伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2013.06.17
新倉本が招くヌレエフの誤解(5) - 粗暴
2013.06.14
ブログ公開1周年
2013.06.12
新倉本が招くヌレエフの誤解(4) - 高慢
2013.06.10
新倉本が招くヌレエフの誤解(3) - 馬耳東風
2013.06.08
新倉本が招くヌレエフの誤解(2) - 怒ってばかり

新倉本が招くヌレエフの誤解(5) - 粗暴

  1. P.156 受話器を投げつけた(「三日月クラシック」の原文比較2より)
  2. 誰の前でも暴言を吐いた
  3. P.201 完璧な振舞いを愛してやまなかった(「三日月クラシック」の原文比較4より)
  4. 怒りや不満をわめきちらし地面をのた打ち回るルドルフ
  5. グラスを叩きつけ
  6. ヌレエフの凶暴さは伝聞ほどではないという証言

理解不能な飛躍

第1項は、ポータブルな電話が実用化されていない1960年代前半の出来事。だからヌレエフもティト・アリアスも、電話がかかってきたと言われると、電話を取るために食事中の部屋から出ています。ヌレエフが別室で受話器を本体から切り取り、食事をしている部屋に戻ってティトに投げつけたと新倉真由美は考えたのでしょうか。しかし原文に「受話器」に当たる言葉がないのに、そこまで想像するのはやり過ぎでしょう。

第2項は、ヌレエフが悪態をついた"devant la danseuse"(その女性ダンサーの前で)が「誰の前でも」になりました。しかし、マーガレット王女やジャクリーン・ケネディなど、ヌレエフはフォンテーンより地位が高い相手にも会っているのだから、「フォンテーンの前でそうなのだから、誰に対しても無礼なはず」と推測するのは危険です。実際、リンク先で書いたとおり、ヌレエフは相手によっては礼儀やマナーを気にします。

第3項はヌレエフの礼儀正しい振る舞いについての記述が消された例。原文の前半の"il n'y a que A que B"(BなのはAだけである)という構文は難しいし、「彼は完璧な振る舞いを取り入れた」(il adopte une conduite parfaite)をヌレエフがジャクリーンの態度を評価したと見なすだけなら、突拍子もない誤解とは思いません。しかし、後半の"sachant que l'ex-first lady n'aime pas la provocation"(元ファースト・レディが挑発を愛さないということを知っており)は簡単な分詞構文。それを新倉真由美が原形を留めないくらいばらばらにしたのは、前半とどうつながっているのか分からなかったせいではないかと疑っています。実際は、ヌレエフが礼儀正しく振る舞ったという前半の理由を後半で言っているのですが。

大味な解釈

第4項は私にとって、構文解析は楽でもMeyer-Stableyの真意をつかむのは難しい個所です。それでも、ヌレエフのイメージ形成にマリア・カラスが関係していたと書いてあること、「平手打ちをし、わめき散らし、地面を転げ回るスター」(L'image de la star qui gifle, qui tempête et se roule par terre)とは決してヌレエフだけでなく、カラスだけの可能性すらあることは分かります。Meyer-Stableyは前書きでもヌレエフとカラスを並べているし、パトリック・デュポン(訳本P.255)やヌレエフ自身(記事「マリア・カラスとの比喩はヌレエフの弁明」)もそうですね。新倉真由美や文園社がカラスに興味がないのは不思議ではありませんが、だからヌレエフが一人で暴れ回ったことにするのは、とても乱暴だと思います。

第5、6項は「落とす」(laisser tomber)、「先行する」(précéder)の訳し方が丁寧でありません。筆がこの程度すべるのは、几帳面な翻訳者にも起こりうるかも知れませんが。

ブログ公開1周年

fc2にブログ開設を申し込み、最初の記事を書いたのは、去年の6/2でした。その後、テンプレートを選んだり、記事の書式やカテゴリ分けを決めたり、いろいろ準備して、ブログを公開したのがヌレエフの亡命した日に合わせた6/14。あれから1年経ちました。

記事数の激増

気づくのが早ければとっくに「三日月クラシック」のコメントに書いていたような問題点のストックを書くのが、ブログ開設の最大の動機だったのは確かです。しかし、たとえ細かいものでも、事実でない個所、訳本だと意味がよく分からない個所、初歩的な文法ミスの繰返しを気の済むまで書く気もありました。それが、「気づくのが早ければ『三日月クラシック』に優先的に投稿」レベルの問題が増えていき、小さな問題はそれよりハイペースで増えていき、自分のブログでまで「何もかも書いては煩雑だな」と遠慮することになろうとは。

小さいミスが数十あっても、重大なミスが数個出てしまっても、出版業界では現実的に仕方ない事情もあるだろうとは思います。それにしても『ヌレエフ』の翻訳ミスは多すぎるほうに見えます。サガンのエッセイ、ゲルシー・カークランドの自伝、ミック・ジャガーの暴露本など、Meyer-Stableyが引用した文献のうち邦訳が出ている何冊かの該当部分に目を通しましたが、Meyer-Stableyの文と大差ない訳文を見るにつけ、ため息が出ます。

