伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2012.11.30
mètre(韻律)とmaître(巨匠)
2012.11.30
シューズを投げたのは八つ当たりではない
2012.11.29
課外授業としてヌレエフを見たデュポン
2012.11.28
ブルーン逝去より前に決まったニューヨーク公演
2012.11.27
驚かせたのは監督ラッセルでなく俳優ヌレエフ

mètre(韻律)とmaître(巨匠)

『ヌレエフ』P.271:
巨匠の音楽
Meyer-Stabley原本:
musiquette au mètre
Telperion訳:
リズミカルな安手の音楽

バレエ「ドン・キホーテ」についた注の一部で、「ドン・キホーテ」を含む19世紀に受けたある種のバレエの特徴の一つ。

ここで使われる単語の意味は次のとおり。

  • mètreは「メートル」「韻律」という2つの意味がある。「巨匠」に当たるフランス語はmaître。
  • musiquetteは「芸術的な価値がない音楽」。

音楽を指して「メートルがある」とは言わないだろうから、ここでの"au mètre"は「韻律を踏む」のほうだと思う。詩でなく音楽のことだから、私は拍子を取りやすいことだろうと思い、「リズミカルな」と意訳してみた。

「ドン・キホーテ」の作曲者ミンクスのバレエ音楽は、「バレエの伴奏には良いが、単独で聴くに堪える曲ではない」という評価らしい。音楽だけのCDとしてはほとんど売られていない。ミンクスがいくつもの有名なバレエに曲を付けたとはいえ、「ドン・キホーテ」の特徴として「巨匠の音楽」はなさそうに思える。原文のmusiquetteという言葉からも、そのことはうかがえる。

シューズを投げたのは八つ当たりではない

『ヌレエフ』P.87:
そして白い胸飾りをつけ舞台袖にいた男性の方をめがけてバレエシューズを投げつけた。
Meyer-Stabley原本:
après quoi, dans les coulisses, il lance son chausson dans la direction de l'homme au plastron blanc.
Telperion訳:
その後舞台袖で、白い胸当てをした男性の方向にシューズを投げつけた。

ヌレエフが指揮者のテンポに腹を立て、「ラ・バヤデール」公演中に自分のヴァリアシオンを中断した後のこと。

舞台袖にいたのはヌレエフ

原文の"dans les coulisses"(舞台袖で)は、その後に続く文"il lance son chausson dans la direction de l'homme au plastron blanc"(彼は白い胸当てをした男性の方向にシューズを投げた)全体を修飾する。つまり、舞台袖にいたのは文の主語であるil(彼)、ヌレエフ。その前に「ヌレエフは舞台袖に引っ込んだ」とは書かれていないが、シューズを投げるくらい怒っていたヌレエフなら、そうすることが不自然ではない。

舞台袖にいたのが白い胸当てをした男性なら、"dans les coulisses"が"l'homme au plastron blanc"(白い胸当てをした男性)のはるか前に書かれるはずがない。直後に続くのが自然。

シューズを投げられたのは指揮者

シューズを投げられた男性には原文で定冠詞leが(縮約形l'の形で)ついているので、このときだけ書かれる無名の男性ではなく、特定された男性。この文脈で読者に既知の男性とは指揮者。指揮者に腹を立てたからそちらにシューズを投げる。短気な行為ではあるが、怒りの対象に向かって怒りをぶつけるという点では正当。

