伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2014.03.16
ヌレエフの寄与を惜しみなく認めるフォンテーン
2014.03.11
半分恋するのは踊りのため
2013.10.07
独立宣言を聞いて内心は逆だと感じたプティ
2012.12.23
フォンテーンを見舞わなかったプティ
2012.11.13
フォンテーンは苦悩よりまず思いやりの人

ヌレエフの寄与を惜しみなく認めるフォンテーン

『ヌレエフ』P.209:
彼はなすべきすべてをしているように見えました。
Meyer-Stabley原本:
J'ai l'impression de tout lui devoir.
Telperion訳:
すべてを彼に負っているという印象です。

踊りのパートナーとしてのヌレエフについて語るフォンテーン。「彼は私が望むように踊らせる、私自身の最大限を与える」といったことを語った後に続く。

構文解析は単純

直訳は「私はすべてを彼に負うという印象を持っています」。

  • 文中で使われている"devoir A à B"は「AをBに負う」。
  • Aにあたるのがtout(すべて)
  • "à B"にあたるのがlui(彼に)。luiそのものが「彼に」という意味なので、その前に前置詞à(~に)は要らない。

フォンテーンはヌレエフの寄与の大きさを語りたい

"devoir A à B"の難しいところは、「AをBに負う」から転じて「AなのはBのおかげである」という意味にもなること。つまり、「すべてを彼に負う」には次のどちらの解釈もありえる。

  1. 私は彼にすべてを差し出さなければならない
  2. すべては彼のおかげである

ここではどちらを指すのか、私には断定できない。しかし、「彼は私がやりたいように私を踊らせるのです」と「彼はダンサーではない、バレエです」という熱烈な賛辞に挟まれた言葉なのだから、2番目の可能性のほうが高いと思う。

ヌレエフを採点しているようにも見える新倉訳

フォンテーンの動作であるdevoirには「~すべきである」という意味がある。これをヌレエフの動作にした結果が「彼はなすべきことをすべてしている」なのだろう。私がこれを読むと、これだとフォンテーンがパートナーに求める基準をクリアしたというだけで、ヌレエフのおかげで新しい世界が開けたという陶酔には至らないという印象を受ける。

更新履歴

2016/6/17
  • 第2小見出しの下で2番目の解釈に肩入れする
  • 原文と新倉訳の印象の違いに触れる

半分恋するのは踊りのため

『ヌレエフ』P.144:
彼女はコレット・クラークに「まるでルドルフに恋しているみたい」と打ち明けている。
Meyer-Stabley原本:
Elle confie même à Colette Clark qu'il faut qu'elle soit « à moitié amoureuse de Rudolf » pour danser avec lui aussi bien qu'elle le fait.
Telperion訳:
彼女はコレット・クラークに打ち明けてすらいる。ルドルフと踊るには、そうするのと同じように「彼に半分恋する」ことが必要だと。

ヌレエフとの伝説のパートナーシップに関するフォンテーンの談話。

踊りのために恋心が必要と言う判断

新倉真由美がフォンテーンの言葉として訳したのは、括弧に囲まれた « à moitié amoureuse de Rudolf »(ルドルフに半分恋する)だけ。それに「まるで恋しているみたい」は原文の表現を大して尊重していないように見える。

実際にフォンテーンがコレット・クラークに話した内容は、"il faut"から文末まで。訳は上に書いたので、ここでは注意すべきイディオムについて解説する。

il faut que A(節) pour B(不定詞句)
意味は「BするにはAである必要がある」。AとBに当たるのは次のとおり。
  • A: elle soit « à moitié amoureuse de Rudolf » (彼女が「ルドルフに半分恋する」)
  • B: danser avec lui (彼とともに踊る)
aussi bien que ~
意味は「~と同じように」。「~」に当たるのは"elle le fait"(彼女がそれをする)。「それをする」とは恐らく、すぐ前にある「彼とともに踊る」。

フォンテーンの言葉から見えるのは、2人の踊りを高めるためには自ら恋愛感情を高めることをいとわないほど、踊りにすべてを賭けたダンサー。何の作為もなく恋するような気持ちになったわけではないと思う。

新倉真由美が省いたもう1か所の「半分恋する」

原本では、フォンテーンとヌレエフの恋愛関係が終わったという記述の後に、この「半分恋する」(à moitié amoureuse)という言い回しがまた出る。しかし新倉真由美はこの言い回しに興味がなかったのか、あっさり省いた。

『ヌレエフ』P.158:
二人は七七年まで踊り続け、
Meyer-Stabley原本:
Noureev restera à tout jamais à moitié amoureuse de Margot et dansera avec elle jusqu'en 1977.
Telperion訳:
ヌレエフは永久にマーゴに半分恋し続け、1977年までともに踊ることになる。

『Nureyev: His Life』(Diane Solway著)のペーパーバックP.300~301あたりを読むと、秘書のジョアン・スリングやダンサーのリン・シーモアなど、2人に恋愛関係があったという説に否定的な人もそれなりにいる。Meyer-Stableyがそういう意見をないもののように書くのは偏っていると思う。しかし真偽が定かでなくても、上の文は胸を打つ文だと思う。

