伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2014.10.16
プティと和解するためヌレエフは自尊心を抑えた
2014.07.22
自分から和解を持ちかけようとはしなかったプティ
2014.02.21
他の誰よりも前に耐えたプティ
2013.11.18
最も深刻な断絶からの和解を振り返るプティ
2013.03.21
ヌレエフ招待へのジェイン・ハーマンとプティの思い

プティと和解するためヌレエフは自尊心を抑えた

『密なる時』P.79-80:
電話の切り際に私は「私は君が好きだ、わかっていると思うけれど」と言った。多分彼は自尊心を保とうとしたのだろう。とまどいながらくぐもった声で答えた。「僕もあなたを愛している」
プティ原本:
J'ai raccroché en lui déclarant « je t'aime bien tu sais » et lui de répondre avec une voix pâle et hésitante, car il lui fallait mettre un mouchoir sur son amour-propre, « I love you too ».
Telperion訳:
私は電話を切り、そのときはっきりと言った。「好きだよ、知ってるだろう」。そして彼は答え、その声は力がなく、ためらいがちだった。自分のプライドにハンカチをかける必要があったからだ。「私も好きだ」

1983年の「ノートルダム・ド・パリ」ニューヨーク公演がきっかけで数年間絶交していたプティに、ヌレエフが訪問を告げる電話をかけた。その切り際の会話。

ハンカチをかけるのは保つのではなく隠すためでは?

上では文脈紹介のために1つの文をすべて引用したが、私が取り上げたいのは、ヌレエフが弱い声で答えた理由としてプティが書いたこと。

プティ原本:
car il lui fallait mettre un mouchoir sur son amour-propre,
直訳:
なぜなら彼は彼の自尊心の上にハンカチを置く必要があったからだ。
新倉訳:
多分彼は自尊心を保とうとしたのだろう。

「~の上にハンカチを置く」(mettre un mouchoir sur ~)とはどういう意味か。プログレッシブ仏和辞典第2版やラルース仏語辞典を探しても、そういうイディオムは見かけなかった。新倉真由美が出した答えは「自尊心を保つ」。しかし私は次の理由で、この解釈が妥当だと思えない。

直訳から離れ過ぎ
ハンカチをかぶせたくらいで物を守れはしないだろう。だから「保つ」を「上にハンカチをかける」に言い換えるのは理にかなうように思えない。すでに定着している慣用句なら、奇妙な表現でも受け入れるしかない。しかしこの場合は、新たな慣用句を考案するようなもの。文字通りの表現を尊重しないと、やりたい放題になりそうで危険。
ヌレエフの言動との整合性がない
和解を拒絶し続けてきた相手に自ら電話をかけ、相手の「好きだよ」に「私もだ」と返す。果たして自尊心を保ちながらできる行為だろうか。「そこまで言うなら過去のことは水に流してもいい」くらいの返答のほうが、自尊心は満たされるだろう。

私の考えでは、「自尊心の上にハンカチを置く」とは、「自尊心を見ないようにする、隠す」の言い換え。「ここまで頭を下げて悔しくないのか」という自尊心の声を黙らせる必要があったから、声から力が失われたのだろう。

原著者の表現を変えるときは慎重に

「自尊心にハンカチをかける」が「自尊心をわきに押しやる」だという私の解釈は、文脈と直訳から独自に編み出したものなので、絶対に正しいとは言い切れない。その場合、私は下手に言い換えて元の意味が失われる危険を冒すよりは、原著者の言い方をそのまま使うことにしている。

解釈に迷う表現に出会ったとき、新倉真由美はその表現をそのまま使うより、自分の解釈に言い換え、読者にその解釈だけを信じさせる傾向がある。しかし私は、新倉真由美の不確かな言い換えより、たとえ分かりにくくても原著者の表現を読みたい。

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2016/12/9
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自分から和解を持ちかけようとはしなかったプティ

『密なる時』P.79:
本当のことを言えば、私は和解を願い、怪人ヌレエフが同意の兆候を見せてくれることだけを待っていたのだった。
プティ原本:
En réalité je n'attendais qu'un signe du monstre pour la réconciliation que j'espérais.
Telperion訳:
実際には私は、期待していた和解の合図を怪物が見せることだけを待っていた。