新倉本では、シューズを投げられたのは舞台袖にいる男性なので、オーケストラ・ピットにいる指揮者ではありえない。何ら落ち度のない人間が八つ当たりされたような言い方。

おまけ - 他の伝記の記述

キーロフ・バレエのパリ公演でヌレエフが指揮者と対立して取った行動については、私が頼っているヌレエフの伝記2冊にも書いてある。かいつまんで列挙してみる。

Diane Solway著『Nureyev: His Life』ペーパーバックP.147、ピエール・ラコット談
  • 『ラ・バヤデール』の公演中に舞台を出て行き、数分後に戻った
  • それ以前のリハーサル中にシューズを脱ぎ、威嚇的な動作をした
Julie Kavanagh著『Nureyev: The Life』ペーパーバックP.121、批評家ルネ・シルヴァン(René Sirvin)談
「ドレスリハーサルのとき、指揮者が違うバレエのふしを挿入したか、気に入るテンポで演奏しなかったせいかのせいで、ヌレエフがオーケストラを止めて指揮者に罵声を浴びせた」
同書ペーパーバックP.126、ピエール・ラコット談
「『白鳥の湖』の第3幕のヴァリアシオンで転んだヌレエフが舞台を出て行き、だいぶ経ってから戻った」

公演名が違っていたり(それとも2回も舞台から出て行ったのか?)、シューズを投げたという文は見当たらなかったりする。しかし、ヌレエフが本番中に舞台を飛び出したことや、指揮者といざこざがあったことは事実らしい。

更新履歴

2014/2/3
新倉本でヌレエフが落ち度のない人間に当たったように見えることに触れる
2016/5/8
諸見出し変更

課外授業としてヌレエフを見たデュポン

『ヌレエフ』P.220:
妙技の羅列のみならずクラシックバレエの卓越した技巧を披露した彼は、瞳に微笑みをたたえ“皆さんアンコールをお望みですか?”とでも言いたげだった。
Meyer-Stabley原本:
Une leçon de brio, mais aussi de maîtrise de la danse classique, avec, dans les yeux et le sourire, un je-ne-sais-quoi de royal et divin à la fois qui semblait dire : « Pauvres mortels, en voulez-vous encore ? »
Telperion訳:
名人芸のレッスンだが、同じように古典バレエの自制のレッスンでもあり、目と微笑みの中に、王者らしくもあり神のようでもある名状しがたいものがのぞいており、こう言っているかのようだった。「哀れな人間たちよ、再びこれを望むのか?」

「眠りの森の美女」第三幕のヴァリアシオンを踊った後のヌレエフ。この感想を抱いたのは恐らくパトリック・デュポン。私がそう推測した理由は後で書く。

原文無視が過ぎる点 - ヌレエフの表情

ヌレエフの目と微笑みの中にある"un je-ne-sais-quoi"(名状しがたいもの)とは、royal(王の)であり、divin(神の)であり、そして"pauvres mortels,"(哀れな人間たちよ)と呼びかけているかのよう。微笑んでこそいても、ヌレエフの表情の中にはとてつもなく尊大なものがあったことがうかがえる。これらの形容からは、愛想よく「アンコールをお望みですか?」と問いかけるエンターテイナーの面影を見ることはとても無理。mortelは「死すべき運命の」という形容詞でもあるが、「哀れな死すべき人間」と呼びかけられて「皆さん」と呼ばれるのと同じように感じる人がいるのか疑問。原文で描かれるヌレエフの様子と、新倉真由美が書くところのヌレエフの様子の共通点は、笑みがあることだけだと思う。

引っかかった点

1. encoreは「アンコール」か

最後の"en voulez-vous encore"の直訳は「君たち(あなた方)は再びそれを望むのか」。ここでの「それ」(en)が指すのはヌレエフが見せたばかりの踊りだろうから、「アンコールを望むのか」と同じ意味と言えなくもない。私が自分の訳で「アンコール」という言葉を避けた理由は、以下の2点。

  • encoreは日本語の「アンコール」の語源ではあるが、フランス語のencoreは「まだ、再び」。フランス語で「アンコール」に相当するのはbis。
  • 「哀れな人間たちよ、~を望むのか」という文に「アンコール」という言葉を当てはめるのはそぐわない気がする。

2. maîtriseは「卓越した技巧」か

maîtriseは「制御、自制、すぐれた技量」という意味もある。ただ、ここでは「brio(名人芸)のみならずmaîtriseもある」と言っているので、maîtriseを「すぐれた技量」としてしまうと、同じものを2つ挙げて「こればかりでなくあれもある」と言っていることになり、変な文になる。一応maîtriseには"de la danse classique"が付いているが、2つの同じものを別物のように言っているという事態はほとんど変わらない。ここではmaîtriseの訳語として「制御」とか「自制」とかにしたほうが、直前で書かれている踊りの最中の技巧がbrio、最後の静止がmaîtriseなのだと無理なく読める。

