伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2013.05.21
プティ・ラットの意味
2013.05.19
ヌレエフは妥協案も含めて撤回した
2013.05.17
『密なる時』最終章は夢かうつつか
2013.05.13
鑑賞に来た病の友とは客席で話すのが自然
2013.05.11
初日を踊るのは第一線で踊るより重い

プティ・ラットの意味

『ヌレエフ』P.252:
しかし登場するや新しいボスはトラブルも怒りも不平不満もなくコールド、コリフェ、カドリーユ、プルミエ・ダンスーズ、そしてエトワールに仕事を戻した。*3
Meyer-Stabley原本:
Mais dès son entrée en scène le nouveau « boss » remet au travail les petits rats, les coryphées, les quadrilles, les premiers danseurs et les étoiles. Pas d'esclandres, pas des colères, pas de portes qui claquent*...
Telperion訳:
しかし舞台に登場した途端、新しい「ボス」はバレエ学校の生徒、コリフェ、カドリーユ、プルミエ・ダンスール、そしてエトワールを仕事に戻した。騒ぎもなく、怒りもなく、扉が手荒く閉められる誰かが出て行くこともなかった…。

監督に就任したヌレエフが仕事をさせたダンサーたちのランクを列挙しているが、先頭の"petit rat"だけは、パリ・オペラ座バレエのダンサーのランクではない。手持ちの『プログレッシブ仏和辞典第2版』でratを引くと、こうある。

petit rat (d'Opéra)
オペラ座のバレエ練習生: 公演ではエキストラに起用される

この書き方だと、コールドと呼んでもいいような気もする。しかし、もっと専門性が高い情報源に当たると、"petit rat"はバレエ団と仮契約をしているとかいうのではなく、パリ・オペラ座付属のバレエ学校に所属する生徒だということがはっきりする。

  • 『パリのエトワール』(パトリック・デュポン著、林修訳、新書館)でプティ・ラットという通称とその意味に触れている。呼び名の発祥ははっきりしないらしく、説が2つほど挙げてあった。
  • パリ・オペラ座バレエのサイトにあるバレエ学校の沿革紹介ページで生徒たちを« petits rats »と呼んでいる。
  • ラルース仏語辞典サイトでpetit ratが載っている
    petit rat
    jeune élève (garçon ou fille) de l'école de danse de l'Opéra de Paris.
    パリ・オペラ座バレエ学校の若い生徒(少年または少女)。(Telperion訳)

新倉真由美の文の不自然な点

パリ・オペラ座バレエの群舞ダンサーであるコールド・バレエは、カドリーユ、コリフェ、スジェの総称。「コールド、コリフェ、カドリーユ」では、コールドという言葉に含まれるコリフェとカドリーユがまた名指しされることになる。自然な表現は「スジェ、コリフェ、カドリーユ」か、単に「コールド」だけだろう。

正直言って、このpetit ratは間違えても仕方ないかなと思うし、間違えても影響が大きいわけではない。しかし、パリ・オペラ座バレエに詳しい人が『ヌレエフ』の読者になることは多いと思われ、そのなかには「コールド、コリフェ、カドリーユ」という列挙に変な気になる人がいても不思議はない。翻訳が原因で訳文に違和感を覚える個所は取り上げるポリシーなので、あえて記事にした。

ばたんと閉まる扉

上の見出しは、原文最後の"de portes qui claquent"の直訳。これが何の比喩なのかは私は断言できないし新倉真由美の「不平不満」に違和感もない。だから本来ならこの部分の対訳は載せないのだが、この言い回しについて別記事でいずれ書いてみたいので、参考のために前もってこの部分も載せておいた。

更新履歴

2013/12/11
パリ・オペラ座サイトの構成変更に伴い、プティ・ラットに触れたリンク先を変更
2014/1/18
「扉がばたんと閉まる」が何の比喩なのかが分かったのに伴い(参照: パリ・オペラ座の外に出たデュポン)、私の訳を修正
2014/3/18
小見出し「ばたんと閉まる扉」に取り消し線を引く。この言い回しの意味が判明した後では必要ない内容になったので。

