伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2014.07.15
提案に耳を貸すそぶりだったヌレエフ
2014.03.21
異論を唱えるのでなく唱えられるヌレエフ
2014.01.31
目覚しいチームワークが今一つな人間関係に
2013.06.04
主題はダンサーたちの反発心
2013.05.19
ヌレエフは妥協案も含めて撤回した

提案に耳を貸すそぶりだったヌレエフ

『ヌレエフ』P.290:
これが報道されたとき、ある若きエトワールはヌレエフにこう示唆した。
「彼は感じは良いがなんの経験もありません。カドリーユとして入団し、本当に上達すれば四年以内にはエトワールになれるでしょう」
Meyer-Stabley原本:
Et quand on rapporte alors à Noureev ce qu'une danseuse étoile de l'Opéra suggère : « Ce garçon est sympathique mais n'a aucune expérience. Il n'a qu'à entrer dans le corps de ballet comme simple quadrille et, s'il est vraiment doué, il peut devenir étoile en quatre ans », le Russe s'exclame, conciliant : « Mais il ne demande que cela ! Kenneth rêve d'entrer dans la troupe de l'Opéra et je veux qu'il travaille le style français. »
Telperion訳:
そして、当時オペラ座のある女性エトワールがほのめかしたことがヌレエフの耳に入った。「彼は感じが良いですが、何の経験もありません。単なるカドリーユとしてバレエ団に入りさえすればよいのです。もし本当に才能があれば、4年でエトワールになれます」。そのとき、ロシア人は妥協するように叫んだ。「しかし彼が頼んだのはそれだけだ! ケネスはオペラ座のバレエ団に入るのを夢見ていたし、私は彼にフランスのスタイルを勉強して欲しいのだ」

1989年7月前後、ヌレエフがパリ・オペラ座と何らつながりがないケネス・グレーヴェ(Kenneth Greve)をエトワールにしようとして総スカンを食ったときのこと。

ヌレエフの妥協発言が消された

原本と新倉本を見比べて最も目立つのはもちろん、この提案について知ったときのヌレエフの反応が新倉本では消えたこと。

ヌレエフの言葉からは、「エトワールでなくてもいい、パリ・オペラ座に入れたいだけだ」と要求を後退させたことが分かる。いきなりエトワールという当初のプランを押し通すのは無理そうだとヌレエフは悟っていたのだろう。conciliant(協調性がある、妥協的な)という形容詞を使ったMeyer-Stableyも、ヌレエフの妥協に気づいている。ヌレエフの言葉がなくてエトワールの提案だけでは、「ヌレエフの要求は理路整然と反対された」という意味にしかならない。

原本の一部を省略するのは出版界ではありふれたことらしく、新倉真由美と文園社に限ったことではない。しかし、ある発言だけを残し、その発言に本の主役がどう反応したかを消すのは、かなり変わっていると思う。私は新倉真由美が「他人のことなど歯牙にもかけないヌレエフ」像を誇張するのをいろいろ見てきた。そのせいで、ここでの省略を見て、ヌレエフの妥協的な態度が新倉真由美のヌレエフ像に合わないからではないかと勘繰ってしまう。

ヌレエフはエトワールの発言を人から聞いた

「まずカドリーユとして入団させるべき」という発言は、"ce qu'une danseuse étoile de l'Opéra suggère"(オペラ座のエトワールが示唆したこと)と説明してある。それをヌレエフに報告したのはon(不特定の人)。つまり、このエトワールはヌレエフに面と向かって進言したのではない。別の場所で言ったことを誰かがヌレエフにご注進した。

提案したエトワールが若いとは限らない

グレーヴェの待遇について示唆したのは、"une danseuse étoile de l'Opéra"(オペラ座のエトワール)とだけ書かれている。

  • "une danseuse étoile"なので女性。男性ならdanseuseでなくdanseurになる。冠詞もuneからunに変わるかも知れない。
  • 「若き」にあたる単語は原文にない。

1989年当時、現役の女性エトワールは定年の40歳未満なのだから、全員若いには違いない。でもダンサーの肉体能力はあまり長続きしないので、30歳を過ぎたら「若いダンサー」とは呼ばれないような印象がある。当時のパリ・オペラ座の場合、たとえば定年まで5年を切っていたフロランス・クレールやクロード・ド=ヴュルピアンを「若きエトワール」と呼ぶのが普通か、私には疑わしい。

