伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2013.04.30
マッチョ好き説よりセレブ好き説を支持する原著者
2013.04.28
用途が不明確な手紙に署名?
2013.04.26
内部糾弾者に対する原著者の視線は冷たい
2013.04.25
自重を強いられたヌレエフ
2013.04.23
冗談を浴びせて破滅させた?

マッチョ好き説よりセレブ好き説を支持する原著者

『ヌレエフ』P.178:
相手を物色するときに美学的な基準はなく、筋骨隆々の恋人たちを好んでいた。著名人に惹かれた一面を指摘する人もいる。彼の“征服した人びと”のリストにはキラ星のごとく輝かしい名前が連ねられている。
Meyer-Stabley原本:
« La beauté n'était pas l'élément qu'il recherchait dans sa vie sexuelle, rapporte l'un de ses amis. Il aimait des amants musclés, bien menbrés, sans critères esthétiques marqués. »
En revanche, on peut s'interroger sur l'aspect attractif de la célébrité dans le choix de ses amants, tant est longue la list de ses « conquêtes » illustres.
Telperion訳:
「美しさは彼が性的な生活で求めた要素ではありませんでした。際立った美的基準はなく、筋肉質でたくましい恋人が好きでした」と友人の一人は語る。
それに反して、彼の恋人選びにおける有名人の魅力ある側面について自問することができる。彼の著名な「征服」のリストはそれほどまでに長い。

ヌレエフが性的関係を持ちたくなる相手として、ここでは2つの説が出る。

  • ヌレエフはたくましい男が好き
  • ヌレエフは有名人が好き

2番目の説を出す前に"En revanche"(それとは逆に)という前置きを付けていることから、Meyer-Stableyは2つの説を相反すると見なしていることが分かる。

マッチョ好き説は伝聞として提示される

2つの説を誰が唱えているのかは、Meyer-Stableyと新倉真由美の文で異なる。

Meyer-Stableyの文
  • 「たくましい男」説を唱えるのはヌレエフの友人の一人
  • 「有名人」説を唱えるのは代名詞onで表される不特定の人びと
新倉真由美の文
  • 「たくましい男」説を唱えるのはMeyer-Stabley
  • 「有名人」説を唱えるのは不特定の誰か

Meyer-Stableyは「自分はこう思う」と明記していない。しかし、1番目の説を唱えるのが明白に他人なのに対し、2番目の説を唱えるのは不特定の人びとなので、そのなかにMeyer-Stableyが紛れ込むことは十分に可能。Meyer-Stableyは2番目の説に肩入れしていると思われる。

一方、新倉真由美の文では、Meyer-Stableyは1番目の説に肩入れしているとしか見えない。

原著者はこの後セレブ好き説の立証につとめる

引用部分の後、Meyer-Stableyはヌレエフと恋愛関係があったとされる有名人の名をいろいろ挙げる。しかもその筆頭は、ほっそりしていて筋骨隆々に見えないアンソニー・パーキンス。Meyer-Stableyが「ヌレエフは有名人が好き」説を信じているのはあまりにも明らか。新倉真由美の文はMeyer-Stableyによる力の入った例示と合わない。

私から見ると、Meyer-Stableyは「ヌレエフと有名人の誰それは恋愛関係にあった」という説に飛びつきすぎるきらいがあり、眉唾物も多いように思える。フレディ・マーキュリーについて否定的な人もいるのは「三日月クラシック」にあるとおりだし、イヴ・サンローランの場合など、根拠が薄いのをMeyer-Stabley自身が自覚しているようだし。しかし翻訳するなら、原著者の意見・論理はきちんと伝えるのが訳者の務めと思う。

2014/2/22
大幅に書き直し
2016/5/13
諸見出しを変更

用途が不明確な手紙に署名?

『密なる時』P.78:
あれからほぼ20年を経た今、私はどうしてあるひとりの著名な振付家にかかわり、あのように愚かなことをする話に乗せられてしまったのかと自問自答することがある (注9)。彼が私に差し出した1通の手紙はすっかり書き終えられており、すでに最終的なチェック済みであった。あとは新聞の最終版用に印刷を待つだけという段階で、欠けていたのは私の署名だけだった。私がサインさえすればその振付家と連名になり、すみやかに封がされ発送されてしまうのだろうか。
プティ原本:
Je me pose la question aujourd'houi presque deux décennies plus tard, comment ai-je pu me laisser embarquer par un chorégraphe de renom à cosigner avec lui une lettre qu'il me présenta terminée, bouclée comme pour la dernière édition du journal, et à laquelle il ne manquait plus que ma signature, ce qui fut fait, la lettre étant aussi sec cachetée et expédiée ?
Telperion訳:
ほぼ20年経った今、私は自分に問いかける。ある名高い振付家に巻き込まれ、見せられた手紙に共に署名するのを許すことが、どうして私にできたのか? 手紙は最後まで書かれ、新聞の最終版用であるかのように封をされ、私の署名だけが欠けており、それは行われ、手紙はただちに封印され発送された。