更新履歴

2016/5/17
諸見出しを変更、新倉訳への言及を増やす

独立宣言を聞いて内心は逆だと感じたプティ

『密なる時』P.54:
ある日ヌレエフはマーゴのことを「僕は彼女と永遠に踊っていくつもりはない。僕は自立すべきだし、さもなければ彼女が年を重ねていった時、僕はいったい何をしていけばよいのだろう」と言った。彼はいかなる束縛も望んでいなかったが、その神々しいばかりのパートナーには非常に強く惹かれていた。
プティ原本:
Rudolf: « I will not dance with her for ever. I have to be independent or what will I do when she is older*. » Le monstre parlait de Margot. Il ne voulait aucune contrainte, et pourtant il était très attaché à sa divine partenaire.
* « Je ne dansereai pas avec elle toute ma vie. Je dois être indépendant, sinon que faire quand elle sera plus âgée. »
Telperion訳:
ルドルフ曰く、「彼女といつまでも踊りはしない。独立しなければならない、そうしなければ彼女が年を取ったら僕はどうすればいい(英語)」。怪物はマーゴのことを話していたのだ。彼はいかなる束縛も望まなかったが、それでも自分が神から授かったパートナーには強い愛着を抱いていた。

ヌレエフの言葉だけを読むと、「マーゴは今のパートナーというだけだ」と言いたげに見える。しかしそれを聞いたプティの感想は、「束縛嫌いなルドルフにとっても、マーゴは別格」。一見不思議な反応に思える。なぜだろうか。

ヌレエフが不意にマーゴの話をしたかのような原本

プティ原本では、まずヌレエフの発言が来て、次にヌレエフがフォンテーンのことを話していると明かされる。「彼女って誰?…ああ、フォンテーンか」と一瞬疑問を持たせる説明になっている。私の考えでは、この一瞬の疑問は当時のプティが本当に感じたことではないだろうか。つまり、プティが「ヌレエフはマーゴのことを話している」と理解したのが、ヌレエフの言葉を聞いた後。いきなりフォンテーンの話をされ、しかも彼女といえばマーゴなのは自明だと言わんばかりの話し方をされれば、「ルドルフにとってマーゴの存在は非常に大きい」とプティが推測したくもなるだろう。

最初からマーゴの話をしているかのような新倉本

一方、新倉真由美の文では、「ルドルフがマーゴの話をした」と最初に説明した。そのため、2人がフォンテーンについて話したときにルドルフが上の発言をしたような印象を受ける。その場合、ヌレエフがフォンテーンのことを話したという説明自体は何ら異例でないため、最も目立つのはヌレエフの発言内容。その後で「彼はマーゴには非常に惹かれていた」とプティに言われると、少なくとも私は「フォンテーンに依存しないという宣言を聞いて、なんで感想がそれなわけ?」と当惑する。

原本と訳本は一文ずつの意味は同じで、文の順番が変わっているに過ぎない。プティの文と新倉真由美の文を読んで私が考えたことが、大多数の読者も考えることだとまでは断言できない。でも語順は文章の印象を左右する大事な要素。原著者の文の書き方を翻訳でむやみに変えないほうがいいと思う。今回のような場合は、原文をそのまま訳すのは簡単であり、新倉真由美の書き換えのほうが書きやすいとか分かりやすいとかいう要素は私には感じられない。

更新履歴

2015/2/25
見出しを追加

フォンテーンを見舞わなかったプティ

『密なる時』P.90:
すべてが終わってしまった今となっては、白髪になっても変わることなく美しかった偉大な女性を訪ねた時の胸の熱くなるような思い出を、私自身も大切にしておきたいと思っているよ。その時の私は君ほどの強い思いがなかったので、飛行機に飛び乗ってパナマを後にして帰国の途についた。でもマーゴとの最後の思い出は、いつも心の中で私にぴったりと寄り添っているよ。
プティ原本:
Aujourd'hui que tout est fini, je pense que j'aurais aimé garder un souvenir chaleureux de la visite que j'aurais pu faire moi aussi à la grande dame aux cheveux blancs qui était toujours si belle. J'aurais dû sauter dans un de ces avions que je n'aime pas plus que toi et revenir de Panama avec un dernier souvenir de Margot à garder tout près de moi, sur mon cœur.
Telperion訳:
すべてが終わった今日、私は考える。いつもあれほど美しかった白い髪の偉大な女性のもとに、私にもできたであろう訪問を行い、その真心こもった思い出を持ち続けたかったのに。君に劣らず好きでないこの飛行機の一機に飛び乗り、パナマから戻るべきだったのに。私の身近に胸のつまる思いですべて残り続けるはずの、マーゴの最後の思い出をたずさえて。

現実には起こらなかった動作を指す条件法

原文には、時制が条件法過去である動詞が3つも出る。

1. aurais aimé
動詞の原形はaimer(~するのが好きである)
2. aurais pu
動詞の原形はpouvoir(~できる)
3. aurais dû
動詞の原形はdevoir(~するべきである)