「若きエトワール」だとクレールやヴュルピアンを候補から外したくなる一方、原文を読めば対象外と分かる男性のマニュエル・ルグリやローラン・イレールが候補に入ってくるのは、地味ながら気にかかる。いくら憶測しかできないとはいえ、少しの手掛かりでも大事に提示してもらいたいのは、私自身がヌレエフ時代のエトワールたちにある種の感傷を持つせいかも知れない。

更新履歴

2016/5/5
小見出し変更

異論を唱えるのでなく唱えられるヌレエフ

『ヌレエフ』P.290:
服従すべき立場であったが芸術上の選択に関しては反対意見も申し立てられる彼は、ベルジェのもとに急いだ。
Meyer-Stabley原本:
Incontesté, mais souvent contestable dans ses choix artistiques, il se heurte à Bergé.
Telperion訳:
異論の対象にはならないが、その芸術上の選択には異議の余地があることが多い彼は、ベルジェと対立した。

パリ・オペラ座を統括することになったピエール・ベルジェがバレエ団の運営をも指図しようとしたことに反発したヌレエフ。

最初にある次の語句2つは分詞構文。主文の主語であるヌレエフについての説明。

  1. Incontesté (異論の対象でない)
  2. mais souvent contestable dans ses choix artistiques (しかし彼の芸術的選択において異論の余地があることが多い)

これらの分詞構文のキーワードである2つの形容詞incontestéとcontestableは、『プログレッシブ仏和辞典第2版』ではこう載っている。

incontesté
異論のない、確定的な
contestable
異論の余地がある、疑わしい

ヌレエフが異論を唱える側なのか、唱えられる側なのか、和訳を読むだけでは分かりづらかったので、ラルース仏語辞典にも当たった。

incontesté
Qui n'est pas contesté
異論の対象でない
contestable
Qui peut être contesté, mis en discussion ; discutable, douteux
異論の対象、議論中になりうる。議論の余地がある、疑わしい

動詞contester(異論を唱える)がどちらの説明でも受動態で使われているので、どちらも異議の対象になるかならないかを示すということがよく分かる。

つまり、分詞構文の意味は、「ヌレエフは(少なくとも今まで)反対されずにいたが、ヌレエフの芸術的選択については疑問の声も存在した」となる。ヌレエフ自身が唱える異議についての話ではない。

「急ぐ」でなく「ぶつかる」

"se heurter à ~"とは「~とぶつかる、対立する」。新倉真由美訳の「~のもとに急いだ」は、何かの単語の見間違えか、その場で適当に想像したかのどちらかに思えてならない。

目覚しいチームワークが今一つな人間関係に

『ヌレエフ』P.265:
ヌレエフは団員たちとも打ち解けていたのだろうか。
「フランスのダンサーたちは実に個性的です」
牽引しながら彼は実感していた。“ジゼル”は数え切れないほど踊ってきたが、団員たちと会話を交わしたことは一度もなかった。
Meyer-Stabley原本:
Noureev s'épanouissant dans le travail d'équipe ? « Les danseurs français ont vraiment du caractère », a-t-il découvert en les dirigeant, lui qui avait dansé dans Giselle plus de mille fois sans jamais établir de dialogue avec eux.
Telperion訳:
チームワークの中で花開いたヌレエフだろうか。「フランスのダンサーは本当に気骨がある」。率いながら彼は悟った。かつて「ジゼル」で千回以上踊りながら、決して会話を交わさなかった彼がである。

ヌレエフがパリ・オペラ座バレエの監督として確かな業績を挙げたことを書き連ねる長文の一部。

原著者が問うたのはチームワークによる業績

第1文の直訳は「チームワークの中で花開くヌレエフ?」。原文中のtravailは「仕事」、équipeは「チーム」。組み合わせた"le travail d'équipe"は英語のteamworkに相当する。

チームワークとは、グループが共同作業を上手にこなす力を指す。単に皆が和気あいあいとするのでなく、各自が助け合って何らかの成果を上げてこそ、チームワークを評価される。ではヌレエフが「チームワークの中で花開く」とはどういうことか。この部分の前後を読めば、ヌレエフがダンサーたちを率いてバレエ団の地位を高めたことだと簡単に想像が付く。

Meyer-Stableyはこの部分の少し前で、ヌレエフがパリ・オペラ座バレエの監督として認められたことを「さらなる成功、しかし異なる性質の成功」と呼んでいる。Meyer-Stableyにとって、ダンサーとしての成功は個人プレー、監督としての成功は共同プレーなのだろう。

