伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2016.12.18
エリック・ヴュ=アンを昇進させやすくするためのルグリ昇進
2014.11.06
関係悪化の原因として語られるのはブルーンの感情のみ
2014.10.24
自分への絶賛を一人による発言だと明記する節度
2014.08.29
ヌレエフの亡命の根拠となった条約
2014.08.08
ラジオ音楽には何でも聴きほれた幼い頃

エリック・ヴュ=アンを昇進させやすくするためのルグリ昇進

『ヌレエフ』P.260:
ベジャールによれば彼はバレエの責任者とオペラ座の最高顧問アンドレ・ラリックに、何度もエトワール指名について提案を行っていた。そのためプルミエ・ダンスールに配属されていたマニュエル・ルグリのエトワール指名も気まぐれで行われたのではない。
Meyer-Stabley原本:
Selon la version Béjart, à plusieurs reprises le chorégraphe suggère à l'administrateur de la danse et au président du conseil d'administration de l'Opéra, André Larquié, la nomination du danseur comme étoile et, pour que la chose n'ait pas l'air d'un caprice, celle également de Manuel Legris, un premier danseur distribué dans son ballet.
Telperion訳:
ベジャールの説によると、この振付家はバレエの管理担当者とオペラ座理事長アンドレ・ラルキエに、このダンサーをエトワールとして任命することを何度も提案した。そして、ことが気まぐれの雰囲気にならないようにするために、彼のバレエにキャスティングされたプルミエ・ダンスールであるマニュエル・ルグリの任命も。

エリック・ヴュ=アンへのモーリス・ベジャールの肩入れについて。そしてベジャールがヴュ=アンとルグリのエトワール任命を決行したことで、ベジャールとヌレエフが激突することになる。

ヴュ=アンの存在感が薄い新倉真由美訳

ルグリ任命はまだ提案段階

新倉真由美訳では、ベジャールが提案したのは「エトワール指名について」のみ。しかし原文を見ると、"le chorégraphe suggère"(この振付家は提案した)に続く目的語は、接続詞et(および)で結ばれた次の2つ。

la nomination du danseur comme étoile (エトワールとしてのこのダンサーの任命)
celle également de Manuel Legris(マニュエル・ルグリのそれもまた)

新倉訳ではベジャールはエトワール任命について何かを提案しながらルグリ任命を遂行したように見えるが、実際にはルグリの任命も提案しただけの段階。

ベジャールはヴュ=アンを名指しで推薦した

ベジャールの最初の提案が"la nomination du danseur"(このダンサーの任命)なのにも注意してほしい。danseurは一人の男性ダンサー。その前にduが付いていることから、danseurには定冠詞leが付いている。つまりこのダンサーは誰なのか特定された一人だと分かる。この記事で引用した部分の前に、ベジャールがオペラ座で公演する作品2つでヴュ=アンを起用したとある。だからこのダンサーがヴュ=アンなのは明らか。

新倉真由美の「エトワール指名について」だと、このエトワール指名がヴュ=アンのものだと分からない。特定のダンサーにかかわらない一般的な提案のように見える。

ルグリ任命はヴュ=アン任命を有利に運ぶため

原文ではルグリの任命を持ち出す前に次の語句がある。

pour que la chose n'ait pas l'air d'un caprice, (ことが気まぐれの雰囲気にならないようにするために)

"pour que ~(文)"とは「~のために」という目的をあらわす言葉。この場合はベジャールがルグリの任命を提案した目的だと見当が付く。

当時ベジャールがヴュ=アンに目をかけているのはあからさまだった。ヴュ=アンだけのエトワール任命を提案すると、ひいきのダンサーへの単なる執心扱いされ、まともに取り合われない危険があったのではないだろうか。そこでやはり期待が高いルグリの任命も提案することで、客観的に才能を評価したゆえの推薦だと受け入れてもらいやすくするというのが、ベジャールの意図だったのだろう。

新倉真由美が"pour que"(~のために)を無視したために、「気まぐれで行われたのではない」がベジャールの思惑というより実際の出来事に見えてしまう。先に書いた問題点との相乗効果もあり、ルグリの任命がベジャールにとって比較的軽いと新倉訳から読み取るのは難しい。「お気に入りのダンサーのエトワール指名を出し抜かれた」という触れ方といい、新倉真由美にとってこの事件でのヴュ=アンの存在感は軽いのではないかと疑わしくなる個所ではある。