ベジャールとプティが1986年にヌレエフを攻撃する連名の公開書簡を発表したことについて。『Temps Liés avec Noureev』出版は1998年なので、ほぼ20年(presque deux décennies)というほど前ではないが。この文は『ヌレエフ』P.261でも、語尾を「である」から「です」に変えただけで、そのまま引用されている。

プティの自問の内容は、"comment ai-je pu me laisser embarquer par un chorégraphe de renom à cosigner avec lui une lettre"(彼と共に手紙に署名することにより、ある名高い振付家に巻き込まれるがままになることが、どうして私にできたのか)。最後のlettre(手紙)に続く"qu'il me présenta terminée, bouclée comme pour la dernière édition du journal, et à laquelle il ne manquait plus que ma signature"(終えられ、新聞の最終版用であるかのように封をされた状態で彼が私に見せ、私の署名だけが欠けていた)は、手紙を修飾している。ここまでは新倉真由美の訳は私とそれほど違わない。

疑問文の語句がすべて疑問だとは限らない

手紙の説明の後に来る"ce qui fut fait"(行われたこと)は、すぐ前に言ったことの言い換え。恐らく直前の署名と思うが、「巻き込まれるのを許した」という文全体かも知れない。前に書いたことを「~であること」と呼ぶことで、「それは~であった」という感想を述べるのは珍しくない用法で、Meyer-Stabley著『Noureev』にもよく見られる。

そして最後の"la lettre étant aussi sec cachetée et expédiée"は、英語でいう独立分詞構文(主文の主語と分詞の主語が異なる分詞構文)に当たる。分詞構文の意味合いは場合によって変わるので断定は難しいが、「手紙がただちに封印され発送されるために」とか、「手紙がただちに封印され発送されるという結果が伴った」とかいう意味だろう。

プティが「どうして~できたのだろうか」と自分に問いかけたことの内容は、手紙の長い説明を含めても、"comment ai-je ~ ma signature"で終わる。つまり、プティの疑問は「どうして巻き込まれるままになることが私にできたのか」だけ。「行われたこと」と「手紙が封印され発送され」は行われたことに関する補足説明。原文で2つの補足説明の後に疑問符があるのは、この2つは疑問そのものではなくても疑問文の一部であり、疑問符は疑問文全体の最後に付けるというルールのせい。

私が訳本から受けた違和感

新倉真由美の文によると、プティは手紙に署名した時、署名された手紙が発送されることになるのを確信していない。まるでベジャールが手紙を差し出すとき、「この手紙に署名してくれ、わけは聞くな」と言ったかのよう。ベジャールがそんな強引な方法でプティに署名を求めたとは考えにくく、実際には手紙の内容や目的を説明したと考えるのが自然。プティは「私がサインすればこの手紙は発送され、公開されるのだ」と思ったかも知れないが、「発送されてしまうのだろうか」という疑問は抱かなかったと思う。

内部糾弾者に対する原著者の視線は冷たい

『ヌレエフ』P.279:
マスコミは話をいちいち増長したが、ヌレエフにはメディア的に名誉を回復して応戦する時間も意欲もなかった。彼は言い放った。
「私はパリでは愛されていないのです」
Meyer-Stabley原本:
Bien entendu, la presse se fait l'écho de toutes ces perfidies, mais Noureev n'a ni le temps ni l'envie de redore son blason médiatique et de répliquer. À peine lâche-t-il : « À Paris on ne m'aime pas. »
Telperion訳:
もちろん、マスコミはこのような背信行為のすべてを反響させる役目を果たしたが、ヌレエフにはメディア面で再興して応酬する時間も意欲もなかった。彼はかろうじて漏らした。「私はパリでは好かれていないのです」

1987年以降、パリ・オペラ座バレエのダンサーたちが監督ヌレエフを糾弾することが多くなったことについて。

ヌレエフが発言する様子は弱々しい

  • ヌレエフの発言にMeyer-Stableyは"À peine"(かろうじて)と付けている。その前の「応酬する時間も意欲もない」と同様、この「かろうじて」も、ヌレエフが不満を口にすることがごくわずかだったことを示している。
  • 新倉真由美が「言い放つ」としたlâcherの意味として仏和辞書で最初に載っているのは「緩める、放す」だが、「(不用意に)漏らす、発する」という意味もある。本音がぽろっと出るというイメージの言葉らしい。