原著者はチームワークによる業績を肯定

Meyer-Stableyが上の疑問に用意した答えはイエスだということは、前後でパリ・オペラ座バレエの躍進ぶりをこまごまと書くことから分かる。しかしここでは、直後の第2文がイエスとノーのどちらをにおわせているかについて書く。

第2文には、ヌレエフに関する文が2つある。

  • フランスのダンサーたちについて発見した。述語(a découvert)の時制は直説法複合過去
  • ダンサーたちと会話せずにジゼルを踊った。述語(avait dansé)の時制は直説法大過去

時制の違いから、口もきかずに踊っていたのは、ダンサーたちの性格を把握するより前のことで、今のことではないと分かる。多分Meyer-Stableyが言いたいのは、「昔のヌレエフは他のダンサーにちっとも関わらなかった。それが今ではダンサーたちと真剣に向かい合うようになった」なのだろう。

新倉真由美が問うたのは人間関係の良好さ

一方、新倉真由美はMeyer-Stableyが提起した疑問を次のように扱った。

  • 「チームワークの中で花開く」を「団員たちとも打ち解ける」と言い換える
  • ヌレエフが監督として成功したことを書いた前の部分と段落を分ける

このため、実績の話をひとまず終えて、チーム内の人間関係が良かったかどうかを問いかけているように見える。

新倉真由美は人間関係の良好さに否定的

新倉真由美による第2文(訳本では第2・3文)は、私にはこう読める。

  • 前半の「彼は実感していた」からは、ヌレエフが団員たちと打ち解けていたかどうかは分からない。
  • 後半の「会話を交わさずジゼルを踊ってきた」の文からは、今は昔と違うということが分かりにくい。日本語では時制の差がフランス語のようにはっきりしないので、仕方ないかも知れないが。

このため、「ヌレエフは相変わらず団員とは打ち解けていなかった」と言いたげに見える。

Meyer-Stableyは「ヌレエフはもめごとを起こさないようになった」と書いた後(訳本ではP.265最初)、ヌレエフとパリ・オペラ座がどれほど成功したかを熱烈に書く。訳本だとそのさなかにこの部分だけ、業績でなく人間関係が話題になる。しかもあまりほめているように感じられない。私にはとても浮いて見える。

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2016/5/5
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主題はダンサーたちの反発心

『ヌレエフ』P.257:
ダンサーたちはますます苦境に陥っていくように見えた。彼らは体操選手でしかないことを不満に思い、シリル・アタナソフなどエトワールたちは最小限の役しかもらえず、海外でも活躍できないと嘆いていた。
Meyer-Stabley原本:
Les danseurs semblent devenir de plus en plus amers. Ils se plaignent de ne plus être que des gymnastes. Certaines étoiles, comme Cyril Atanassof, regrettent, elles, que de minuscules rôles parisiens les empêchent de briller de tous leurs feux à l'étranger.
Telperion訳:
ダンサーたちはますます辛辣になるようだった。彼らは体操選手でしかないと不満を訴えた。シリル・アタナソフなど、パリのちっぽけな役目のせいで国外で力の限り輝けないことを嘆くエトワールもいた。

ヌレエフがパリ・オペラ座バレエの監督になった初期の頃、ダンサーたちともめていたことについて。

最初に述べられるのはダンサーの逆境ではない

記事「必ずしも人格者でないエリック・ブルーン」でも書いたが、第1文のamerの意味は次の3つ。いずれも、自分が苦さを味わうのでなく、周囲に苦い思いを味わわせる性質を指している。

  1. 味などを形容する「苦い」
  2. 失望などの物事を形容する「つらい」
  3. 性格や意見などを形容する「辛辣な」

ダンサーたちは自己主張をする人間なので、それを形容するamerは3番目の「辛辣な」。

文句たらたらのダンサーたちをMeyer-Stableyがamerと呼んだのは、彼らを「ヌレエフに弾圧されて苦しむかわいそうなダンサーたち」でなく「遠慮なく首脳陣批判を繰り広げる反抗的なダンサーたち」だと思っているから。

なお、第2文の述語として使われる代名動詞"se plaindre"は、仏和辞書によると「不満を言う、訴える」など。単に不満に思うだけでなく、それを表明することを指す。第1文の「ダンサーたちは辛辣」と呼応している。

役割が小さいのはエトワールでなくパリ

一部のエトワールが嘆いた内容(関係詞queに続く"de minuscules rôles"から文末まで)は、直訳すると「パリのごく小さな役が、彼らが外国で彼らのすべての炎で輝くことを妨げる」。これがどういう意味なのかは私には断言できないが、「ごく小さな役」(de minuscules rôles)とは「パリの」(parisiens)ものだということに注意したい。