1983年の「ノートルダム・ド・パリ」ニューヨーク公演がもとで約5年ヌレエフと絶交したプティ。プティは共通の知人が仲直りのために2人を会わせようとする試みをすべて拒絶したことを書いた直後の文。

プティが求めたのはヌレエフからの働きかけ

プティが待ったのは、和解のための怪物(ヌレエフ)の合図(un signe du monstre pour la réconciliation)。プティは確かに和解を望んだが、そのための合図をするのはヌレエフであるべきだと思っていた。

しかし新倉真由美は、ヌレエフが合図する目的を「同意」だとした。このため、まずプティがヌレエフに和解の願いを伝え、ヌレエフの同意を待つという構図になった。

プティはヌレエフからの申し出を勝ち取った

プティは序文で、2人が衝突してほとぼりが冷めた後、「それぞれが相手の歩み寄りを待っていた」と書いている。つまり、仲直りしたくても、相手が和解を望んだから承知したという体裁を取りたい。だから「ノートルダム・ド・パリ」事件の後、プティは共通の知人による和解のセッティングを拒否した。結局和解が成立するのは、ヌレエフ自らがプティに電話をかけたとき。「それぞれが相手の歩み寄りを待った」と書いたプティだが、この件ではプティはヌレエフの歩み寄りを待ち続け、ついに勝ち取った。

新倉真由美が持ち込んだ「同意」という一言のせいで、「仲直りしたければ向こうから申し出るべき」というプティの自尊心は消えた。しかも単なる「見せるのを待つ」でなく「見せてくれるのを待つ」。新倉真由美は「~してくれる」という言い方を非常に好むが、自分からは和解に向けて動かなかったプティを描写するには、あまりにも低姿勢な表現。

『密なる時』のプティがヌレエフに低姿勢な例

新倉真由美が『密なる時』で描くプティが、原本に比べてヌレエフに腰が低いと私が思うのは、ここだけではない。

プティは振付家としてヌレエフを従わせるつもり
ヌレエフに対する指示の出し方が「~できるだろうか」
ヌレエフの毒舌にプティが動揺したとは限らない
ヌレエフの毒舌に動揺したと書かれたのがプティだけ
和解後のプティとヌレエフ
「彼は喧嘩をためらった」が「我々は喧嘩をためらった」に

この記事もそうだが、いずれもデリケートな違い。『密なる時』だけを読むなら、これらを一度に読んでも、訳者の偏見を疑わずに「原本とちょっと印象が違う」くらいで済んだと思う。しかし私は新倉真由美の次作『ヌレエフ』を読んだ。あの本で新倉真由美がヌレエフの傍若無人さを散々誇張する兆しは、『密なる時』ですでに生まれているような気がしてならない。

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2016/12/9
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他の誰よりも前に耐えたプティ

『密なる時』P.76-77:
当初私はなんとか彼の急変ぶりに耐えようと試みたが、彼との殴り合いを回避するにはこれ以外の解決策が見つからなかった。もし喧嘩になったら、この愛してやまない怪物と私は転げ回って殴り合ったかもしれない。
プティ原本:
J'étais le premier à supporter cette crise, mais n'avais pas d'autre solution pour éviter le pugilat dans lequel le monstre aurait tant aimé se rouler avec moi.
Telperion訳:
私はこの危機に誰よりも真っ先に耐えたが、殴り合いを回避するには、他に解決法はなかった。もし殴り合いになれば、あの怪物は私と共に転げ回るのを大変気に入ったろうが。

「ノートルダム・ド・パリ」ニューヨーク公演の打ち上げパーティーでヌレエフに悪罵を浴びせられた翌日、絶交に踏み切ったプティ。

ヌレエフへの愛情は話題になっていない

文の最後の"le monstre aurait tant aimé se rouler avec moi"は、プティが回避した"le pugilat"(殴り合い)を修飾する関係節から関係詞"dans lequel"を除いた文。この殴り合いが実現したら行われたろうことを述べている。これを訳すと、「怪物は私と共に転げ回るのを大変好んだであろう」となる。

構文解析

  • 主語は"le monstre"(怪物)
  • 述語は"aurait aimé"(好んだであろう)
  • 目的語は"se rouler avec moi"(私とともに転げ回る)

新倉真由美は恐らくこう解釈している。

  • 主語は"le monstre tant aimé"(大変愛される怪物)
  • 述語は"aurait se rouler"(転げ回ったであろう)