ルグリもベジャールの新作に配役されていた

ルグリの説明である"un premier danseur distribué dans son ballet"にあるdistribuéは、バレエ関連の文では「配役された」という意味。公演におけるダンサーのキャスティングを説明するときにはおなじみの単語。だから"distribué dans son ballet"(彼のバレエで配役された)とは、彼、つまりベジャールのバレエでルグリが役を与えられていたという意味。

実際、ルグリはこのときベジャールの新作バレエにキャスティングされていた。なぜか新倉本では作品名が出ていないが、原本にはこの作品はArepo(『アレポ』)と明記してある。パリ・オペラ座の公演記録サイトMémOpéraには、Arepoが初演され、ベジャールがヴュ=アンとルグリをエトワールに任命した公演の記録も残っている。そこでArepoのDistribution(配役)の項を見ると、ヴュ=アンの名もルグリの名もあるのが分かる。

原著者のミス - ルグリはプルミエ・ダンスールではない

パリ・オペラ座バレエ好きには広く知られていることだろうが、ルグリの説明にある"premier danseur"とは、パリ・オペラ座バレエでエトワールに次ぐ階級。しかし当時のルグリはプルミエ・ダンスールのさらに一つ下の階級であるスジェだった。ルグリは後にヌレエフの意向でスジェから一気にエトワールに任命されるので、プルミエ・ダンスールだったことはない。

アンドレ・ラルキエの地位は新倉真由美の想定より恐らく高い

役職の訳語を見つけるのは私の最も苦手な分野。アンドレ・ラルキエの役職はやむを得ず日本語で書いたとはいえ、これが適訳という自信はない。ただ、気づいた点を一つだけ書いておきたい。

conseilは「顧問」という意味がある言葉だが、"conseil d'administration"の意味は「取締役会」。企業でないオペラ座でこの言葉をそのまま使うわけにはいかないが、最上位の意思決定機関のようには見える。ラルキエはそのprésident(議長、代表取締役など)。

エトワール任命を執り行うオペラ座総裁(directeur de l'Opéra)との違いは分からないが、ラルキエはオペラ座の最高責任者のような地位であり、顧問より権力の中枢に近いように思える。ベジャールがエトワール任命を提案する相手として選ぶのも理にかなう。

この記事は過去記事と他ブログの記事の統合版

この記事は、このブログの別記事と他ブログの記事と内容が重なっている。2つの記事が生まれた時系列は次のとおり。

  1. ここで取り上げた原文と新倉訳の一部について、私がブログ「三日月クラシック」のコメントに投稿
  2. 「三日月クラシック」の作者ミナモトさんに記事「『光と影』原文比較1」(http://lunarudy.blog41.fc2.com/blog-entry-613.html)からで私のコメントを取り上げていただく
  3. 私がこのブログで残りの部分を記事ベジャールが昇進させたいのは主にエリック・ヴュ=アンにする

このため、1つの原文についての指摘が2つのブログにまたがり、全容がつかみにくかった。しかも少し前に「三日月クラシック」が非公開になっているのに気づいたため(注記: 2017年になってから再公開)、読みやすさのために2つの記事の対象個所を1つにまとめた記事を新たに書いた。

関係悪化の原因として語られるのはブルーンの感情のみ

『ヌレエフ』P.151:
ルドルフはすっかり有名人になってしまった自分の周辺で、エリックがあまり注目を浴びなくなるのを気の毒に思っていた。
Meyer-Stabley原本:
De plus, le Russe est devenu une telle célébrité qu'il est pénible pour Erik de sentir moins d'attention autour de lui.
Telperion訳:
その上、ロシア人があまりに有名人になったため、自分の周りでの関心のほうが低いと感じるのは、エリックにとってつらいことだった。

デンマークの名ダンサーであるエリック・ブルーンとヌレエフの関係が、恋愛としては成り立たなくなったことについて。

構文解析

原文の"il est pénible pour Erik de sentir ~"では、次の構文が使われている。英語にも同様の構文があるので、比べてみると理解しやすい。

フランス語
il est A(形容詞) pour B(名詞) de C (不定詞)
英語
it is A(形容詞) for B(名詞) to C (不定詞)
日本語の意味
CはBにとってAである。

原文に当てはめると、AからCまではこうなる。

形容詞A
pénible (つらい、耐えがたい)
名詞B
Erik (エリック)
不定詞C
sentir moins d'attention autour de lui (彼の周りでより少ない関心を感じる)

