirie)。この動詞の目的語は返済すべきもの(奨学金など)のこともあるが、返済相手のこともある。共和国は貸借の対象でないのだから、返済相手。
  • この本の前のほうに(新倉本だとP.39)、ワガノワへの入学試験を受ける前、ヌレエフがバシキール共和国からの奨学金を待ち望んでいたという記載がある。

奨学金出資者による束縛力の違い

出資者がオペラ座の場合

ウーファのオペラ座に属するウーファ・バレエは、すでにヌレエフを非正規として雇ったことがあり、正式入団を希望したこともある。そこからの金でワガノワ・アカデミーに通い、入団先は別なバレエ団というのは、いわばバイトがバイト先企業の金で研修を受けた後、別な企業に入社するのに似ている。何の障害もなくキーロフに入れると思うほうがうかつに見える。

出資者がバシキール政府の場合

バシキール政府への借りを返すには、奨学金の返済で事足りるだろう。「キーロフに入団しても奨学金の返済はできる、キャリアを台無しにしてまでウーファに戻る理由はない」とヌレエフが憤っても不思議はない。

更新履歴

2013/11/15
ウーファのオペラ座とバレエ団の関係に触れる
2016/5/6
諸見出し変更

消えた創造者と創造物のたとえ

『密なる時』P.57-58:
ピニョティはフランケンシュタイン博士のように彼を支え、ダンサー特有の問題を克服し調子を上げるのをサポートしていた鎧から、ようやくその肉体を解放した。
プティ原本:
Pignoti tel le docteur Frankenstein libère enfin sa créature de l'armure qui le soutenait et l'aidait à vaincre la difficulté de danser à son rythme survolté.
Telperion訳:
彼を支え、異常に興奮したリズムで踊ることの困難を彼が克服するのを助ける鎧から、フランケンシュタイン博士のようなピニョティは自らの創造物をとうとう解放する。

ヌレエフのマッサージ師ルイジ・ピニョティが、ヌレエフの肉体に巻かれた長い長い粘着テープをはがすさま。

フランケンシュタイン博士は創造者として名高い

プティはピニョティをフランケンシュタイン博士にたとえている。ピニョティが全力を尽くしてヌレエフの肉体をサポートし、その全身脚(2013/11/15修正)を粘着テープでぐるぐる巻きにすることもいとわないさまから、新たな人間を創造するフランケンシュタイン博士を連想したからではないかと思う。フランケンシュタイン博士は人造人間の創造者として名高いのだから、そういう連想をせずにフランケンシュタイン博士の名を出すとは考えにくい。

創造物のたとえ

プティはピニョティがヌレエフの体からテープをはがすのを、「彼の創造物を鎧から解放する」(libère sa créature de l'armure)と呼んでいる。英語のcreatureに比べ、フランス語のcréatureは「(神に)創られたもの」という意味が強い。だからフランス語のcréatureは人間を指す。

この文脈で、「彼の創造物」(sa créature)とは当然ヌレエフ。「彼の創造物」とはピニョティが創り出した人間。「フランケンシュタイン博士のような」と「彼の創造物」は互いに密接に関係する比喩であり、ヌレエフはフランケンシュタイン博士が作った人造人間にたとえられている。

新倉真由美の訳ではぼやけたたとえ

新倉本からフランケンシュタイン博士の比喩を読み取るのは、次の理由から難しくなった。

sa créatureの訳語が「その肉体」
créatureの訳語として「肉体」はありえない。ここでは「創造物」という表現が重要なのに。
「フランケンシュタイン博士のように」の直後が「彼を支え」
まるで「フランケンシュタイン博士のように」が、ピニョティがヌレエフを支える様子の比喩のよう。ただでさえ、「創造物」という表現が消えた時点で、「フランケンシュタイン博士のような」が「新たな人間を造った」という意味だと分かりにくくなったのに。

フランケンシュタイン博士には誰かを支える献身的なイメージはないので。「フランケンシュタイン博士のように支える」は、かなり変な比喩だと思う。

彼を支えるのは粘着テープ

原文で"le soutenait"(彼を支えていた)は、鎧(l'armure)を修飾する長い関係節(qui以降文末まで)の一部。つまり、彼を支えたのは鎧すなわち粘着テープ。新倉真由美の訳だとピニョティのようにも読めるので、明記しておく。もっとも、こういう長い関係節がある文を訳すとき、どの部分がどの部分を修飾しているかを訳文でも明快に反映させるのは骨が折れる作業。紛らわしくても仕方ないかもと思う。

ストリップ劇場のいかがわしさの微妙な差

『密なる時』P.51:
年端の行かないダンサーたちが観客たちの前で色あせた衣装を1枚1枚はぎとっていき、むくつけき男たちはその様を見ながら膝の上にぶっきらぼうに置かれたレインコートの下の手をせわしなく動かしていた。
プティ原本:
des danseuses sans âge effeuillaient leurs costumes fanés devant un auditoire strictement masculin dont les mains étaient occupées sous leur imperméable négligemment posé sur leurs genoux;
Telperion訳:
年齢不詳のダンサーたちが男性だけの客の前で色あせた衣装をむしり取り、客たちの手は膝の上に無造作に置かれたレインコートの下で忙しくしていた。

ミラノでヌレエフがプティを連れて行ったストリップ劇場にて。

ダンサーが未成年とは限らない

"sans âge"は「年齢不詳の」。プティたちが見たダンサーは、若作りした中年女性という可能性もある。少女のストリップだと、私は経営者どころか観客の人間性も疑いたくなる。そうでない可能性が原文にある場合は、それを尊重したい。

新倉真由美がいうほどうさんくさくない観客

仏和辞書によると、形容詞masculinはこんな言葉。

『プログレッシブ仏和辞典 第2版』より
価値判断を伴わない「男の」の意味ではmasculinが普通。
『ラルース仏語辞典』より
Qui appartient, qui a rapport au mâle, à l'homme
雄、男性に属する、関係がある(Telperion訳)

これを念頭に置くと、「厳密に男の聴衆」(auditoire strictement masculin)とは、客が全員男だったという意味だろう。ストリップ劇場では珍しくもないことでもある。

新倉真由美は"auditoire strictement masculin"を「むくつけき男たち」と訳している。国語辞典によると、「むくつけき」はこんな言葉。

『新明解国語辞典 第5版』より
やさしい所が見えず、何をしでかすか分からない。
『デジタル大辞泉』より
1. 無骨(ぶこつ)である。2. 気味悪い。3. 常軌を逸していて恐ろしい。

「無骨」は女性より男性を形容することが多いとはいえ、「むくつけき」が特に男性らしさを表す言葉かどうかは疑わしい。それに、価値判断を伴わないmasculinの訳語として、マイナスイメージいっぱいの「むくつけき」はふさわしくない。翻訳の時に多彩な言葉を使うのは良いことだろうが、多彩な言葉を使うために原文が置いてきぼりになるのは感心しない。

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プロフィール

Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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