それが正しくない理由は次のとおり。

  • aiméはauraitより遠くにある"le monstre"にはつながらない
  • auraitはaiméより遠くにある"se rouler"にはつながらない
  • auraitと動詞の原形"se rouler"が合わさってひとつの述語になることはありえない

「最初にする人」と「最初にすること」の違い

最初の原文"J'étais le premier à supporter cette crise"の直訳は、「私はこの危機に耐える最初の人間だった」。"le premier à ~(動詞の不定詞)"は「~する最初の人/もの」だが、主語は私(J')なのだから、premierは「最初のもの」でなく「最初の人」。

「~する最初の人/もの」という言い回しを消さずに、対応する新倉真由美の訳「当初私はなんとか彼の急変ぶりに耐えようと試みた」を書き直すと、「私がした最初のことは、なんとか彼の急変ぶりに耐えようと試みることだった」といった形になる。つまり、最初なのはプティの耐えるという行動。

まとめるとこうなる。

プティの文
  • 最初なのはプティ自身
  • 比べる対象は他の人びと
新倉真由美の文
  • 最初なのはプティの耐えるという行動
  • 比べる対象はプティのしうる他の行動

プティの言葉がどういう意味なのか、私の推測は2つある。

  1. 「この危機」とは打ち上げパーティーの事件だけでなく、稽古中から積み重なってきたプティとヌレエフの不仲全体を指している。「私は誰よりも前から耐えてきた」と言うことで、堪忍袋の緒が切れるのが必然だったと訴えている。
  2. 「私はこの危機に最初に耐える」とは、普段のプティに関する一般論。「私はダンサーからの罵倒ごとき、他の誰よりも難なく受け流すことができる」と言うことで、それをこの時できなかったプティがどれだけ精神的に痛手を受けていたかをほのめかしている。

2番目の推測の場合だと「この危機」より「このような危機」と言いそうなので、私は1番目の推測に傾いている。でも私の語学力では、2番目の推測がありえないとは言い切れない。

1番目の推測どおりの場合、プティの「他の誰よりも前から」も、新倉真由美の「他の何よりも前に」も、「早くから」という意味では似たようなものかも知れない。それでも私は「他の誰よりも前から」という表現を尊重したい。プティが自分と比べている相手の中には、間違いなくヌレエフも含まれているはずだから。

最も深刻な断絶からの和解を振り返るプティ

『密なる時』P.79:
愛情に満ちた強い抱擁のほかに我々は何を待ち望んでいただろう。私たちはまったく違う性格をしていたが、時には非常に接近しお互いを受け入れていたはずだった。
プティ原本:
Qu'attendions-nous pour, après une affectueuse accolade, nous accepter une fois pour toutes avec nos caractères différents et pourtant quelquefois si proches ?
Telperion訳:
愛情のこもった抱擁の後、我々の異なる性格、それでいて時にはあれほど近い性格を持ちつつ、お互いを今度こそ受け入れることの何をためらっていたのか。

1983年の「ノートルダム・ド・パリ」公演後に決裂したヌレエフと和解するに至ったことを振り返るプティ。

抱擁はプティの主な望みではない

原文の主要部分は"Qu'attendions-nous pour nous accepter ?"。その文字通りの意味は「お互いを受け入れるために我々は何を待っていたのか?」。この文脈での意味がいささか分かりにくいが、『プログレッシブ仏和辞典第2版』のattendreの項に、これに似た言い回しが載っていた。

Qu'est-ce que tu attends pour 不定詞 ?
(話し言葉) ~せずに何をぐずぐずしているんだい、さっさと~したまえ。

直訳は「(不定詞の動詞)するために君は何を待っているのか?」。疑問代名詞としてqueの代わりに"qu'est-ce que"を使っているし、主語や時制が違ってはいるが、プティの文の直訳にきわめて近い。和解を望んだことを書いた後に上の文を書いたプティも、「何でさっさと和解しなかったんだ」という意味を込めたと思われる。私の「何をためらっていたのか」はそれを踏まえた意訳。

