伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2013.02.10
疑念をかきたてたのは昔の思い出
2013.01.20
amourは「愛」、amour-propreは「誇り」
2012.12.24
プティに無断で作品を踊ろうとしたヌレエフ
2012.12.20
不満足な練習の原因は観客への不誠実ではなかった
2012.12.19
プティが憶測したヌレエフの意図 - 挑発

疑念をかきたてたのは昔の思い出

『密なる時』P.71-72:
大勢の共演者の面前でレッスンしている姿を幾度となく見るたびに、これは私をまったく軽蔑していることをあてつける表現なのではないだろうかと自問自答することさえあった。
プティ原本:
j'en arrivais à me demander si cela n'était pas l'expression d'un mépris total, comme je l'avais vu pratiquer tant de fois vis-à-vis de ses nombreux collaborateurs;
Telperion訳:
多くの仕事仲間に面と向かって彼が行うのをあれほど何度も見てきたような、完全なる軽蔑の表現でないのかどうか、自問するに至った。

1983年の「ノートル・ダム・ド・パリ」ニューヨーク公演で、ヌレエフの手抜きに見える稽古に苛立っていたプティによるさまざまな勘繰りのひとつ。

見たのは自問したのより前の出来事

  • "j'en arrivais à me demander"(私は自問するに至った)の時制は直説法半過去
  • "je l'avais vu practiquer(彼が行うのを私が見た)の時制は直説法大過去

時制の違いから、ヌレエフの行いをプティが見たのは、プティが自問するより前の思い出だと分かる。

レッスンを見たのではない

仏和辞書にあるpratiquerの意味は「行う」「実践する」。英語のpracticeと違い、「練習する」という意味では使わないらしい。まして原文に「レッスン」にあたる単語はないので、動詞pratiquerが単独で「レッスンする」にはならないだろう。

pratiquerがある節(comme以降文末まで)の前に「完全なる軽蔑の表現」(l'expression d'un mépris total)とあり、これがpratiquerの目的語と思われる。この場合の「行う」とは、軽蔑の表現をして見せることだろう。

自問と自問自答の違い

"se demander"は単に「自分に問う」。プティはヌレエフの気のない態度について「挑発する気か」とか「観客をなめているのか」とかいろいろな可能性を考えている。しかしその中のどれが正しいのかを決定した様子はない。つまり、自問はしても自答はできなかったのではないかと思われる。

新倉真由美は「自問する」を「自問自答する」と同一視しているらしい。ベジャールとの連名公開書簡を回顧するときも(『密なる時』P.79)、"Je me pose la question"(自分に質問を出す)を「自問自答する」としている。

更新履歴

2014/6/19
小見出しを導入

amourは「愛」、amour-propreは「誇り」

『密なる時』P.77:
時の流れは、愛そのものが負った傷の深さを教えてくれた。
プティ原本:
Le temps pansera les plaies d'amour-propre.
Telperion訳:
時は誇りが受けた傷の手当をすることになる。

「ノートルダム・ド・パリ」のニューヨーク公演がもとでプティがヌレエフと決裂し、離れることを決意するくだりの締めの文。「amourは「愛」で、propreは「固有のもの」「清潔な」といったいくつかの意味がある。ところが、組み合わさったamour-propreの意味は「自尊心」。

panserは「包帯を巻く、手当をする、ブラシをかける」といった意味で、この場合は傷のケアということになる。

プティはこの本で叙述文を書くとき、直説法半過去の時制を使うことが多い。ある期間にわたる過去の動作を表す時制で、回想録を書くには自然。一方、この文の時制は直説法単純未来。未来のこととして書いた理由は、絶交時点で先のことを書いたせいかも知れないし、当時のプティが考えたことをそのまま書いたせいかも知れない。

プティに無断で作品を踊ろうとしたヌレエフ

『密なる時』P.74:
僕はパリでデュウシュカ(マカロワ)と踊るから」
ヌレエフがこう言っていたことは、ニューヨークでヌレエフの相手役のエスメラルダを演じたマカロワから教えてもらった。彼女はパリ・オペラ座国立劇場の芸術監督に就任したヌレエフにより、ガルニエ・オペラ座に招待されていた。大変ご立派なことに、彼は私の意見などまったく聞くこともなく何もかも決定していたが、私は了承しなかった。
プティ原本:
I will dance it in Paris with you Douchka* .» C'est en ces termes que j'appris par Makarova, l'Esmeralda de Noureev à New York, qu'elle était invitée à l'Opéra Garnier par le monstre alors directeur de la danse de notre théâtre national. C'est bien beau de tout décider sans l'avis de l'auteur, mais voilà, l'auteur n'était pas d'accord.
* Je le danserai à Paris avec toi, Douchka. »
Telperion訳:
パリで君とこれを踊るから、ドゥーシュカ(英語)」。ニューヨークでヌレエフのエスメラルダだったマカロワから、彼女が当時我々の国立劇場のバレエ監督だった怪物からオペラ座のガルニエ宮に招待されていることを教わったのは、この言い方でだった。作者の意見を聞かずにすべて決定するとは大変結構なことだが、そういうわけで作者は賛成しなかった。