最初は「少ししか記事が書けなさそう」と思っていた『ヌレエフとの密なる時』も、予想を大幅に超える記事数になりました。訳本を見た人なら本の薄さと文字数の少なさは分かるでしょうが、それにしては多い。プティだって、いつも難しい文ばかり書いているわけではないのに。それでも、単語の見間違いはほとんどないし、人名も調べている。『ヌレエフ』よりはよほど丁寧な出来だと思います。でも、原文置き去りの作文は当時からありますね。

今後の課題

  1. 私のブログを頑張って読み漁らなくても、『ヌレエフ』の内容がいかに信用ならないかが簡単に分かるようにする

    原文が意図的になおざりにされているように見えること、その結果としてヌレエフの紹介としてもバレエの紹介としてもはなはだ不満足な本に成り下がっていることは、私が翻訳ミスの多さより強調したい点です。

  2. 原本『Noureev』について気になる部分も書く

    Meyer-Stableyは『ヌレエフ』本文から受ける印象よりはるかに調査を尊重し、理解しやすい文を書き、穏健ですが、それでも基本は芸能記者。スキャンダラスなほうへの誇張はあると思います。それに、原本がSolwayやKavanagh著の伝記のように長大でないことを考えると、間違いの頻度は少なくないかも知れません。

今は意欲とネタが続いていますが、さすがに今年中には一段落して、更新が激減するのでしょうか。先のことは予想が付きませんが、今後ともよろしくお願いします。

新倉本が招くヌレエフの誤解(4) - 高慢

  1. あなた方よりよく知っているので学ぶべきことはないという感じ
  2. P.208 それを聞いたルドルフの顔色はみるみる青ざめていった(「三日月クラシック」の原文比較4より)
  3. P.81 攻撃的な批判を試みた(「三日月クラシック」の原文比較3より)
  4. 映画を作るのは踊るより一〇〇〇倍簡単に思えます
  5. ハイタワーが臆せず堂々と私のテクニックを吸収

強引さが目立つもの

第1項は、「彼に教えない」が「私が学ぶべきことはない」になったり、どこからともなく「~という感じでした」が飛び出したり、結構な飛躍が見られます。おかげで、プロのバレエ・ダンサーであるレスリー・キャロンだけならまだしも、もともとバレエと縁遠い撮影現場の人々にまでバレエの知識を鼻にかけているかのよう。何とも大人げない。

第2項は、訳本のヌレエフが威張ったのではありませんが、マリア・カラスに鼻をへし折られたような言われようなので、ここに入れました。実際に書かれているのは、後に2本の映画に主演するヌレエフに対する、カラスの見込み違いなのに。「カラスはルドルフのほおが青白いと思った」は前の文「その言葉は~をほのめかすものだった」の一部ですが、それを示す"au fait qu'"を新倉真由美は無視しています。「それを聞いて」「みるみる(青ざめて)いった」に至っては完全な創作。

比較的普通のミスに見えるもの

第3項は、純粋に単語の見間違いでしょう。それにしても、クレール・モットに「あなたが踊るのを見ました」と話しかけたり、ピエール・ラコットに「一緒に外に出たいのですが」と持ちかけたりするヌレエフが、「攻撃的な批判を試みた」とはあまりに変。この後モットやラコットがこき下ろされ、なのにパリのダンサーたちは寛大にもヌレエフと交友を続けたと新倉真由美や文園社は思ったのでしょうか。

第4項も、単語を細かく見ていないのだと思います。でもその結果、新倉真由美がヌレエフに言わせた言葉はとても感じが悪い。私は映画ファンではありませんが、それでもこれを読むと「映画1本に出たくらいで、何を偉そうに映画を下げてバレエを特別視しているんだ」と思います。

第5項は、最初は違和感なく読んでしまうかも知れません…私はそうでした。しかし新倉真由美のヌレエフが「ハイタワーは私に臆せず」と語ったのは、西側のバレエ団と初めて踊った時の回想だということを念頭に置くと、この発言がどれだけ身の程知らずかが分かります。プロになって3年の若手が、ベテラン・スターを相手に「私に臆さない」って。そういう言葉は、格下の相手について言うことですね。実際のヌレエフは謙虚に若輩者を自認しているのに。

新倉本が招くヌレエフの誤解(3) - 馬耳東風

訳本だけに書かれていること、実際にあるにはあるが訳本では誇張されていることは、できれば分けて扱いたいのですが、区別するのが面倒なので、どちらも見出しでは誤解と呼ぶことにしました。

  1. P.255 態度を変えようとせず、耳に入ってくる批判も聞き流していた(「三日月クラシック」の原文比較3より)
  2. P.262 決してベジャールに謝罪しなかった(「三日月クラシック」の原文比較5より)
  3. 辞退が受諾に化ける
  4. 内輪の皮肉が公言のように書かれる
  5. ヌレエフの敵対者への原著者の批判的発言が消滅
  6. 完全撤回が一部撤回のように書かれる

