伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2012.09.30
談話の語り手も範囲も間違い
2012.09.30
喧嘩の相手をひっかく男?
2012.09.29
ロゼラ・ハイタワーに対して謙虚なヌレエフ
2012.09.28
記者をからかうヌレエフに好意的な原著者
2012.09.27
plus belleは「より美しい」、ではde plus belleは?

談話の語り手も範囲も間違い

『ヌレエフ』P.169:
その野性的で野良犬のような性格は頻繁に紙面をにぎわせた。
Meyer-Stabley原本:
Un danseur se souvient du côté sauvage et indompté du personnage :
Telperion訳:
あるダンサーは、彼の人物の野性的で飼いならされない面を覚えている。

P.169から170にかけての「彼は怒り狂ってバレエシューズを放り投げ」で始まり、かぎ括弧で囲まれた長い談話の前置き。この前置きのせいで、談話は一見、当時の記事の引用に見える。

語り手はジャーナリストでない

  • 文の主語"Un danseur"(1人の男性ダンサー)は、不定冠詞unが付いているので、ヌレエフではなく匿名のダンサー。ヌレエフなら特定のダンサーなので、定冠詞leが付くはず。
  • 文の述語"se souvient"は「覚えている」。Meyer-Stableyは談話を引用するとき、談話主を説明する文でこの動詞をよく使う。

つまりこの文は談話主の説明文で、「あるダンサーがこう語った」という意味。どこに載った談話なのかは分からない。死後出版された伝記に初めて載った可能性もあるわけで、当時の報道だと決めてかかることはできない。

新倉真由美訳の「頻繁に」は、souvientをsouvent(たびたび)と見間違えたと思われる。

Meyer-Stableyの叙述まで談話の一部にされる

原本によると、実はこのダンサーの談話は「ヌレエフがシューズを投げてあれこれ罵倒し、女性ダンサーたち(原文ではdanseuses)が身を隠していた」だけ。訳本だと「息をひそめて避難していた」で終わることになる。実際、一人のダンサーによる目撃談なのだから、このくらいの狭い範囲のほうが自然。

新倉真由美はダンサーの談話に続くMeyer-Stableyの叙述までも、かぎ括弧で囲んでしまった。つまり、全部が当時の報道にされている。しかし注意深く見ると、当時のマスコミの文にしては不自然な文が混ざっている。

  • 「怒りがぶちまけられ、騒動が起きた」といった抽象的な言い方。当時の報道なら具体的な事件に呼応するのだから、どういう騒動なのかをいちいち書くほうが自然。
  • タイトルをつけるジャーナリストたちの心境という、マスコミ自体への言及。

これらの文はもちろん、後から総括するMeyer-Stableyの視点で書かれている。

喧嘩の相手をひっかく男?

『ヌレエフ』P.211:
パートナーを爪でひっかいたとか、
Meyer-Stabley原本:
Une partenaire giflée,
Telperion訳:
パートナーが平手打ちされたとか、

動詞giflerは「平手打ちする」で、「ひっかく」という意味はない。実際、喧嘩で相手をひっかくのは女性の行動パターンに思え、男性であるヌレエフの行為としては違和感がないでもない。

その他の例

同様の例なので原文と私の訳は省略するが、以下の個所でも、giflerが「ひっかく」と訳されている。

P.234:
彼女をひっかいた。
P.244:
パートナーに爪を立てる

一方、以下の個所ではgiflerやその名詞gifle(平手打ち)が正しく訳されている。なぜgiflerの訳語にゆらぎが出ているのかは分からない。「ひっかく」のフランス語はgratterらしく、似たスペルとも思えない。

P.169:
平手打ちをされ
P.258:
ルノーを平手打ちしたように
P.288:
ダンサーたちを平手打ち

ロゼラ・ハイタワーに対して謙虚なヌレエフ

『ヌレエフ』P.115:
既に国際的なスターでしたが、臆せず堂々と私の特徴的なテクニックを吸収していきました。自分のスタイルを改善していこうと努めていたのだのでしょう(原文ママ)。
Meyer-Stabley原本:
Elle, une vedette internationale, n'avait jamais honte d'apprendre, d'assimiler certaines particularités de ma technique qu'elle estimait susceptible d'améliorer peut-être son propre style.
Telperion訳:
私のテクニックのうち、自分自身のスタイルを向上させることができそうだと見なしたある種の特徴を学び、吸収することを、国際的なスターである彼女が決して恥じなかった。

亡命後の初パートナーの1人となったロゼラ・ハイタワーについて語るヌレエフ。

"avoir honte de ~"は「~を恥じる」。「臆する」が指す気後れとは違う感情。

  • 彼女は国際的なスター
  • 彼女は私のテクニックを学ぶのを恥じない

この2つを組み合わせると、「ハイタワーはすでに国際的なスターで、実績が足りない私から学ぶのを恥じても不思議はないのに、恥じずに学ぶ姿勢がある」というヌレエフの真意が見えてくる。亡命によりヌレエフの話題性がいかに高くても、当時のヌレエフはまだ西側ではフランスでしか踊っていないに等しく、対するハイタワーは諸国で活躍したベテラン。ヌレエフはそれを自覚していた。

引用文の後でヌレエフはハイタワーをさらに「自分の知識に無闇に執着しない」「常に改善方法を受け入れる」とほめる。この賛辞も「ハイタワーはすでに知識が豊富で改善にあくせくしなくてもすむはずなのに、なんという向上心!」と、ハイタワーの実績をほのめかしていると思う。

