伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2012.06.30
数百万人のロシア人や中国人がいるソ連?
2012.06.29
亡命時のヌレエフをロゼラ・ハイタワーは見なかった
2012.06.28
一般人が刑事を雇う?
2012.06.28
プティが作品を引き上げたのはベジャールのためではない
2012.06.27
オランジュリーは美術館でなくレストラン

数百万人のロシア人や中国人がいるソ連?

『ヌレエフ』P.102:
家族や数百万人のロシア人や中国人がいる祖国のこと。そこで過ごした日々、私はいつも孤独でちっぽけな一人の男でしかありませんでした」
Meyer-Stabley原本:
J'ai pensé à ma famille, à mon pays ; j'ai pensé qu'il y avait des millions de Russes et même des millions de Chinois, et j'ai pensé que j'étais là, tout seul, tout petit... rien qu'un homme.
Telperion訳:
家族のこと、祖国のことを考えました。何百万ものロシア人、同じく何百万もの中国人がいることを考え、自分がここにいることを考えました。まったく一人、まったくちっぽけで…一人の人間に過ぎないのです。

亡命するかどうか最終決定したときのことを回想するヌレエフ。

何と関連してロシア人や中国人のことを考えたか

原文の第2文「何百万ものロシア人や中国人がいることを考えた」(j'ai pensé qu'il y avait des millions de Russes et même des millions de Chinois)と前後の文を区切る記号を見てみる。

  1. 第1文「家族と祖国のことを考えた」(J'ai pensé à ma famille, à mon pays)との間を区切るのはセミコロン
  2. 第3文「私はここにいる、まったく一人、まったくちっぽけだと考えた」(et j'ai pensé que j'étais là, tout seul, tout petit)との間を区切るのはコンマ

セミコロンはコンマとピリオドの中間のような記号。ピリオドのニュアンスが加わる分、セミコロンのほうがコンマより文を区切る意味は強い。だから第2文とのつながりがより強いのは、第1文でなく第3文。ヌレエフが第2文で中国人を引き合いに出したのは、大勢いる民族を挙げることで、第3文で説明する孤独感を強調するため。

過去でなく現在を考えるヌレエフ

"j'ai pensé que j'étais là,"は間接話法なので、ヌレエフが考えたこと(que以降)は時制の一致や語句の転換を経ている。ヌレエフの考えを分かりやすくするために、この文を直接話法に書き換えると、"j'ai pensé : « je suis ici,»"(私は「私はここにいる」と考えた)となる。つまり、ヌレエフが考えたのは、一人きりで部屋にいる現在のこと。

新倉真由美の文の不自然な点

新倉真由美は第2文の「数百万人のロシア人や中国人」を第1文の「祖国のことを考えた」に結び付け、祖国の説明にしている。その結果、私は訳本を読んだとき、「ソ連に中国人が数百万人もいるはずがないのだが」と奇異な印象を受けた。仮に「数百万人の」がロシア人だけを修飾すると解釈しても(原文でははっきり"des millions de Chinois"とあるが)、ソ連にいる中国人をここで話題にすること自体が奇異。

更新履歴

2012/11/9
「新倉真由美の訳文の不自然な点」の部分を独立させ、引用文の背景説明を追加
2014/1/18
主に箇条書きや小見出しの追加による書き換え

亡命時のヌレエフをロゼラ・ハイタワーは見なかった

『ヌレエフ』P.97:
一方ブルジェでは、バレエ団の団員たちがロンドンに向けて旅立とうとしていました。その時突然、二人の男たちにはさまれているヌレエフの姿が見えました。彼らはモスクワに向かう飛行機に彼を乗せようと誘導しているところでした。
Meyer-Stabley原本:
Mais au Bourget la troup allant s'envoler pour Londres, brusquement, il s'est vu s'encadrer par deux hommes voulant le diriger sur l'avion qui repartait pour Moscou...
Telperion訳:
しかしブルジェでバレエ団がロンドンに飛び立とうとしており、突然彼はモスクワに引き返す飛行機に自分を送り込もうとする2人の男に挟まれていたのです...

ロゼラ・ハイタワーがヌレエフの亡命について語った談話で、「彼には何の準備も予想もありませんでした」に続く部分。

文法解説

新倉真由美訳の「ヌレエフの姿が見えました」に相当する原文"il s'est vu ~"の文字通りの意味は、「彼が自分が~なのを見た」。ヌレエフを見たのはハイタワーでなくヌレエフ自身。

ここでの述語の代名動詞"se voir"は、「自分が~なのを見る」から転じて「~になる、~に陥る」などという意味にもなる。この場合はそちらの意味だろう。

ハイタワーはその場にいない

ヌレエフがハイタワーと知り合ったのは、亡命後にクエヴァス・バレエで踊ったとき。その前に面識があったという話は、Meyer-Stabley本でも、『Nureyev: His Life』(Diane Solway著)でも、現在ネットで読めるTelegraph紙やGuardian紙のハイタワー訃報記事でも聞かない。ハイタワーはヌレエフが亡命に追い込まれる様子を推測し、描いてみせているのだろう。