デュポン→ヌレエフ

1番目の項は、抗議ストを匂わせるデュポンが、デュポンらの批判に耳を貸さないヌレエフに化けました。発端は次の2つでしょう。

  • 使役文「~させる」は新倉真由美の不得意分野の一つ
  • 「もし~なら」という意味のs'を新倉真由美が読み落とした

このため、正確な構文解析が不可能となれば、文に散らばった次のような断片を想像だけでつなぎ合わせるしかありません。

  • il laisse entendre(ここでは「彼が理解させる」だと思うが、一番メジャーな意味は「彼が聞かせる」)
  • il ne change pas de comportement(彼が態度を変えない)
  • il risque une grève"(彼がストライキの危険を冒す)

その結果がああなるのも、しかも文冒頭のEt(そして)が反対の訳語「しかし」になるのも、新倉真由美の脳内にいる、他人の言うことを聞かないヌレエフ像のなせるわざでしょう。

ちなみに、デュポンが反発した理由は、ヌレエフが全幕初日に出演する意欲を見せたから。しかしルドルフ・ヌレエフ財団サイトを見る限り、少なくともヌレエフは監督任期中に「ライモンダ」「ロミオとジュリエット」「白鳥の湖」「くるみ割り人形」「シンデレラ」のオペラ座初演に出ていません(「シンデレラ」はVHS版に自身がプロデューサー役で出ていますが、あの役の初演はミカエル・ドナール)。現実のヌレエフは態度を変えざるを得なかったようです。

許さない→謝罪しない

2番目の項で動詞pardonner(許す)が「謝罪する」になるのは、次の理由で私には非常に不可解です。

  • pardonnerは英語pardon(許す)に似た単語なので、むしろ違う意味だったとしても「許す」と訳したくなる単語に思える。
  • そもそも、承認を得たと勘違いしたせいとはいえ、勝手にダンサーをエトワールに任命した上、テレビでヌレエフ追放を訴えたらしいベジャールこそ、先に謝る立場ではないだろうか。

それが「決してベジャールに謝罪しなかった」という、ヌレエフが謝罪すべきだったような言い方になる理由として、「周囲をひっかきまわして平気なヌレエフ」という新倉真由美の先入観をどうしても私は思い浮かべます。

3番目以降の項について

3~5番目の項は訳抜けの連発。「周囲が何と言おうと気にしない」という印象を植え付ける方向の訳抜けの続出にはもやもやします。3番目で否定文を肯定文として訳すのは、故意を疑いたくなるくらい派手なミス。もっとも、新倉真由美はよそで「否定した」を「否定しなかった」としており、意図的にこうする理由は見えないので、本当にこの手の見間違えをするようです。

6番目の項は挙げたなかで唯一、先入観とは無関係なミスだろうと思います。この文を読むのは私も苦労したし、先入観で突っ走るならもっとあからさまな訳文になったのではないかと思うので。

2013/6/28
ヌレエフ財団サイトに「くるみ割り人形」オペラ座初演キャストの記載がなかったので、言及を削除

新倉本が招くヌレエフの誤解(2) - 怒ってばかり

ヌレエフが短気なのは本当のことでしょう。しかし訳本『ヌレエフ』では、怒るヌレエフの描写がやけに多くなっています。

  1. 「魅惑する」が「激怒する」に
  2. P.136 いつも怒り狂い(「三日月クラシック」の原文比較4より)
  3. P.167 人びとに取り巻かれイライラしていた(「三日月クラシック」の原文比較3より)
  4. fruste(粗野な)とfrustré(欲求不満の)

「気が散って苛立ち激怒する」について

1番目の項の強引さは、上に挙げた中でも際立っています。単語の見間違い、能動態と受動態の取り違えは新倉真由美にありがちなので、「気が散って苛立ち」だけなら、またかで済みます(いえ、済まないんですが)。しかし3番目の動詞fascinerを「激怒する」に置き換えるのは、仏和辞書を一度でも引けば決してできないはずです。いえ、引かなくとも、確か高校英単語であるfascinate(魅惑する)に似たfascinerは、意味も同じなのではないかと、私はこの単語を見た時から疑いました。「激怒する」と言い出した新倉真由美の心境は次のどちらだったのでしょう。

  • 「気が散って苛立ち」に続くのだから「激怒する」に違いない。辞書など引くまでもない。
  • 「気が散って苛立ち」に「魅惑する(または魅惑される)」が続くなんてありえない。原著者は間違っている。

どちらにしても、新倉真由美の脳内にある「気が散って苛立ち激怒する」ヌレエフのイメージがいかに強烈かが推察できます。

その他の項について

2番目の項は、frileux(寒さに弱い)をfurieux(怒り狂った)に見間違えるだけなら、翻訳者の水準を満たす語学力と誠意を持った人にでもありうるミスでしょう。しかしその後に続く「温まる(se réchauffer)」という単語をしっかり把握すれば、frileuxの見間違いに気づくことにつながったかも知れません。1番目の項と同じく、怒り狂うヌレエフの強烈なイメージが、原文そっちのけで「ほとぼりを冷ます」という言葉を生み出したのでしょう。

3番目と4番目は最初の2つに比べると普通ですね。新倉真由美が「~させる」という文に弱いのは3番目の項だけではないし、4番目は確かに2つの単語は似ています。

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プロフィール

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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