ヌレエフは妥協案も含めて撤回した

『ヌレエフ』P.290:
私はケネス・グレーヴをエトワールとしても規定通り三年間は契約しません。
Meyer-Stabley原本:
Je n'engagerai pas Kenneth Greve comme étoile ni pour trois ans comme c'était convenu.
Telperion訳:
ケネス・グレーヴェをエトワールとして雇うことも、取り決めたように3年間雇うこともしません。

ヌレエフが無名の若手ダンサーをいきなりエトワールにしようとしたものの、ダンサーたちの強硬な反対にあって断念したときの発言。

否定したのは期間が異なる2つの雇用

記事「契約書を書くときの困難の列挙」でも書いたが、niは「Aを否定する文 ni B」という形で使い、AもBも否定するための単語。

  • Aに当たるのは"comme étoile"(エトワールとして)
  • Bに当たるのは"pour trois ans comme c'était convenu"(決められたように3年間)

"je engagerai Kenneth Greve"(ケネス・グレーヴェを雇う)の後ろにAが付いた文とBが付いた文、2つを否定している。

「エトワールとして」と「3年間」を並べる理由は、エトワールの地位はひとたび獲得したら、定年までそのままだということと関係があるのだろう。ヌレエフは「通常のエトワールとして定年まで雇うことも、3年間雇うこともない」と言っているように見える。

3年契約は規定でなくヌレエフの構想

「3年間」(pour trois ans)に続く「"comme c'était convenu"(これが取り決められたように)は、この文で最も解釈が難しい。3年間のエトワール雇用に関する規定がどこかにあるのか?それとも今回そういう決定が一度は下されたのか? 期間限定エトワールの前例を私は聞いたことがないので、それについての規定はありそうに思えず、後者のほうが可能性が高いと思った。しかし原文だけでは確信できず、他の資料を探したところ、見つかった。

  • Julie Kavanagh著『Nureyev: The Life』ペーパーバックP.633より

    It was Rudolf calling Paris offer him a three-year contract as an étoile.

    それはパリから電話してきたルドルフで、ケネスにエトワールとしての3年契約を申し出たのだった。(Telperion訳)

  • 1989年7月1日のルモンド紙の記事より

    les danseurs lui faisaient savoir qu'ils n'appréciaient pas son intention d'engager comme étoile, pendant trois ans, un "étranger" au sérail.

    ダンサーたちは、3年間「よそ者」をハーレムでエトワールとして雇おうとするヌレエフの意志を認めないということを彼に知らしめた。(Telperion訳)

「3年間エトワールにしたい」とはヌレエフの発案。この事件をまとめて読めるKavanagh本によると、ヌレエフはグレーヴェをエトワールにすると言い出した最初から、3年間と言っている。ヌレエフにとって監督たる自分の発案は決定事項に等しかったので、自分の思いつきを「取り決めた」と呼んだのではないかと思う。

未練がましい新倉真由美のヌレエフ

ヌレエフにしてみれば、3年間のエトワールというのは、無名な部外者をエトワールにしやすくするための妥協案だったのだろう。しかし大反対された末に、3年間でもそうでなくてもグレーヴェをエトワールにしないというのは、完全に白旗を揚げたと言っていい。

新倉真由美訳の「三年間は契約しません」という言い方だと、「3年間は契約しないが、3年経ったらその限りではない」という、まだあきらめていないような印象を受ける。

更新履歴

2016/5/5
小見出し変更

『密なる時』最終章は夢かうつつか

記事「断定を回避する癖 」の続きです。あの記事で挙げたものは、翻訳ミスとして扱えるか、さらっと言及できる程度の違和感を持つかのどちらかでした。この記事で取り上げるのは、そのどちらでもありませんが、あの記事を書く気になった最大の動機です。

『密なる時』P.102:
その比類なき傑作の中で、愛するオデットを探しながら白鳥から白鳥へと走り抜けていく彼の姿が、私には見えたような気がした。彼は現代的なロマンティシズムの激しさをそこに加えていた。
プティ原本:
Je le vois encore courant d'un cygne à l'autre, cherchant sa bien-aimée dans ce chef-d'œuvre auquel il apportait la violence de son romantisme contemporain.
Telperion訳:
彼が自らの現代的なロマンチズムの激しさをもたらしたこの傑作で、愛しい人を探して白鳥から白鳥へと走っていくのが、私には再び見えた。