  • ヌレエフは監督就任前に「バレエ団が海外公演するのは稀です」(訳本P.250)と言っている。当時のパリ・オペラ座バレエの活動はフランス中心と思われる。
  • ヌレエフが監督になってから外部の振付家を多数招いたことは、監督としての主要な業績の1つ。逆に言うと、ヌレエフが監督になる前、外部の振付家が呼ばれることは少なかった。
  • かといって、当時のパリ・オペラ座バレエに専任の名振付家がいたわけでもない。プティやベジャールは自分のバレエ団を持ち、パリ・オペラ座バレエの監督就任を断っている。

要するに、当時のパリ・オペラ座バレエは外部に出ることも、外部と交流することも少なかった。このため、バレエの発展の潮流から遠ざかり、孤立していたふしがある。「パリのごく小さな役」が国外で活躍できない原因になるというのは、当時のパリがバレエ史的にあまり重要でなかった現状への苛立ちではないかと、私は想像している。

ヌレエフは妥協案も含めて撤回した

『ヌレエフ』P.290:
私はケネス・グレーヴをエトワールとしても規定通り三年間は契約しません。
Meyer-Stabley原本:
Je n'engagerai pas Kenneth Greve comme étoile ni pour trois ans comme c'était convenu.
Telperion訳:
ケネス・グレーヴェをエトワールとして雇うことも、取り決めたように3年間雇うこともしません。

ヌレエフが無名の若手ダンサーをいきなりエトワールにしようとしたものの、ダンサーたちの強硬な反対にあって断念したときの発言。

否定したのは期間が異なる2つの雇用

記事「契約書を書くときの困難の列挙」でも書いたが、niは「Aを否定する文 ni B」という形で使い、AもBも否定するための単語。

  • Aに当たるのは"comme étoile"(エトワールとして)
  • Bに当たるのは"pour trois ans comme c'était convenu"(決められたように3年間)

"je engagerai Kenneth Greve"(ケネス・グレーヴェを雇う)の後ろにAが付いた文とBが付いた文、2つを否定している。

「エトワールとして」と「3年間」を並べる理由は、エトワールの地位はひとたび獲得したら、定年までそのままだということと関係があるのだろう。ヌレエフは「通常のエトワールとして定年まで雇うことも、3年間雇うこともない」と言っているように見える。

3年契約は規定でなくヌレエフの構想

「3年間」(pour trois ans)に続く「"comme c'était convenu"(これが取り決められたように)は、この文で最も解釈が難しい。3年間のエトワール雇用に関する規定がどこかにあるのか?それとも今回そういう決定が一度は下されたのか? 期間限定エトワールの前例を私は聞いたことがないので、それについての規定はありそうに思えず、後者のほうが可能性が高いと思った。しかし原文だけでは確信できず、他の資料を探したところ、見つかった。

  • Julie Kavanagh著『Nureyev: The Life』ペーパーバックP.633より

    It was Rudolf calling Paris offer him a three-year contract as an étoile.

    それはパリから電話してきたルドルフで、ケネスにエトワールとしての3年契約を申し出たのだった。(Telperion訳)

  • 1989年7月1日のルモンド紙の記事より

    les danseurs lui faisaient savoir qu'ils n'appréciaient pas son intention d'engager comme étoile, pendant trois ans, un "étranger" au sérail.

    ダンサーたちは、3年間「よそ者」をハーレムでエトワールとして雇おうとするヌレエフの意志を認めないということを彼に知らしめた。(Telperion訳)

「3年間エトワールにしたい」とはヌレエフの発案。この事件をまとめて読めるKavanagh本によると、ヌレエフはグレーヴェをエトワールにすると言い出した最初から、3年間と言っている。ヌレエフにとって監督たる自分の発案は決定事項に等しかったので、自分の思いつきを「取り決めた」と呼んだのではないかと思う。

未練がましい新倉真由美のヌレエフ

ヌレエフにしてみれば、3年間のエトワールというのは、無名な部外者をエトワールにしやすくするための妥協案だったのだろう。しかし大反対された末に、3年間でもそうでなくてもグレーヴェをエトワールにしないというのは、完全に白旗を揚げたと言っていい。

新倉真由美訳の「三年間は契約しません」という言い方だと、「3年間は契約しないが、3年経ったらその限りではない」という、まだあきらめていないような印象を受ける。

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2016/5/5
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プロフィール

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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