条件法過去が示すものとしては、次のようなものがある。

  1. 過去の事実に反する仮定
  2. 過去に関する推測
  3. 過去から見た未来の出来事

1番目の用法は特に頻度が高い。なかでもdevoirの条件法過去は、仏和辞書に「~すべきだった(のに実際にはしなかった)」という意味が載っているほどメジャー。それに他の用法はこの文脈に合うようには見えない。

プティがフォンテーンを訪問するのも、病床のフォンテーンがいるパナマから飛行機で戻るのも、思い出を大事に持ち続けるのも、現実に起こったことではない。プティはヌレエフと異なりフォンテーンを訪問しなかったことへの悔恨をこめ、現実には存在しない大事な思い出を語っている。

別の場所にもある悔恨を込めた条件法過去

ちなみに、『ヌレエフ』P.158でヌレエフがフォンテーンについて語った「私は彼女と結婚すべきだったのかもしれない」は、『密なる時』が出典。原文はこの本のヌレエフの言葉としてはまれなフランス語 « J'aurais dû l'épouser »。やはりdevoirの条件法過去が使われている。

ヌレエフとプティの飛行機嫌い

"ces avions"(これらの飛行機)は続きの関係節"que je n'aime pas plus que toi"(私は君より好きではない)の文の目的語となっている。つまり、「私(プティ)はこれらの飛行機を君(ヌレエフ)より好きではない」。

『密なる時』P.85-86で飛行機の離陸に震え上がるヌレエフが書かれているとおり、ヌレエフは(旅行しまくったくせに)飛行機恐怖症だった。そのヌレエフより好きでない、というわけでプティも飛行機は嫌いだったらしい。

更新履歴

2014/6/19
小見出しと箇条書きを導入

フォンテーンは苦悩よりまず思いやりの人

『ヌレエフ』P.156:
深い懊悩を背負うタイプの女性だったマーゴット・フォンテーンは、オレンジ色やラヴェンダー色を傷つけるのを恐れ、本当に好きな色はピンクだと告白したことは一度もなかった。
Meyer-Stabley原本:
Or Margot Fonteyn est le genre de femme qui, même sous la torture, n'avouerait jamais que le rose est sa couleur préférée de peur d'offenser l'orange ou le mauve.
Telperion訳:
ところがマーゴ・フォンテーンは、たとえ拷問されても、オレンジ色や藤色を傷つけるのを恐れ、ピンクがお気に入りの色だと明かさないタイプの女性だった。

フォンテーンがヌレエフと男女の仲だったのかについて自伝ではぐらかしたことを述べた後に続く文。

フォンテーンは苦しむタイプではない

原文ではまず「フォンテーンは~というタイプの女性だった」(Margot Fonteyn est le genre de femme qui)と切り出し、関係詞quiの後でフォンテーンの性格を説明している。その説明の主要な文はこれ。

  • ピンクがお気に入りの色だと決して告白しない("n'avouerait jamais que le rose est sa couleur préférée)

そして次の2つの語句が補足説明となっている。

  1. たとえ拷問されても(même sous la torture)
  2. オレンジ色や藤色を傷つけるのを恐れ(de peur d'offenser l'orange ou le mauve)

「たとえAであってもBである」という文では、本当に主張したいのはBであり、「たとえAであっても」はそれでもBは正しいと強調するための付け足しなのがほとんど。「たとえ拷問されても」は、好きな色を告白しないという意志がどれほど強いかを目立たせるための表現に過ぎない。

好きな色を告白しなかったのは現実か

原文には、「他の色を傷つけるのを恐れてお気に入りの色を告白しない」がフォンテーンに関する事実でないと思わせる仕掛けが2つある。

  1. 「お気に入りの色を告白しないタイプの女性だった」という言い方。告白しないのはフォンテーン自身というよりタイプの説明だと思わせる。
  2. 述語n'avouerait(告白しない)の時制が条件法現在。記事「最初の不協和音の前にスト?」でも書いたが、条件法は単なる断定文では使わない用法。条件法現在の用法の一つとして、現在の事実に反する仮定を述べるというのがある。英語でいう仮定法現在に当たる。

事実でないなら、比喩と捉えるのが自然だろう。この文で述べているのはフォンテーンの好きな色ではなく、他者を傷つけそうな本心を決して明かさないという性格。この文脈でMeyer-Stableyが言いたいのは、「フォンテーンは誰かを傷つけかねない告白を絶対しないのだから、ヌレエフとの男女関係を認めなくてもそれを信じることはできない」となる。

この文の出典

『Nureyev: His Life』(Diane Solway著)のペーパーバックP.298で、イギリスのバレエ評論家リチャード・バックル(Richard Buckle)によるフォンテーンの人物評が引用されている。出典は1969年3月30日のSunday Times紙。

She would never, even under torture, admit that pink was her favourite colour for fear of offending orange and mauve.

Meyer-Stableyがこの文をフランス語に訳し、「~というタイプの女性だった」と付け加えたことは明らか。仮定法現在の時制が述語"would never admit"で使われていることも分かる。

2014/1/29
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プロフィール

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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