伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2012.10.11
共演要求とHIV診断は無関係
2012.09.24
きわめて異例に見えるヌレエフとデュポンの共演
2012.08.21
反体制なのはデュポン

共演要求とHIV診断は無関係

『ヌレエフ』P.286:
ルドルフは感染を知ってから
Meyer-Stabley原本:
alors qu'il se savait déjà malade,
Telperion訳:
すでに病の身だと知りながら、

パトリック・デュポンの述懐「ルドルフがオペラ座で『さすらう若人の歌』でパートナーになるように要求してきた」の前置きとなる部分で、出典は自伝『Étoile』。

仏文和訳の解説

  1. maladeは「感染した」でなく「病気の」
  2. "alors que ~(節)"は「~なのに」または「~のとき」。ここでは「すでに(déjà)自分が病気だと知っていた」と「共演を強く要求した」をつなぐので、「~なのに」のほうが適切と思われる。

ヌレエフの病歴との不整合

ヌレエフの病についてはこの本にも書いてあるわけだが、その記述を頭に入れた上で新倉真由美の問題の訳文を読むと、不自然な点がある。

1. HIV陽性が判明したのは共演よりだいぶ前

いずれにせよ、「感染を知ってから共演を要求した」と書くには、2つの出来事は離れ過ぎている。

なお、『Étoile』の邦訳本『パリのエトワール』(林修訳、新書館)によると、デュポンがナンシー・バレエの監督だったときにも2人は「さすらう若人の歌」を踊った。しかしそれですら、ルモンド紙の記事によると1988年6月2~12日に行われたナンシー・バレエのパレ・デ・スポール公演の後なので、離れ過ぎているのは変わらない。

2. もう感染という段階ではない

HIVの潜伏期間が長いエイズでは、HIV陽性でも直ちに病気にはならない。それを端的に表しているのがヌレエフの主治医カヌシの発言「感染者の一〇%が発病すると思われていました」(訳本P.276)。「感染」はséropositif、「発病」はmaladeと呼んで区別している。1990年ならヌレエフはとうに発病していた。「感染」という言葉はそぐわない。

もっとも、カヌシと違って一般人のデュポンは、感染と発病を厳密に区別しないかも知れない。でも私の感覚では、亡くなる数年前で闘病中だった人物を回想するときは、「感染」より「病」のほうが自然な表現かなと思う。

2014/2/5
大幅に書き直し

きわめて異例に見えるヌレエフとデュポンの共演

『ヌレエフ』P.286:
ヌレエフとデュポンは赤いタイツを履き手に手を取って踊った。その光景が象徴するようにデュポンがヌレエフを継いで芸術監督になるだろうと思われた。
Meyer-Stabley原本:
Noureev et Dupond réconciliés, en collant rouge, dansant ensemble, main dans la main. La scène est d'autant plus surréaliste que Dupond va succéder à Noureev au poste de directeur de la danse.
Telperion訳:
和解し、赤いタイツを履き、手に手を取って共に踊るヌレエフとデュポン。デュポンがヌレエフの芸術監督の地位を継ぐことになるだけに、その舞台はなおさら現実離れしていた。

定年を迎えたエトワール、ジャン・ギゼリを送る公演で、ヌレエフとパトリック・デュポンが「さすらう若人の歌」を踊ったことについて。

2人の共演を驚異の目で見たMeyer-Stabley

この文でMeyer-Stableyは2人の舞台をsurréaliste(超現実的な、シュールレアリスムの)と呼んでいる。一方、新倉訳「象徴する」に当たるフランス語はsymboliqueだろう。surréalisteと見間違えるほど似たスペルとも思えない。

Meyer-Stableyがここでsurréalisteという形容を用いたのは、ヌレエフとデュポンがうまく行っていないらしいエピソードを念頭に置いているから。

  1. ヌレエフがパリ・オペラ座の舞台で踊りたがることにデュポンが新聞で強く反対した (関連記事: 「三日月クラシック」の記事よりP.255の項)
  2. ヌレエフがデュポンをダンサーとしてあまり買っていないことを公に話した
  3. デュポンがパリ・オペラ座の外部での活動を増やした

監督交代は現実離れという形容の理由

原文では、「BであるだけにますますAである」という意味のイディオム"d'autant plus A(形容詞) que B(文)"が使われている。

Aに相当する形容詞
surréaliste (現実離れした)
Bに相当する文
Dupond va succéder à Noureev au poste de directeur de la danse (デュポンが芸術監督の地位のヌレエフを継ごうとしている)

つまり、Meyer-Stableyは「現実離れした」という形容の確かさを強調するために、デュポンが次期監督になるという事実を挙げている。ヌレエフはパリ・オペラ座を統括するピエール・ベルジェと対立の末にバレエ団監督を辞任する。デュポンはそのベルジェに推されて後継の監督となる。その2人が共に踊るというのは、Meyer-Stableyにとって実現するのが信じがたい出来事だった。

"d'autant plus A(形容詞) que B(文)"というイディオムは、他の場所でも何回か出ているが、新倉真由美はいちいち間違えている。仏和辞書でこのイディオムを調べるのがよほど嫌で、当て推量でしのいだとしか思えない。

Meyer-Stableyのミス - 共演は監督交代より後

問題の公演は1990年なのに、Meyer-Stableyが1989年のように書いたことは、「三日月クラシック」の怪しい部分まとめ記事で既出。新倉本を読んでも、上の文は1989年の活動の中で書かれているのだから、誰でも1989年の出来事だと勘違いするだろう。

しかも原文では、デュポンがヌレエフの後を継ぐことを"va succéder"という述語で述べている。これは近い未来を表す形。新倉本だけを読んでいたころ、私は「ヌレエフの名演の例を挙げたいあまり、うっかり1990年の公演をここで書いてしまったのかな」と思いを巡らせていたが、Meyer-Stableyはこの公演が監督交代前の出来事だと心底思ったらしい。

ルドルフ・ヌレエフ財団サイトの「さすらう若人の歌」の説明記事によると、この共演が行われたのは1990年10月23日で、デュポンは芸術監督にしっかり就任済。

更新履歴

2012/11/9
"va succéder"の説明が分かりづらかったので手直し
2014/1/19
主に箇条書きの導入、"va succéder"の説明の簡略化
2014/10/20
  • 単語の間違いとイディオムの間違いを別の見出しに分ける
  • デュポンとヌレエフの他のエピソード例も挙げる

反体制なのはデュポン

『ヌレエフ』P.255:
反体制のルモンド紙のインタビュー
Meyer-Stabley原本:
une interview contestataire au Monde
Telperion訳:
ルモンド紙での反体制的なインタビュー

ヌレエフが先頭に立って踊りたがることに不満を表明したパトリック・デュポンのインタビューについて。

形容詞contestataire(反体制派の)は前の名詞interview(インタビュー)とは直接つながっているが、後のLe Mondeとは前置詞àでへだてられている("au Monde"とは"à Le Monde"の縮約)。形容詞は形容先の名詞と直接つながるのだから、ここではinterviewについて言っている。

ヌレエフ監督時代のフランスはミッテラン率いる社会党政権。ルモンドの当時のスタンスは知らないが、やや左派と言われるルモンドが必ずしも当時の政権と対立していたとは限らない。

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プロフィール

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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