原本と新倉本が違う個所

感情の主はヌレエフでなくブルーン

さっき取り上げた文の先頭にあるilは仮主語に過ぎない。真の動作主、つまり少ない関心を感じているのも、その状況を苦痛に思うのも、前置詞pourの後に書かれたブルーン。

その前に「ロシア人(ヌレエフ)があまりに有名人になった」という文があるため、新倉真由美はその後に続く"il est pénible"を非人称構文ではなく「彼はpénibleである」と解釈したのではないかと思う。

ブルーンの悩みは深刻

pénibleの意味は「つらい、耐えがたい、苦しい」など。それほどの悩みは、ブルーンを案じるヌレエフより当事者ブルーンに似つかわしい。

仏和辞書やラルース仏語辞典を読む限り、pénibleに「気の毒に思う」という訳語は似合わない。「感情の主はヌレエフ」という思い込みから、感情の内容は同情だと新倉真由美が信じて訳語を考案したのかも知れない。

不確定な個所 - ヌレエフとブルーンのどちらの周りのことか

"moins d'attention"(より少ない関心)の後に続く"autour de lui"(彼の周りで)を新倉真由美は「ヌレエフの周りで」と解釈している。私自身は「ブルーンの周りで」だろうと思っており、それは私の訳にも出ている。でも、新倉真由美が間違いだとは言い切れないので、解釈が違うと書くだけにとどめておく。

自分への絶賛を一人による発言だと明記する節度

『ヌレエフ』P.85:
初日を観たフランスの批評家たちは大挙して劇場に舞い戻って来ました。団員の一人がスプートニクにも値する出来栄えだったからです」
Meyer-Stabley原本:
Les critiques français qui assistaient à la première étaient tous revenues en force et c'est alors que l'un d'eux me qualifia de Spoutnik. »
Telperion訳:
初日に出席したフランスの批評家は全員大挙してまた現れ、このとき批評家の1人が私をスプートニクと呼んだ」

1961年にキーロフ・バレエのツアーでパリ・デビューしたときを振り返るヌレエフ。恐らくヌレエフが亡命して数年後に出した自伝『Nureyev: An Autobiography』からの引用。

ヌレエフはパリ公演の初日には出なかった。複数回の公演のうち、最も注目されるのは初日であり、後のほうの公演への関心は薄くなるのが普通。しかしヌレエフが自分の出番で脚光を浴びたため、批評家たちがヌレエフを見に来たことを述べている。

構文解析

強調構文の使用

批評家が劇場にまた来たことに関する最初の文については、特に言うことはない。私が取り上げたいのは、最初の文とet(そして)で結ばれた次の文。この文で使われている強調構文の形を見やすくするため、英語訳も並べて書く。

フランス語
c'est alors que l'un d'eux me qualifia de Spoutnik.
英語
it is then that one of them called me Sputnik.
直訳
彼らの一人が私をスプートニクと呼んだのはその時だ。

構文"c'est A(強調したい語句) que B(文からAを除いた部分)"は、文中のAを強調するために使われる。英語の"it is A that B"に似ているので理解しやすい。ここではalors(その時)を強調している。

主語は団員の一人でなく批評家の一人

queの後にある文の主語は"l'un d'eux"(彼らの一人)。eux(彼ら)とは、前の文にある複数形の名詞、つまりフランスの批評家たち。新倉真由美は団員としているが、キーロフ・バレエの団員たちは前の文はもちろん、その前もしばらく話題になっていない。それを既出であるかのようにいきなり「彼ら」呼ばわりはしないだろう。

スプートニクと呼ぶ

文の述部は"me qualifia de Spoutnik"。"qualifier A de B"(AをBと呼ぶ)という表現が使われている。Aに当たるのはme(私を)で、代名詞なので述語qualifiaの前に来ている。

新倉真由美は文の主語をヌレエフだと思っているので、述部も別の解釈をしていそう。qualifierには「資格を与える」という意味もあるので、それをもとに何か想像したのかも知れない。

鼻息が荒い新倉本のヌレエフ

Meyer-Stabley本でも新倉本でも、ヌレエフをスプートニクにたとえて絶賛しているのは同じ。しかし新倉本では、「スプートニクのようなヌレエフ」がある批評家の感想ではなく、誰もが認める事実のように扱われている。それをヌレエフ本人が言うのは、とても図々しい話。当時のスプートニクはソ連の国威を大いに高揚させた存在だろうから、東側の人間が気安く自分をなぞらえられないと思う。プライベートな場での軽口ならまだしも、出版された本で。