ここでMeyer-Stableyが描くのは、記事「自重を強いられたヌレエフ」と同じく、内部批判に応戦しきれず、言われっぱなしに近かったヌレエフ。しかし新倉真由美の「言い放った」からは、あくまでも放言をやめない憎まれっ子ヌレエフしか見えない。

内部糾弾者を非難する言葉が消された

Meyer-Stableyがヌレエフに若干の同情を込めている一方、内部糾弾者たちに対して冷たいのは、ダンサーたちによるヌレエフ糾弾をperfidie(裏切り、不実な行為)と呼ぶことからうかがえる。「話」などという中立的な言葉ではない。

なお、同じ文で書かれたマスコミの行為である"se faire l'écho"は、「こだまになる」とか「こだまの役目を果たす」とかいう意味。ダンサーたちの発言をそのまま報道している感じで、大げさにするという意味合いはもしかしたらないかも知れない。もっとも、そうだとしても、「裏切り」と「話」の差に比べれば、「こだま」と「増長」の差はないに等しいが。

他の場所でも消された内部糾弾者への辛口の言葉

Meyer-Stableyが内部批判者への非難めいた言葉を使うのは、ここだけではない。

『ヌレエフ』P.279:
もうひとつの不平不満
Meyer-Stabley原本:
Autre complainte perfide
Telperion訳:
もう一つの不実な嘆きの歌
『ヌレエフ』P.279:
Meyer-Stabley原本:
Certains jaloux
Telperion訳:
妬み深い者

1番目の部分は、外部出演の許可に関する不満。2番めの部分は、ヌレエフがディナー出席を強要したとか言った人間のこと。complainte(哀歌)が「不平不満」になっているのは、英語complaintからの連想によるミスだろう。

perfide(裏切りの、不実な)、jaloux(嫉妬深い)、さらには上のperfidie(裏切り)を新倉真由美がいちいち消した結果、ヌレエフ批判がMeyer-Stableyの描写より正当なものに見える。ちりも積もれば山となるとはこのことだと思う。

更新履歴

2016/5/5
見出し変更

自重を強いられたヌレエフ

『ヌレエフ』P.278:
ルドルフはこの頃から体の衰弱を意識し始め、もはや喧嘩に費やす時間はなかった。彼はよく「フランス人達はチャーミングでベラベラ意味なくしゃべりまくっている」と皮肉っていた。
一方彼のガルニエ宮の改革はオペラ座の怒りを買ってしまった。
Meyer-Stabley原本:
Rudolf a surtout désormais conscience de sa fragilité et n'a plus de temps à perdre en querelles de personnes. Avec ses proches, il ironise toujours en disant : « Les Français, c'est charming et bla-bla-bla-bla-bla ! » Pourtant, la révolution de palais gronde à l'Opéra.
Telperion訳:
ルドルフは特にこの後、自分の弱さを意識して、もう誰とも喧嘩で失うべき時間はなかった。近しい人との間では、彼はいつもこう言って皮肉っていた。「フランス人はチャーミングで無駄口ばっかりだ!」しかし、オペラ座ではトップ交代の機運が高まっていた。

1988年、監督ヌレエフに対する内部の不満がまた高まったことについて。

ヌレエフの皮肉は内輪に留まる

引用部分の前でこそ、ヌレエフはマスコミを通して「バレエ団が私を好きかどうかはどうでもよい」と好戦的で、Meyer-Stableyに"sans effort de diplomatie"(外交努力なく)と言われている(訳本ではこの論評は消えた)。しかし、フランス人を皮肉ったのは、「彼の近しい人たちとの間で(Avec ses proches)」。つまり、喧嘩に失う時間をなくしたヌレエフは、親しい人間の前で憂さを晴らした。

だからこそ、オペラ座で渦巻くヌレエフへの不満に触れる文の前に、原文では「しかし(Pourtant)」が付く。ヌレエフが皮肉を公言していたら、「だから不満が高まった」でなければ論理的でない。ヌレエフが公の場では喧嘩を避けたから、「しかし不満が高まった」なのだ。

ただ「皮肉った」だけだと、その前に好戦的な公開コメントが引用されているせいで、この皮肉も大っぴらなものに見える。しかし、ヌレエフはオペラ座で何度も妥協や挫折を強いられている(ヌレエフ版「白鳥の湖」の翌シーズンはブルメイステル版を上演とか、Kenneth Greveのエトワール任命を断念とか)。判で押したように放言ばかりしているわけではないことは、きちんと伝えるべき。

