伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2013.07.08
ヌレエフのイメージに微妙にかかわる訳語選択
2013.07.04
新倉本が招くヌレエフの誤解(12) - いろいろ
2013.07.01
新倉本が招くヌレエフの誤解(11) - パートナーに不親切

ヌレエフのイメージに微妙にかかわる訳語選択

今まで「訳本の原文逸脱のせいで、ヌレエフの性格描写が気の毒なことになっている」という例をつらつら書いてきました。今回書くのは、このくらいなら訳者の裁量のうち、翻訳ミスには当たらないとは思いながらも、何となく引っかかる個所です。新倉真由美がよそであれほどヌレエフの性格に傷をつける訳文を連発していなければ、流せたかも知れません。

1. 皇帝の力とスターの気まぐれ

『ヌレエフ』巻頭:
バレエ界の帝王と言うべきスターは強大な権力を持つ一方、気まぐれでわがままな男だった。
Meyer-Stabley原本:
Tsar ou star de la danse, il eut le pouvoir de l'un et les caprices de l'autre.
Telperion訳:
舞踏の皇帝あるいはスターである彼は、前者の権力と後者の気まぐれを我が物とした。

l'unとl'autreは英語のoneとthe otherと同様、セットになるとそれぞれ「一方」「他方」という意味になります。この場合、l'unは少し前のtsar、l'autreはstarを指します。「皇帝の権力とスターの気まぐれを持った」。やりたいことをできる力を手にし、時に利己的に振るっていたということでしょうが、Meyer-Stableyはそれをなかなか格好良い言葉で述べています。

対する新倉真由美訳は、大意は同じながら、ヌレエフのはた迷惑な面を強調しているように見えます。これは個人の感想に過ぎませんが、私はMeyer-Stableyの文を読むと、「いろいろ波乱万丈なんだろう」と先を読む気をそそられますが、新倉真由美の文を読むと、「いろいろ鼻持ちならないエピソードが書いてあるのだろう」とテンションが下がります。

2. 飼いならされない

『ヌレエフ』P.169:
野性的で野良犬のような性格
Meyer-Stabley原本:
côté sauvage et indompté du personnage
Telperion訳:
その人物の野性的で飼いならされない面

記事「談話の語り手も範囲も間違い」からの引用です。飼いならされない(indompté)動物は世界に限りなくいます。慣用句になっている一匹狼とか、他にもライオンとか熊とか野生の馬とか。そのなかから新倉真由美が選んだ動物が「野良犬」。美化した言葉で言わなければならないというルールはないとはいえ、「野良犬のような」って、ずいぶんと卑小な印象ではありませんかね。新倉真由美のそういう言葉選びは、ヌレエフにケチがつく形のさまざまな翻訳ミスと無縁ではないような気がします。

3. 放言の詳細

『ヌレエフ』P.166:
「こんなあばら家めちゃくちゃにしてやる!」
Meyer-Stabley原本:
“Je ne me priverai pas de dire à Zeffirelli ce que je pense de sa baraque.”
Telperion訳:
「ゼッフィレッリにあいつのボロ屋をどう思っているかを言わずにおくものか」

招待されたゼッフィレッリの別荘に遅れて帰ったら戸締りされた後だったので、怒ったヌレエフが言い放った言葉。原文をほとんどそのまま訳したのが私の訳で、「めちゃくちゃにしてやる」は新倉真由美による翻案。

ヌレエフは実際にこの後あれこれとっ散らかしたので、新倉真由美の表現は的外れではありません。ただ、ここで書かれたことは「ヌレエフが言ったと後で目撃者が証言したこと」という制約があるので、「こう言い換えたほうが分かりやすい」といった理由で書き換えるのが妥当かどうかは、意見が分かれるところでしょう。字幕や吹替えのような、観客に短時間で分からせるために短くまとめることが至上の要件である分野なら、大ざっぱな訳でも良いでしょう。でも、これは本だし、実在の人間による実在の人間に関する証言を脚本家よろしくいじくり回すのは、私はあまり感心しません。

新倉本が招くヌレエフの誤解(12) - いろいろ

  1. 夫人は彼を取り巻きにした
  2. P.203 遊べる相手を物色(「三日月クラシック」の原文比較2より)
  3. P.306 病気、熱とだるさに打ち勝てず(中略)運命の流れを変えられないことにうろたえていた。(「三日月クラシック」の原文比較3より)
  4. 指揮者への転職を考えて

マリー=エレーヌがヌレエフを取り巻きに?