ヌレエフの亡命の根拠となった条約

『ヌレエフ』P.97:
ジュネーヴ協定ではすべての外国人は居住する国における保護権を要求できる
Meyer-Stabley原本:
La convention de Genève prévoit que tout étranger peut demander le droit d'asile dans le pays où il se trouve,
Telperion訳:
ジュネーヴ条約の規定によると、すべての外国人は滞在する国で保護の権利を申請できる

フランスからソ連に送還されかかったヌレエフを救うために友人クララ・サンが思い出したと書かれたことのひとつ。クララはこの後、ヌレエフがフランスの警官に政治的保護を要求する手はずを整え、ヌレエフは亡命を果たすことになる。

権利を申請できる国

新倉真由美が「居住する」と訳した述語は"se trouve"。単に「いる、ある」という意味で、住んでいるという意味ではない。

亡命直前のヌレエフの場合、自分がいる国とはフランス。実際、ヌレエフはフランスに向けて政治的保護を要求した。この事例を頭に置くと、「外国人が自分のいる国で保護の権利を申請できる」は、「他国にいる人物はそこで自国の迫害からの保護を申請できる」と言い換えられると分かる。

このときのヌレエフが居住する国と言われると、私はどうしてもソ連だと思ってしまう。しかしヌレエフがソ連での保護権を要求しても、通る可能性はまったくない。国が自国領内の国民を迫害するのを止めさせるのはあまりに実現困難で、協定の条文に採用するのは無理なのではないか。

あるいは、「居住する国」は自国からの移住先を指すという解釈もできるかも知れない。でも、上の引用の後には「が、これは当事者がはっきりと声高にその援助を主張したときにのみ適応される」(新倉本より)と続く。外国に住むようになる人がそこでの保護をいちいち声に出して主張する必要はない。この描写は亡命の瞬間を想定しているのだから、ヌレエフを含め、移住先の決定は後回しな状況が多いだろう。

おまけ - 条約の呼び名

仏和辞書だけを頼りに"La convention de Genève"を訳すなら、「ジュネーヴ協定」は最も一般的な訳語。私は国際協定のたぐいにはてんで疎いので、この訳語がありえないとは判定できない。それにヌレエフの伝記でこの言葉が間違いだったとしても、致命的ではないだろう。でもせっかく「この協定は日本語では何というのかな」と好奇心を持ったので、googleでざっと調べた結果をメモしておく。

ヌレエフが亡命する根拠としてふさわしいのは、1951年に採択された難民の地位に関する条約だろう。仏語wikipediaの説明ページには"dite Convention de Genève"(Convention de Genèveと呼ばれる)とあるので、Meyer-Stableyによる呼び名"La convention de Genève"とも合う。

日本語の「ジュネーヴ協定」から難民の地位に関する条約を連想するのは、多分難しい。

  • 日本では難民の条約にジュネーブの名を冠して呼ばないらしい。国連難民高等弁務官事務所のサイトでは、「難民の地位に関する1951年の条約」と呼んでいる。
  • 戦時の傷病軍人や捕虜や文民の受けるべき待遇を定めるジュネーブ条約が存在する。1949年のものが一番有名らしい。「条約」に対応する英語はconvention。国際条約の知識がある人が「ジュネーヴ協定」と聞いたら、1949年のジュネーブ条約を連想する可能性はかなりありそう。
  • 第一次インドシナ戦争の休戦に関する1954年のジュネーブ協定というものもある。

いわゆるジュネーブ条約もジュネーブ協定も、ヌレエフの役には立たないから、Meyer-Stableyの頭にあるものではないだろう。「難民の地位に関する条約」とか「難民条約」とかのほうが、日本人読者は戸惑わずに読めるかも知れない。

もっとも、そもそも原本の言い方があいまい。仏語wikipediaの"Convention de Genève"のページによると、こう呼べる条約は400を超えるとか。しかもそこで列挙された例のうち、唯一ボールド体で目立っているのは1949年のジュネーブ条約。フランス人が"Convention de Genève"から直ちに難民条約を連想できるか、疑問が残る。