私にとって思い入れの深い『ヌレエフとの密なる時』最終章から、ヌレエフの死後に舞台衣装を手に入れたプティの思い。新倉真由美の文は練り上げられているのに、なんですか、「ような気がした」って。

この文の主文の動詞voirは、英語のseeと同じく、とてもよく使われる動詞であり、多くの意味があります。その中で真っ先に挙げられるのは「見る」。「夢見る」とか「将来を思い描く」とか、実際には目の前にないものを見た気になることを表すのにも使われますが、それはそういう文脈でも使われるということであり、voirという単語自体に単なる想像という含みがあるわけではありません。そして上記のプティの文自体にも、それが想像だということを示す言葉はありません。

プティは最終章の冒頭で、"entre songe et réalité"(夢とうつつの間で)と書いています。しかし「夢の中で」とは書かなかった。そして以降の文で、本当にあったことのように、ヌレエフとの束の間の再会を書いているのです。「まさかこんなことが実際に起きたわけはないよねえ」とは思います。でも私はその常識を頭の片隅に置きながらも、「プティは本当のことだったらと願っているだろうし、本当にあってもいいじゃないか」というつもりでこの章を読んでいます。

ジークフリートの衣装をまとって走るヌレエフは、そのときプティが見たものではありません。しかし、「本当にあったと思ってもいいじゃない」と思えるという点では同じ。ここを「本当に見えたのではない」と断定することは、私にとってこの最終章に「ヌレエフは私の方に近づいてきたと私は思い込んだ…私たちは踊り始めたつもりになった…彼は消えてしまったという気がした」と追記するに等しく、それを言い出したら最終章の位置づけが揺らぐような異議です。読者が「それって気のせいだから」と断定するならそれもよい。しかし原著者が事実と区別がつかない書き方をしているのに、訳者が「気のせいなのは自覚しています」という文に書き換えるのは、私にとって誤訳でなくても間違いなく改悪です。

鑑賞に来た病の友とは客席で話すのが自然

『密なる時』P.96:
招待客たちが帰っていった後、楽屋の中には私たち2人だけが残された。
プティ原本:
Après que ses invités se sont retirés, nous restons seuls dans sa loge.
Telperion訳:
彼の客が引き上げた後、私たちだけがボックス席に残った。

すでに逝去が近づいていたヌレエフが友人たちとともにプティのバレエ公演を見に来た。プティが公演後にヌレエフを訪れたときのこと。

楽屋でなくボックス席

logeはバレエ関連の言葉としては「楽屋」「ボックス席」の意味でよく使われる言葉。この文で、2人が残ったのは"sa loge"(彼のloge)。観客としてやって来たヌレエフの楽屋は劇場にないだろう。だからここでのlogeは「ボックス席」の意味になる。実際、ヌレエフはbaignoire(1階のボックス席)にいたということが少し前に書かれている。

当時のヌレエフに場所を替えるのは負担

このエピソードは章「1992年10月10日」の冒頭を飾る。観劇したのと同じ日かどうかは分からないが、この日はヌレエフ版「ラ・バヤデール」全幕が初演された数日後で、『ヌレエフ』P.304によるとヌレエフがサン・バルテルミーに静養しに行った日。ヌレエフの病気はかなり重くなっていたのだから、いくら小康状態だったとしても、わざわざヌレエフの座席からプティの楽屋に移動はしないと思う。そういうわけで、訳文には少しばかり違和感を持った。

更新履歴

2016/12/12
諸見出しの手直し

初日を踊るのは第一線で踊るより重い

『ヌレエフ』P.255:
芸術監督であり振付家、運営者、教師でもあったルドルフが第一線で踊りたいと言い出したときだった。
Meyer-Stabley原本:
lorsque Rudolf, déjà directeur artistique, chorégraphe, administrateur et eiseignant, se met en tête de vouloir danser aussi toutes les premières.
Telperion訳:
すでに芸術監督、振付家、管理人、そして教師だったルドルフが、すべての初日も踊りたいと心に決めたときだった。