デュポンの自伝との関係

原本でleçon(レッスン)という言葉が出るのはかなり奇異に思えるかも知れない。その疑問を解く鍵は、引用部分の少し前にある。

Meyer-Stabley原本:
Patrick Dupond se souvient dans ses mémoires d'une Belle au bois dormant à Paris en 1973 :
『ヌレエフ』P.220:
パトリック・デュポンは一九七三年パリでの“眠れる森の美女”公演の思い出を語った。

新倉真由美が省略した"dans ses mémoires"(彼の回想録で)から、Meyer-Stableyはデュポンの自伝『Étoile』から引用していることが分かる。明確に括弧で囲まれた引用は直後の一文だけだが、その後に続く第三幕のヴァリアシオンの描写全部が『Étoile』をもとにしていることは、たやすく想像が付く。そこで邦訳『パリのエトワール』(林修訳、新書館)を読むと、当時パリ・オペラ座付属バレエ学校の生徒だったデュポンを、教師ミシェル・ルノーがクラス全員とともにフォンテーンとヌレエフの全幕公演に連れて行ったことが書いてある。この鑑賞はバレエの勉強の一環だと知れば、leçonという言葉はまったく不思議でない。

『パリのエトワール』は『Étoile』をそのまま訳してはいないことは、訳者あとがきで明記されている。邦訳での省略がかなり多いことは、ページ数の差からうかがえる。実際、ヌレエフの偉そうな態度は邦訳には書かれていない。しかし次の一文からは、「妙技のレッスンばかりか自制のレッスン」という原文の面影を感じ取ることができる。

ダンスの輝き、ダンスのコントロールとはまさにこのことだ。

brioには「はつらつさ、快活さ」という意味もある。

ブルーン逝去より前に決まったニューヨーク公演

『ヌレエフ』P.262:
悲嘆にくれていたルドルフのもとに、元気を回復させる二つの朗報が舞い込んだ。それは同年七月メトロポリタンオペラ劇場で行われるガラ公演でのバリシニコフとの共演と、パリ・オペラ座バレエ団のアメリカ公演の知らせだった。
一九八四年のニューヨーク公演以来の
(以下は原本で引用外の文なので略)
Meyer-Stabley原本:
Rudolf, très affecté, a cependant deux occasions de se réjouir : l'annonce d'une apparition en commun avec Barichnikov pour un gala sur la scène du Metropolitan Opera en juillet de la même année, prélude à la tournée aux États-Unis (la première depuis 1948 à New York) du Ballet de l'Opéra de Paris.
Telperion訳:
しかし、深く悲しんだルドルフには、喜びを覚える2つの機会があった。同年7月にガラでメトロポリタン・オペラの舞台にバリシニコフとともに立つことと、それを前触れとするパリ・オペラ座バレエのアメリカ・ツアー(ニューヨークで1948年以来初めて)の発表である。

1986年4月1日にエリック・ブルーンが逝去したことを述べた直後の文。

ヌレエフは知らされたのでなく知らせた側

アメリカ公演の知らせを「嬉しくなる2つの機会があった」(a deux occasions de se réjouir)を「二つの朗報が舞い込んだ」と言い換えてもよいのは、知らされた相手がヌレエフの場合に限られる。しかし次の2つの理由で、私はこの仮定が誤りだと思う。

ヌレエフは知らせを受け取るべき立場にいない
ヌレエフとバリシニコフの合同ガラも、ヌレエフが監督として率いるパリ・オペラ座バレエのツアーも、ヌレエフの意志があって初めて決まること。誰かが取り決めた後でヌレエフがそれを聞かされたという新倉真由美の言い分は、もっともらしく聞こえない。ヌレエフは知らせる側にいるほうが当然。
ヌレエフが実際に知らせる側に立ったという報道の存在
1986年4月1日のNew York Times紙の記事の無料プレビューによると、その前日にヌレエフとバリシニコフの2人は共同ガラの開催を発表した。パリ・オペラ座バレエのツアーもこのとき明らかになっている。Meyer-Stableyの言うところのl'annonce(知らせ、発表)はこの発表のことだろう。

Announcing the gala yesterday, the two ballet stars said details of the program had not yet been worked out.