ラジオ音楽には何でも聴きほれた幼い頃

『ヌレエフ』P.20:
ヌレエフにとって外の世界を知れたのはラジオだけだった。公人が亡くなると絶え間なく流れていたポピュラー音楽が中断され、ベートーベンやチャイコフスキーなどの曲が放送されたが、彼はそれに聴き入っていた。
Meyer-Stabley原本:
Car pour Noureev, le seul aperçu d'un monde extérieur plus vaste est la radio familiale. Il l'écoute des heures durant, particulièrement heureux quand la mort d'un personnage officiel met un terme à la perpétuelle musique populaire au profit de larges extraits de Beethoven et de Tchaïkovski.
Telperion訳:
なぜならヌレエフにとって、もっと広い外界を表す唯一のものは家庭のラジオだったからだ。何時間でも耳を傾けていた。とりわけ幸せだったのは、公人が死去したために絶え間ないポピュラー音楽が終わり、ベートーヴェンやチャイコフスキーの長時間の抜粋に交替したときだ。

2歳のころから音楽にとても反応していたという記述に続く文。

クラシック音楽以外のラジオ放送も聴いた

原文最初の"Il l'écoute des heures durant"(彼は何時間もの間、それを聞いた)の目的語は、三人称単数の名詞を指す代名詞leまたはlaの縮約形l'。この代名詞が指す名詞としてこの場合に適切なのは、前の文で出たラジオ(la radio)。radioは女性名詞なので、l'はlaの略だと分かる。

新倉真由美は、ヌレエフが聴いていたのが臨時放送のクラシックだとしている。しかしこの解釈には私が納得できない点がいくつもある。

  1. "Il l'écoute des heures durant, "の個所では、まだクラシック音楽は話題になっていない。触れていない音楽をいきなり代名詞で指すのは不自然。
  2. このクラシックは"de larges extraits de Beethoven et de Tchaïkovski"(ベートーベンやチャイコフスキーからの多大な抜粋)と呼ばれている。この名詞句は複数形なので、対応する代名詞はles。しかし、ヌレエフが聴いていたのは、上で書いたように単数の名詞なので、抜粋と合わない。
  3. 上の2点に比べると個人的な意見だが、一応書いておく。ヌレエフは音楽を「何時間も」聞いていた。死去したのがソ連の最高指導者でもない限り、臨時放送は何時間も続かないと思う。

ポピュラー音楽を聴いても幸せになった

要人の死去のためラジオのポピュラー音楽がクラシック音楽になったという文の前にある"particulièrement heureux quand ~"は、「~のとき特に幸せだった」。特に幸せだったと言うからには、それよりは落ちるけれどそれなりに幸せだった時間もあるはず。この場合、前の文が「ラジオを聞いていた」なので、ほどほどに幸せだったのは、ポピュラー音楽を初めとする普段のラジオを聞いているときだろうと見当がつく。

引用部分の前後でも音楽は何でも好きだった

前後の記述を読んでも、ヌレエフが好きだったのはクラシックに限らないと分かる。

  • 引用する直前の文で、ヌレエフは「音楽に」(à la musique)反応していたとある。クラシック音楽限定ではない。
  • この後にヌレエフがこの時期の音楽への傾倒を回顧する文(多分自伝の引用)が続く。そのなかでヌレエフは「どんな音楽でも(n'importe quelle musique)」聞いたと語っている(新倉真由美訳は「あらゆる音楽」)。この回顧全体を通して、ヌレエフはこの時期好きだった音楽の種類を限定していない。

クラシックに傾倒したのは成長後

名を成した後のヌレエフがクラシック音楽を愛好した様子は、『ヌレエフ』のあちこちにも書いてある。今回の文を読む限り、クラシック好きは子どもの頃からのことらしい。しかし幼児のヌレエフは聴きたいものを選り好みをできる立場にない。聞こえてくる音楽が何であろうとかじりついた。同時代の音楽とは多分あまり縁がなかったヌレエフが、幼いころはポピュラー音楽にも聴きほれていたということから、当時のラジオがヌレエフのきゅうくつな生活をどれほど慰めたかを想像できる。

Meyer-Stableyの言では、ヌレエフの音楽好きはヌレエフをバレエのとりこにする土台となった感情(「三日月クラシック」の原文比較記事より「P.20 音楽は情熱を生み出す母体となり、~」を参照)。それほど深い愛着を「たまにクラシックが流れると聴き入った」ですまされるのは、原文を読んでいると少しあっけなさ過ぎる。

更新履歴

2016/5/13
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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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