第1項は、マリー=エレーヌ・ド・ロスチャイルドとヌレエフの関係が一気に寒々しくなりました。intimeの意味として仏和辞書に「親友、腹心、側近」などとありますが、その中の「側近」を思い切り打算的な意味にふくらませた感じですね。プティが『密なる時』原書でマリー=エレーヌをヌレエフの特別な女友達として挙げたことを知っている新倉真由美がここで「取り巻き」という言葉を選んだことが、私には解せません。

ナンパしていないのにナンパしていることに

第2項は、ヌレエフが探す対象が「買える海岸」から「遊べる相手」に。多分同性のことだと思ったので、女性関係の記事には入れませんでした。新倉真由美が「ヌレエフ、探す」から連想したのが「遊べる相手」らしいというのが、いつもの先入観の先行に見えます。

Meyer-StableyやDiane SolwayやJulie Kavanagh著の伝記をのぞく限り、当時西側にゲイの相手探しの場はあちこちにあり、ヌレエフはそこで大手を振って歩いていたようです。人気のない海岸でこっそり探すなんて、らしくもない。しかもその海岸はトルコのボドルム。ただでさえゲイの肩身が狭そうな国で、しかも人がほとんどいない場所に、いい相手がいる可能性はほとんどないのではないでしょうか。もっとも、訳本ではこの海岸がボドルムだか(フランスの)サントロペだか、判別できないのですが(「三日月クラシック」の原文比較2より「P.203 サントロペに所有していたボドラムの邸宅」を参照)。

エットーレ・モーのインタビュー記事

第3項は、リンク先で書いたように、私には原文の意味をはっきりつかむことができません。しかし、「病気が運命の感覚を消さない」という直訳が「彼は病気に打ち勝てない」「運命の流れを変えられないことにうろたえる」と言い換えられるとは、今でもやはり思えません。そもそも、この文の出典であるエットーレ・モーによる記事を読むと、訳本でも「彼のおごそかな言葉に心を打たれた」とか、「今僕はかつてなかったほど成長しました」(ヌレエフの言葉)とか、ヌレエフがうろたえているように見えません。逝去2か月近く前のインタビューという感傷を誘う状況を考えても、モーはむしろヌレエフを美化することはあっても、くさすようなことは書かないのではないでしょうか。

ちなみに、エットーレ・モーのオリジナルの文は、掲載されたコリエーレ・デラ・セーラ紙(訳本では「コリエール・デラ・セーラとありますが、イタリアの新聞だそうです)のサイトで読めます。イタリア語は機械翻訳に頼り切らざるを得ず、私には立ち入ったことは書けません。しかしタイトル" sto morendo, ma sono il piu' grande"(死に瀕しても、私は最も大きくなった)から、モーがヌレエフを称賛する気十分なのが察せられます。

指揮者を目指す動機の変化

第4項は、最初の代名詞celaが何を指すかで少し考える必要はあるし、"état de fait"(現状)の意味は私には仏和辞典で見つけられなかったので、新倉真由美の訳が無茶とは思いません。しかし、Meyer-Stableyが「バレエ音楽が軽視される状況を変えるため指揮者になろうとした」と肯定的に書いていることが、訳本では「バレエ音楽の幅が狭いことに乗じて指揮者になろうとした」という姑息な動機に成り下がったのは悲しい。

新倉本が招くヌレエフの誤解(11) - パートナーに不親切

ここに挙げるものは、今まで挙げたなかによくあったような「こんな訳文にするなんて信じられない」というものではなく、普通の翻訳ミスと呼んでよいでしょう。でも、ヌレエフがバレエのときに物を投げたとか平手打ちをしたとかいう話ばかり『ヌレエフ』にある一方、パートナーへの態度が良かったという話が消えるのは面白くないので、単独の記事で取り上げることにしました。

  1. P.211 実力以上にみせてあげた人は僅かしかいなかった。(「三日月クラシック」の原文比較3より)
  2. P.210 その才能を表現するのにサポートは不要でした。(同記事より)

サポート上手→邪険

第1項の原文は、「わずかな数のダンサーしか、ヌレエフより多いスキルも、より多様な経験も持たない」(peu de danseurs ont plus d'habileté que Noureev, ni une expérience plus variée)という文に、スキルを形容する「バレリーナを有利に見せるための」(pour présenter les ballerines à leur avantage)と経験を形容する「彼女たちのさまざまな技術上の問題の」(de leurs divers problèmes techniques)が加わっています。なかなか面倒な文で、読解失敗は意外ではありません。しかし、フランス語で女性ダンサーだけのグループをdanseursでなくdanseusesと呼ぶのは、この文を読むとき重要なことでした。

見せようとしたのは自分か相手か

第2項は、「その才能を表現するのにサポートは不要でした」だと、パートナーの助けは借りないとばかりに自分の才能を誇示しているような印象を受けます。その前の「対等であるという印象を与えてくれ」は間違いとは言いませんが、さっきの文の前にあると、「ヌレエフがカークランドと対等であるという印象を与える」と読めてしまいます。実際にヌレエフが与えた印象は「私(カークランド)が彼(ヌレエフ)と対等」。カークランドを立てたヌレエフが、カークランドに負けじと目立つヌレエフに誤解されては困ります。

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プロフィール

Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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