骨格となる部分を修飾する部分

主要文を修飾する語句は3つに分けられる。

修飾句1
après une affectueuse accolade (愛情のこもった抱擁の後)
après(~の後に)を「~の他に」と訳すのはまず無理に思える。
修飾句2
une fois pour toutes (これを最後に)
仏和辞書でfoisを引くと載っているイディオムで、『プログレッシブ』には「一回限り、きっぱりと、これを最後に」とある。「今度お互いを受け入れたら、二度と拒絶なんかしない」というニュアンスだろう。
修飾句3
avec nos caractères différents et pourtant quelquefois si proches (我々の異なり、それでいて時にはあれほど近い性格を伴って)
文脈的に"nous accepter"(お互いを受け入れる)を修飾すると思う。将来したいことである「お互いを受け入れる」を新倉真由美は回顧と見なしたため、性格云々部分も回顧のように扱っている。

ヌレエフ招待へのジェイン・ハーマンとプティの思い

『密なる時』P.70:
契約が交わされ、私はこのシーズンは成功するだろうという予感に包まれていた。ある日ジェーン・ハーマンが微笑みながら私のところにやって来て、ぜひヌレエフを招待して『ノートルダム・ド・パリ』のカジモド役を2、3回踊ってもらいたいと言った。それは我々のニューヨーク滞在に余計な波紋をもたらすことになるかもしれない。何かと取り沙汰されてしまう危険性もある。踊り手はすでに決まっているのだ。
プティ原本:
Le contrat signé, j'envisageais cette saison avec bonheur, quand Jane Hermann m'annonça souriante qu'elle aimerait bien inviter Noureev à danser deux ou trois soirs Quasimodo dans Notre-Dame de Paris, cela serait un plus qui apporterait un éclat supplémentaire à notre séjour new-yorkais. Que de problèmes en vue, le rôle était déjà distribué.
Telperion訳:
契約書が署名され、私がこのシーズンを幸せな気持ちで思い描いていたその時、ジェイン・ハーマンが微笑みながら私に告げた。ヌレエフを招待し、「ノートルダム・ド・パリ」のカジモドを2、3夜踊ってもらえればとても嬉しい、私たちのニューヨーク滞在にさらなるきらめきが加わることになるだろう、と。どんなに多くの問題が目前にあることか、もう配役してしまったのだ。

ヌレエフを招待したいジェイン・ハーマン

ヌレエフの招待がプティたちのニューヨーク滞在にもたらすとされるéclatは、「輝き、華々しさ、大音響、爆発」などの意味がある。これだけでだといい意味なのか悪い意味なのか、よく分からない。原文でéclatを修飾するsupplémentaireは「追加の、補足の」であり、この単語自体にネガティブな意味はない。

éclatが悪い意味の場合
関係節"qui apporterait un éclat supplémentaire à notre séjour new-yorkais"を一部日本語にした「私たちのニューヨーク滞在に追加のéclatをもたらす」は、「ただでさえ厄介ごとであるプティの滞在にさらなる厄介ごとを加える」という意味になる。これはプティの感想としても、プティを呼んだメトロポリタン・オペラのジェイン・ハーマンの感想としても、とてもありそうにない。
éclatがいい意味の場合
上記の関係節は「輝かしいプティたちの滞在をさらに輝かせる」となる。これはヌレエフを招待したいハーマンの意見としてぴったり。

それに、この関係詞が修飾する"un plus"には「プラスになること」という意味がある。したがって、"cela serait un plus qui apporterait un éclat supplémentaire à notre séjour new-yorkais"(それは私たちのニューヨーク滞在に追加の輝きをもたらすプラスなことになるだろう)とは、その前の"elle aimerait bien inviter Noureev"(ヌレエフをとても招待したい)と同じく、ハーマンの表明と取るべき。"notre séjour new-yorkais"(私たちのニューヨーク滞在)とあるのは、ハーマンの言葉を間接話法で書いているからで、ハーマンが実際に口にしたのは「あなた方のニューヨーク滞在をさらに輝かせることでしょう」だろう。

ヌレエフを招待したくないプティ

引用部分においてプティの不賛同を表す文は、最後の"Que de problèmes en vue,"で始まる文だけ。"Que de ~(無冠詞名詞)"とは、「なんと多くの~だろう」という感嘆文。"en vue"は「見えるところに、目前に」といった意味。確かにプティはヌレエフの参加がトラブルになると思っているが、「何かと取り沙汰されてしまう」はプティの言葉「目の前の多くの問題」の言い換えではなく、新倉真由美の想像に見える。

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プロフィール

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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