新倉真由美の文の不自然な点

「臆せず」とは普通、強者に対峙する弱者に対して使う言葉。このため、「ハイタワーが臆せず堂々とヌレエフのテクニックを吸収する」と言うには、「ヌレエフの前ではハイタワーなど小物に過ぎない」という前提が必要。だから、ハイタワーが強者であることに触れた「国際的なスターだが、臆せず堂々と」というのはいささか奇妙な表現。

2012/12/11
「新倉真由美の文の不自然な点」部分を独立させる

記者をからかうヌレエフに好意的な原著者

『ヌレエフ』P.164:
しかし記者はルドルフの花形スターぶりをクローズアップしようとするあまり、子どもじみた一面には注意を払わなかった。看板ダンサーとしての性格は確かに気まぐれであった。
Meyer-Stabley原本:
Pourtant, la presse oublie ce côté bon enfant instable pour n'épingler que le côté « diva » de Rudolf, dont le caractère est certes capricieux.
Telperion訳:
しかし、マスコミはこの気が変わりやすい好人物の面を忘れ、ルドルフの「スター」の面だけをとらえた。その性格は確かに気まぐれだった。

ヌレエフの「人に執着しないようにしているが、母には定期的に電話をかける」などという談話が紹介された後。

Meyer-Stableyが挙げるヌレエフの二面性

不安定な好人物の面
インタビュアーを煙に巻いているヌレエフを、Meyer-Stableyは「この"bon enfant instable"の面」と呼んでいる。"bon enfant"は仏和辞書のenfantの項に載っている言い回しで、「好人物、お人よし」「人が良い」という、肯定的な言葉。多少マイナスイメージがあるinstable(不安定な、気が変わりやすい)が付いているとはいえ、Meyer-Stableyはヌレエフのこのおふざけインタビューを好意的に見ていることがうかがえる。
「スター」の面
Meyer-Stableyはこの引用文の後、ヌレエフがトロントで逮捕されたとか、出席したパーティがセルフサービスだと聞いて「ヌレエフは自分にサービスしない」と怒ったとかいう、数々の事件を列挙する(訳本ではカットされたが)。こういう事件を起こすのが、Meyer-Stabley言うところの"le côté « diva » de Rudolf"(ルドルフの「スター」の面)。

「ある一面は強調され、別の一面は忘れられた」と主張するには、2つの面が違っていなければ意味がない。Meyer-Stableyにとって、インタビュアーを煙に巻く一面は、気まぐれやかんしゃく持ちの一面とは大きく異なるということが分かる。

どちらに転んでも性格が悪い新倉真由美のヌレエフ

子供じみた一面
Meyer-Stableyのいう"bon enfant instable"の面を新倉真由美はこう呼んだ。褒めるつもりで「あなたって子どもじみていますね!」と言う人はまずいないだろう。「子どもじみた」という言葉はそれだけ印象が悪い。
花形スターぶり
Meyer-Stableyのいう« diva »の面を新倉真由美はこう呼んだ。「子どもじみた」と違い、一見ほめ言葉にも見える。ところが、続いて書かれるのは「気まぐれ」、さらには「平手打ちをし、わめきちらし、のた打ち回る」ヌレエフ。どうやら「花形スターぶり」とは、気まぐれで怒りっぽいということらしい。

新倉真由美の文の不自然な点

「子どもじみた一面に注意を払わず、花形スターぶりをクローズアップ」とは、子供じみた一面と花形スターぶりが大きく違っていて初めて意味を成す。ところが、ここでの花形スターぶりは「子供じみた面」とも十分言える。同じような性格を一方では「注意を払わず」、もう一方では「クローズアップ」とはどういうこと?新倉真由美の文は、Meyer-Stableyが挙げた2つの面を同じように否定的に扱うことで、混乱状態になっている。

気まぐれなのは誰か

関係節"dont le caractère est certes capricieux"(その性格は確かに気まぐれだ)が修飾しているのは、文法的には恐らくRudolfと"le côté « diva » de Rudolf"のどちらとも可能。ただ、"le côté « diva »"という言葉それ自体に「気まぐれ、自分勝手」という意味が含まれているので、「スターの一面は確かに気紛れ」という表現には、たとえば「やり手のサラリーマンの一面は確かに有能」というような冗長さを感じる。この場合は、「ルドルフの性格は確かに気まぐれ」なのだと思う。

2014/2/11
2つの性格面の対比を強化

plus belleは「より美しい」、ではde plus belleは?

『ヌレエフ』P.141:
拍手喝采が彼女をより一層美しくしていました。
Meyer-Stabley原本:
Les acclamations reprirent de plus belle.
Telperion訳:
ひときわ高まった喝采がまた始まりました。

1962年2月21日、フォンテーンとヌレエフが「ジゼル」で初共演を果たした後、いつまでも続くカーテンコールの情景。

"de plus belle"は「いっそう激しく、前よりひどく」というイディオム。仏和辞書でbeauを引くと載っている。新倉真由美による「彼女をより一層美しくして」は、次のことからの類推ではないかと思う。

  • 形容詞beauの最もメジャーな意味は「美しい」。
  • belleはbeauの女性形。
  • plusが形容詞の前に付くと、形容詞の比較級「もっと~」になる。

述語で使われている動詞reprendreは目的語がないので、ここでは自動詞として使われている。自動詞としてのreprendreの意味はそう多くなく、そのなかでは「再開する」が最も文脈に合う。

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プロフィール

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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