「ノートルダム・ド・パリ」ニューヨーク公演の稽古でぎくしゃくしているプティとヌレエフ。

プティが注目したのはヌレエフの言い方

プティの最初の叙述文は強調構文"C'est A que B"(BなのはAである)を使っている。強調されるのはA部分。

Aに当たる語句
en ces termes"(これらの言い回しで)
Bに当たる語句
j'apprisから文末のnationalまで。意味は上の私の訳にある「ニューヨークで~教わった」の部分

プティは「この言い方で」を強調することで、マカロワがヌレエフに招待されたこと自体より、どういう表現でそう言ったかが問題だとほのめかしている。

作者として腹を立てたプティ

引用部分の直前でヌレエフはプティを"he can fuck himself."(『密なる時』の訳は「もう勝手にしやがれ」)と罵倒している。プティの気に障った「この言い方」とは、そのことに見えるかも知れない。

しかし、ここで引用した部分でプティは自分を2回にわたってl'auteur(作者)と呼び、「作者の意見なしに決定する」のを非難する。プティが「自分が作者だ」と強調していることを念頭におきつつヌレエフの言葉を読み返すと、問題なのはその中のitだと分かる。

ヌレエフがitと呼んだのは、稽古中のカジモド役。これをヌレエフが踊るには、もちろん作者プティの了承が必要。なのにプティはまったく打診されないまま、いきなりマカロワからパリ公演を決定事項のように聞かされた。「作者の意見を聞かずにすべて決定するとは大変結構なことだ」と嫌味も言いたくなるだろう。

プティがマカロワ招待に怒ったかのような新倉真由美の文

新倉真由美の文では、プティはカジモド役に一切言及しないし、作者の地位も強調しない。だから、プティの不興を買ったのはヌレエフがマカロワを招待したことのように受け取れる。

しかしマカロワはプティのダンサーではない。これは私の当て推量だが、マカロワがニューヨークでエスメラルダを踊ったのも、ヌレエフと同じく、スター出演で興行を確実に成功させたいメトロポリタン・オペラのジェイン・ハーマンの意向だと思う。そのマカロワを誰がどこに招待しようと、プティが怒る理由はない。

ごく少数にしか分からない訳はやはり問題

これまで私は、「この訳文は明白に原文と違う」「これでは著者の意図が分かる読者がいるわけがない」という、読者全員が誤解するような訳文を取り上げることを心がけてきた。一方、この文の場合、勘の良い人ならプティの怒りを買ったのが「ノートルダム・ド・パリ」上演を独り決めしたことだと分かるかも知れない。だから、重要なキーワードl'auteurを消したとはいえ、誤訳とまで呼ぶのはためらわれるこの個所を取り上げるのには、いささか迷いがあった。しかし、原文を読めば明快なことが訳文ではぼやけていてよく分からないというのは、やはり気になる。ましてや『密なる時』の訳者あとがきにはこう書いてあるのだから。

言うまでもなく、翻訳は原作を忠実に訳すことが絶対条件です
著者の意図を確実に伝えた上で
2014/3/6
文法説明と小見出しを追加
2014/6/22
小見出しによる分け方を少し変更

不満足な練習の原因は観客への不誠実ではなかった

『密なる時』P.72:
そうやって彼はとにもかくにも舞台に立ち、まぎれもなく主役であることを自覚していた。観客たちはその尊大なパフォーマンスに大喝采を送り、彼らの偶像に対し、おそらく最後になるであろうスタンディングオベーションをするのだった。
事実、彼には何も残されていなかった。私はかなり後になってから、彼がその時、すでに体力に見放されているのを感じだし、初めて自信を失い懐疑的になっていたことを知った。
プティ原本:
Il était là sur scène et dansait maintenant n'importe comment, mais il était là et cela, pensait-il, était la principal, le public venait pour applaudir son arrogante performance et ovationner peut-être pour la dernière fois son idole.
En réalité, il n'en était rien. J'ai réalisé plus tard qu'il sentait ses forces l'abandonner et que pour la première fois il doutait de lui.
Telperion訳:
彼はまさに舞台にいて、今となってはどうにでも踊っていたが、彼はそこにいて、彼の考えではそれが肝心なことだった。観客が来るのは彼の傲慢な演技に拍手し、彼らのアイドルに恐らく最後の喝采を送るためなのだ。
実際にはそうではなかった。彼が自分の力に見放されるのを感じ、初めて自分を疑っていたことに、私は後で気が付いた。

1984年「ノートルダム・ド・パリ」ニューヨーク公演でヌレエフの練習ぶりにはなはだ不満だったプティ。この文の前にプティは「軽蔑の表現でないのか自問するに至った」や「多分私を挑発する意図があった」と書いている。

ヌレエフについての悪い想像を否定したプティ

2番目の段落冒頭の文"il n'en était rien"は、イディオム"Il n'en est rien."(それは本当ではない)を直説法半過去の時制で書いたもの。仏和辞書でrienを引けば、"Il n'en est rien."は載っている。時制が直説法半過去なのは昔の出来事だから。