昨日ガラの告知を行った二人のバレエ・スターは、プログラムの詳細案はまだ出ていないと述べた。(Telperion訳)

原文からはアナウンスの対象がヌレエフだとは断定できない。「知らせはヌレエフにもたらされた」という仮定が正しくないと通用しない「朗報」に書き換えるより、原文の「嬉しくなる2つの機会」をそのままにしておくほうが無難だったろう。

悲嘆のピークは恐らく発表の後

原文では発表を「喜ぶ機会」 (occasions de se réjouir)と呼んでいる。公演発表がブルーンの逝去前という事実を知っていると、「ブルーンの死の直前だから悲嘆にくれている。それでも公演のことを考えると嬉しかったのだろう」と受け取ることができる。

しかし新倉真由美は「喜ぶ」を「元気を回復させる」と言い換えた。新倉真由美が言うところの「朗報が舞い込んだ」のは、ヌレエフが報道陣に向けて公演を発表するより前だから、やはりブルーンが生きている間のことになる。その時点でもうヌレエフの元気が回復するとは思えない。知らせがブルーンの死後だという仮定に頼って不必要に表現を書き換えるべきではなかった。

ガラでのヌレエフとバリシニコフ

「バリシニコフとの共演」という言葉は不適切とまでは言えないが、補足説明がいるかも知れない。1986年7月10日のNew York Times紙の記事には、ヌレエフとバリシニコフが共に出演したニューヨークのガラ公演について、こう書かれている(長いので原文はリンク元に譲る)。

ヌレエフとバリシニコフが共に踊ると本当に期待した人がいたら、踊りとはどういうものかをかなり自由に定義していない限り、失望したことだろう。
ロシアで訓練された古典ダンサーである偉大な2人は、実際に文字通り手を取り合い(レスリー・キャロンとともに)、どちらもトワイラ・サープ版の"Push Comes to Shove"に顔を出した。しかし大半は、それぞれ自分の地盤に居続けた。(Telperion訳)

Meyer-Stableyが"une apparition en commun avec Barichnikov"(バリシニコフと共同の出現)という言葉を選んだのが、そのことを知った上でのことかどうかは、私には分からない。ただ、apparitionという言葉自体に踊りとか演技とかいう意味はないのは確かなので、一応厳密に訳しておいた。

2014/2/3
フランス語説明の簡略化
2014/10/14
l'annonceが公演発表だという断定を弱める

驚かせたのは監督ラッセルでなく俳優ヌレエフ

『ヌレエフ』P.236:
ラッセルが彼に自由に演じさせ、その人物像の輪郭を描かせたのには大変驚きました。
Meyer-Stabley原本:
Russel lui laissa une grande liberté d'interprétation et le voir cerner son personnage était tout à fait étonnant.
Telperion訳:
ラッセルは彼に自由に演技をさせました。そして彼が役の輪郭を描くのを見るのは、実に驚くべきことでした。

「ヴァレンティノ」のプロデューサー、アーウィン・ウィンクラーの談話。

2つの文がet(そして)でつながっている。驚くべきだった(était étonnant)のは、etに続く第2文の主語である"le voir cerner son personnage"(彼が彼の役の輪郭を描くのを見ること)。ヌレエフに自由にさせたラッセルではなく、自由にヴァレンティノ像を構築したヌレエフに驚いている。

Meyer-Stableyのミス - 人名のスペル

アーウィン・ウィンクラーは原本ではIrvin Winklerと書かれているが、IrvinでなくIrwinが正しい。

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プロフィール

Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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