監督就任が順調に滑り出してしばらくしてから、ヌレエフとダンサーたちに最初のもめごとがおきたとき。

バレエの文脈での名詞premièreは「初日、初演」。初日に踊るということは、そのバレエ団のベスト・キャストとして認められるという特別なこと。新作の世界初演となればダンサーの経歴として認められるし、オペラ座初演はもちろん、再演ですら初日のファースト・キャストとそれ以外のキャストは重みが違う。

パリ・オペラ座のダンサーたちは、ヌレエフにダンサーとして上に立たれるのを嫌う。1980年にヌレエフを目玉ゲストに仰ぐアメリカ・ツアーに大反対してツアーをキャンセルさせたことは、SolwayやKavanagh著のヌレエフ伝記はもちろん、『パリのエトワール』にも書いてある。また、Solway著の伝記『Nureyev: His Life』ペーパーバックP.460によると、ヌレエフは就任前にこんな取り決めをしたという。

As a concession, Nureyev agreed not to dance the first nights of any full-length ballets with the Paris company.

譲歩としてヌレエフは、パリのバレエ団との全幕バレエのどれも、初日は踊らないことに同意した。(Telperion訳)

今回、ヌレエフが初日に出演するのに猛反発するのは当然。

「第一線で踊る」とは、中心的な位置で踊ることではあるが、主役の一人として踊るという程度のことも表せる。初日に踊るダンサーは役ごとに一人だけなのと比べると、他のダンサーを差し置いてのいいとこ取りという印象は薄い。

新倉真由美の文の不自然さ - ヌレエフの望みは前から明らか

ヌレエフは監督就任前に、「私はダンサーの仕事を辞める気はなく、タイツもバレエシューズも脱いでいません」(訳本P.251)と公言している。なのに「第一線で踊りたいと言い出した」と、それまでその望みを口にしたことがなかったかのように説明するのは、私には奇異に思えた。ダンサーたちもなぜそれまで黙っていたのかということになる。

初日の重さが伝わらない新倉本

「初日を踊る」だけではその重さが分からない読者のために、別な言葉を使うという選択はあるかもしれない。しかし新倉真由美あるいは文園社は、"persona non grata"(P.75)、ジェット族(P.142)、ジェラバ(P.238)など、多くの言葉に独自の説明を付けている。ここでもう一つ訳注を追加しても不都合はないだろう。もし訳注を使わないなら、「先頭に立って」くらい強い言葉にしないと、特権的な地位をヌレエフが望んだということは伝わらないと思う。

実のところ、私が新倉真由美が「初日」の重さを知った上で熟慮の末に「第一線」と訳したとは思っていない。それというのも、新倉真由美は初演という概念に無頓着な訳を繰り返しているから。いくつか挙げてみる。

  • 「三日月クラシック」にも書いたが、巻末の監督任期中パリ・オペラ座バレエの上演作品リスト(訳本P.313-315に相当)に"création à l'Opéra"という言葉が多数ある。すでによそで上演された作品をオペラ座で初上演するという意味。しかし新倉真由美の訳語は「オペラ座作成」。
  • 同じリストに多数ある"création mondiale"は、新作の世界初公開という意味。新倉真由美の訳語は「ワールドプレミア」。「ワールド・プレミア」は映画界で新作を披露する試写会を指し、"création mondiale"は本番での披露となる。「ワールドプレミア」は「オペラ座作成」よりは本来の意味に近いとはいえ、同じ概念ではないと思う。
  • 記事「振付作品数は初演作品数と再演作品数の合計」で、初演(動詞créerや名詞création)と再演(動詞reprendreや名詞reprise)の区別がついておらず、再演作品を「振付作品」とか「改訂版」とか呼んでいる。

初演の意味をこれだけ見逃しているのに初日の意味を分かっているとは、私には考えにくい。今回は慎重に「誤解を招きやすい個所」扱いにはしたが。

更新履歴

2016/5/7
諸見出し変更
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プロフィール

Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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