「実際にはそれは本当ではなかった」から、その前に書かれているヌレエフや観客についての描写は、今のプティにとって事実ではないことが分かる。プティがこの前でも後でもヌレエフの内心を探っていることから、プティが当時憶測したことだと推測できる。

「彼が主役である」でなく「それが肝心である」

1番目の段落にある"cela, pensait-il, était la principal, "は、「彼は"cela ist la principal,"と考えていた」。"il pensait"(彼は考えていた)がpensait-ilという倒置文になり、考えの内容を書いた文の中に挿入されるのは、フランス語ではよくある表現。考えの内容が"cela était la principal,"でなく"cela ist la principal,"なのは、高校英語でいう「間接話法の時制の一致」による。

"cela ist la principal,"について、新倉真由美の訳が妥当でない点は2つ。

  1. celaは直前に書かれたことを指す代名詞。「彼」という訳はそぐわない。
  2. ここでのprincipalは名詞なので、意味は「要点、肝心なこと」。principal単体では「主役」という意味にならない。

観客の振る舞いもヌレエフの内心に含まれる

"cela était la principal,"の後に続く、"le public"からピリオドまでの文「観客が彼に喝采しに来た」は、pensait-il(彼が考えていた)に含まれているのかどうか、文法的には判断が難しい。以下の理由から、私は含まれていると思う。

  1. 原文は"le public venait pour ~"(観客は~するために来た)。 applaudir(拍手喝采する)やovationner(喝采を送る)という動詞は、観客が公演に来る目的なのだから、確実な事実として提示するのは不可能であり、どうしても推測の要素が入る。新倉真由美は「するために来た」を無視し、さも実際の出来事のように書いているが。
  2. プティは公演前の稽古を描写しながらこの文を書いている。まだ本番は始まっていない。原文venait(来た)が直説法半過去の時制なのは、高校英語でいう「間接話法の時制の一致」によるもので、ヌレエフの実際の考えは「観客は~するために来る」。
  3. すぐ前の「肝心なのはヌレエフが舞台にいること」とこの「観客はヌレエフに喝采しに来た」はどちらも、ヌレエフの踊りの出来は二の次というわけで、ヌレエフが稽古に不熱心になる理由になりえる。どちらもプティが「こんなことを考えているのではあるまいな」と勘繰る内容として無理がない。

更新履歴

2016/5/11
「それが肝心なことである」の項の拡張など

プティが憶測したヌレエフの意図 - 挑発

『密なる時』P.72:
たぶん彼は私を挑発しようとしていたのであり、珍しくバーについて動き、しまいには彼の卓越した技量を誇示してみせたことがあった。
プティ原本:
peut-être avait-il l'intention de me provoquer et cela pour une fois encore jouer au bras de fer et prouver finalement sa supériorité.
Telperion訳:
多分彼には、私を挑発する意図、そしてもう一度腕相撲をして最後に自分のほうが優れていることを証明しようとする意図があった。
1983年の「ノートルダム・ド・パリ」ニューヨーク公演で、ヌレエフの練習態度がひどい原因をいろいろ思い巡らすプティ。

bras(腕)とbarre(バー)

ヌレエフが前夜どれほど遊んでもバーレッスンを欠かさないことは、この本のプティも『Noureev』のMeyer-Stableyも書いている。「珍しくバーについて動き」は、ヌレエフについての記述としてはかなり異様。

原文を読むと、barreという文字はなく、代わりに"bras de fer"(腕相撲)がある。恐らく新倉真由美はbrasをbarreと見間違えたのだと思う。

プティが憶測したヌレエフの意図は3つ

"peut-être avait-il"(多分彼が持っていた)の目的語として、プティがまず挙げたのは"l'intention de me provoquer"(私を挑発する意図)。さらにプティは"cela pour ~(不定詞)"という表現で、ヌレエフの意図を他にも推測する。celaは前にある名詞"l'intention"(意図)を言い換えた代名詞。プティが挙げた不定詞は2つある。

  1. une fois encore jouer au bras de fer (もう一度腕相撲をする)
  2. prouver finalement sa supériorité (彼の優越性を最後に証明する)

ヌレエフが自分の優越性を示すというのは、あくまでもヌレエフの意図としてプティが考えたこと。ヌレエフが実際にして見せた確定事項ではない。

もう一つの解釈

私は上で前置詞pourがcelaと不定詞をつなぐ役目を持つと見なしたが、pourがイディオム"pour une fois"(一度だけ)の一部という可能性もある。その場合、「もう一度腕相撲をする」は「再び一度だけ腕相撲をする」になる。しかし恐らくそうではないと思う。

  1. 「一度だけ」(pour une fois)の後に「再び」(encore)が付くのは意味不明。
  2. pourがイディオムの一部だとすると、名詞celaに不定詞が前置詞抜きで直接つながることになる。でも私が今までフランス語を読んだ限り、そういうつながり方はかなり異例に思える。
  3. ヌレエフが力比べをするのが一度限りのわけがないのは、『密なる時』の前の方を読むだけでも分かる。

更新履歴

2014/6/21
採用しなかった解釈について「もう一つの解釈」で独立させる
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プロフィール

Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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