ヌレエフの改革がやり玉に挙がったのではない

  1. 最後の文の主語"révolution de palais"は文字通りには「宮殿の革命」だが、これは「政権交代、首脳交代」というイディオム。
  2. 述語の動詞gronderは「うなる、まさに起ころうとしている、不満を言う」。主語が首脳交代なので、この場合は「まさに起ころうとしている」が適切。

新倉真由美がpalaisをガルニエ宮だと早合点したのが誤訳の原因だろう。しかし「ガルニエ宮の改革」という解釈には、おかしな点が2つある。

  1. ガルニエ宮のフランス語は"le Palais Garnier"、つまりPalaisは大文字で冠詞がつく。一方、原文のpalaisは小文字で冠詞がない。
  2. 引用部分の後で列挙されるヌレエフへの不満は、「多すぎる不在」「自分の振付優先」「踊り過ぎ」。これらは改革者ヌレエフが抱える欠点とは呼べても、「ガルニエ宮の改革」とは呼べない。「改革が怒りを買った」とは、「序列を軽視して若手を抜擢するとはけしからん」とか、「外部から多くの振付家を招待するのが気に入らない」とか、ヌレエフの業績そのものへの怒りを指すのではないだろうか。

冗談を浴びせて破滅させた?

『密なる時』P.8:
彼は懸命に生き、強烈な皮肉交じりの冗談を浴びせかけては相手を動揺させ、破滅に追い込むことさえあった。芸術と生きることにあらん限りの愛を注ぎ、その生涯を通じ死に至るまで、並外れた力でありとあらゆるものをむさぼり食い尽くしていった。そして、その過剰さのあまりに命を落としたのだった。
プティ原本:
un homme brûlant la vie avec le travail, l'humour ravageur qui déstabilisait son interlocuteur, l'amour de son art et de la vie, dans laquelle il mordait à pleines dents avec excès jusqu'à en mourir.
Telperion訳:
仕事をもって、相手を動揺させる攻撃的なユーモアをもって、芸術と命への愛をもって、命を燃やした男だった。死に至るまでの過剰さで命にがつがつとかじりついていた。

プティがこれから語ろうとしているヌレエフ。最初に"un homme brûlant la vie"(命を燃やす男)と呼び、次に彼の特性、または命を燃やすための手段を列挙している。見やすくするために関係節を省いて並べてみる。

  • le travail(仕事)
  • l'humour ravageur(被害を与えるユーモア)
  • l'amour de son art et de la vie(彼の芸術と命の愛)

被害を与えるユーモア

2番目の「被害を与えるユーモア」には関係節"qui déstabilisait son interlocuteur(相手を不安定にする)が付いている。また、形容詞ravageur(荒らす、被害を与える)は、畑を荒らす害獣などに使う。ヌレエフのユーモアは、言われた相手がダメージを受けるようなきついものらしい。

しかし「破滅に追い込むことさえあった」と言えるほど激烈なものには見えない。そもそも、誰かがヌレエフから皮肉交じりの冗談を浴びせられたせいで破滅したという話は、『密なる時』でも『ヌレエフ』でも、さらにはDiane Solway著『Nureyev: His Life』でも見かけない。ravageurの訳語としては、「強烈な皮肉交じりの」で十分でないだろうか。畑を荒らす害獣が畑を二度と耕作できない荒れ地にするとは限らない。「破滅に追い込む」という容易ならぬ言葉を導き出すには、「被害を与え」「不安定にする」はあまりに弱い。

ヌレエフがかじりついたもの

最後の「芸術と人生の愛」には関係節"dans laquelle il mordait à pleines dents avec excès jusqu'à en mourir"が付いている。関係詞laquelleが使われているので、関係節が修飾する先行詞は単数の女性名詞。この場合は直前の"la vie"(命)。

関係節では"mordre dans ~"(~をかじる)という表現が使われており、先行詞である命はヌレエフがかじる対象。新倉真由美は前置詞dansの次にある言葉がかじる対象だと気づかなかったのか、"la vie, dans laquelle"を「その人生を通じ」とし、さらに原文にない「ありとあらゆるもの」という目的語を創作した。

私はプティの表現「過剰にがつがつと命にかじりつく」を「人生を最大限に享受し、欲しいものにくらいつく」のように受け取っているので、私なら「ありとあらゆるものをむさぼり食い尽くす」とは言い換えない。プティが描くヌレエフは踊りが第一で、たくさん収集した室内装飾品も、回数は多い性欲発散も、みな踊りに比べれば二の次。Meyer-Stableyが『Noureev』で描くヌレエフはもっと物欲旺盛だが、気に入った特定範囲のものを山ほど欲しがるというスタイルであり、あらゆるものを欲しがるのとは少し違う気がする。

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プロフィール

Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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