新倉真由美の文の不自然な点 - 突然現れた二人の男

私が訳本を読んだ当時、ヌレエフとハイタワーがいつ知り合ったのかは知らなかった。だからハイタワーが亡命現場に居合わせたことは不審に思わなかった。

しかし、ハイタワーの談話が挿入された部分で、ヌレエフはピエール・ラコットに付き添われている。この後通訳がラコットに別れを急かしたとあるので、まだKGBはヌレエフのそばに来ていない。だから新倉真由美の訳で「二人の男に挟まれたヌレエフ」とか「彼らは彼を誘導している」とかいう記述がここに来るのは、ひどく奇妙に見えた。

更新履歴

2014/1/30
小見出し追加など

一般人が刑事を雇う?

『ヌレエフ』P.114:
ラランは二人の私服刑事を雇い同行させることを余儀なくされた。
Meyer-Stabley原本:
Larrain doit engager deux détectives privés pour l'accompagner partout.
Telperion訳:
ラランは2人の私立探偵を雇い、至る所で彼に同行させなければならなかった。

ヌレエフが亡命後に最初に契約したクエヴァス・バレエの監督レイモンド・ド・ラランが、KBGの嫌がらせやヌレエフの不安に対して講じた策。

"détective privé"は英語の"private detective"と同様「私立探偵」。仏和辞書に載っている。

新倉真由美の文の不自然な点

現役の刑事を個人が雇うのが可能なほど、1960年代のフランスで治安の悪化と警察の腐敗が激しかったというのは、なさそうな話に思える。

更新履歴

2011/11/9
引用文の背景説明を中心に加筆

プティが作品を引き上げたのはベジャールのためではない

『ヌレエフ』P.260-261:
“ノートルダム・ド・パリ”事件以来二年間ヌレエフと冷戦状態にあったローラン・プティに助けを求めた。この振付家はオペラ座のレパートリーから彼のすべての作品を引き上げるよう要求した。
Meyer-Stabley原本:
et appelle à la rescousse Roland Petit, en froid avec Noureev depuis deux ans à cause d'un Notre-Dame de Paris problématique (le chorégraphe français a demandé que tous ses ballets soient retirés de l'affiche de l'Opéra).
Telperion訳:
ローラン・プティの助けを求めた。プティは疑わしい「ノートルダム・ド・パリ」が原因で2年間ヌレエフと冷戦状態だった(このフランスの振付家はオペラ座のポスターから自作のバレエをすべて引き上げるように要求していた)。

1986年にヌレエフとベジャールが衝突したとき。上の文を読むと、このときプティはベジャールに呼応して自作を引き上げたと考えるのが自然だろう。しかし原文の次の2点から、プティはベジャールに助けを求められる前に自作の引き上げを要求していたことが分かる。

  1. 「助けを求めた」(appelle)の時制は直説法現在、「要求した」(a demandé)の時制は直説法複合過去。つまり、プティが要求したのはベジャールが助けを求めたより前。
  2. 引き上げ要求についての文は、プティとヌレエフの冷戦状態に関する部分の直後に括弧で囲まれて書かれている。つまり、引き上げ要求は冷戦状態の補足説明。

この文以外で引き上げ要求について分かる資料

『Nureyev:His Life』(Diane Solway著)
『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳)
これらの本によると、1983年にプティの「ノートルダム・ド・パリ」をヌレエフが踊った後で二人は仲たがいし、プティが自作をパリ・オペラ座から引き上げた。
『ヌレエフ』巻末の「ヌレエフがパリ・オペラ座に招聘した振付家」リスト
プティの名は1988-1989シーズンでのみ出ている。ヌレエフが監督に就任した1983-1984シーズンですでに、プティはパリ・オペラ座とは断絶状態だったことがうかがえる。

更新履歴

2014/1/17
主に箇条書きの導入による書き換え

オランジュリーは美術館でなくレストラン

『ヌレエフ』P.226:
オランジュリー美術館
Meyer-Stabley原本:
l'Orangerie de Jean-Claude Brialy
Telperion訳:
ジャン=クロード・ブリアリーのオランジュリー

ヌレエフごひいきの料理店として挙げられたうちの一つ。ジャン=クロード・ブリアリーはフランスの俳優で、レストランl'Orangerieのオーナーでもあった。

オランジュリー美術館のほうが有名なのは確かだが、原文にはBrialyの名も書いてあるし、この文脈で美術館が出てくるのは不自然。ブリアリーの名を消す前に、パリのレストランガイドを読むとか、インターネット検索エンジンで「Orangerie Jean-Claude Brialy」を検索するとかすれば、オランジュリーが何のことかは分かるはず。

更新履歴

2013/1/31
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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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