伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2012.11.28
ブルーン逝去より前に決まったニューヨーク公演
2012.11.21
トールチーフとバランシンやブルーンの縁がヌレエフを魅了
2012.11.18
プログラム作りの苦労は負傷の原因とはいえない
2012.11.09
急な登板を予定と呼べるか
2012.09.26
必ずしも人格者でないエリック・ブルーン

ブルーン逝去より前に決まったニューヨーク公演

『ヌレエフ』P.262:
悲嘆にくれていたルドルフのもとに、元気を回復させる二つの朗報が舞い込んだ。それは同年七月メトロポリタンオペラ劇場で行われるガラ公演でのバリシニコフとの共演と、パリ・オペラ座バレエ団のアメリカ公演の知らせだった。
一九八四年のニューヨーク公演以来の
(以下は原本で引用外の文なので略)
Meyer-Stabley原本:
Rudolf, très affecté, a cependant deux occasions de se réjouir : l'annonce d'une apparition en commun avec Barichnikov pour un gala sur la scène du Metropolitan Opera en juillet de la même année, prélude à la tournée aux États-Unis (la première depuis 1948 à New York) du Ballet de l'Opéra de Paris.
Telperion訳:
しかし、深く悲しんだルドルフには、喜びを覚える2つの機会があった。同年7月にガラでメトロポリタン・オペラの舞台にバリシニコフとともに立つことと、それを前触れとするパリ・オペラ座バレエのアメリカ・ツアー(ニューヨークで1948年以来初めて)の発表である。

1986年4月1日にエリック・ブルーンが逝去したことを述べた直後の文。

ヌレエフは知らされたのでなく知らせた側

アメリカ公演の知らせを「嬉しくなる2つの機会があった」(a deux occasions de se réjouir)を「二つの朗報が舞い込んだ」と言い換えてもよいのは、知らされた相手がヌレエフの場合に限られる。しかし次の2つの理由で、私はこの仮定が誤りだと思う。

ヌレエフは知らせを受け取るべき立場にいない
ヌレエフとバリシニコフの合同ガラも、ヌレエフが監督として率いるパリ・オペラ座バレエのツアーも、ヌレエフの意志があって初めて決まること。誰かが取り決めた後でヌレエフがそれを聞かされたという新倉真由美の言い分は、もっともらしく聞こえない。ヌレエフは知らせる側にいるほうが当然。
ヌレエフが実際に知らせる側に立ったという報道の存在
1986年4月1日のNew York Times紙の記事の無料プレビューによると、その前日にヌレエフとバリシニコフの2人は共同ガラの開催を発表した。パリ・オペラ座バレエのツアーもこのとき明らかになっている。Meyer-Stableyの言うところのl'annonce(知らせ、発表)はこの発表のことだろう。

Announcing the gala yesterday, the two ballet stars said details of the program had not yet been worked out.

昨日ガラの告知を行った二人のバレエ・スターは、プログラムの詳細案はまだ出ていないと述べた。(Telperion訳)

原文からはアナウンスの対象がヌレエフだとは断定できない。「知らせはヌレエフにもたらされた」という仮定が正しくないと通用しない「朗報」に書き換えるより、原文の「嬉しくなる2つの機会」をそのままにしておくほうが無難だったろう。

悲嘆のピークは恐らく発表の後

原文では発表を「喜ぶ機会」 (occasions de se réjouir)と呼んでいる。公演発表がブルーンの逝去前という事実を知っていると、「ブルーンの死の直前だから悲嘆にくれている。それでも公演のことを考えると嬉しかったのだろう」と受け取ることができる。

しかし新倉真由美は「喜ぶ」を「元気を回復させる」と言い換えた。新倉真由美が言うところの「朗報が舞い込んだ」のは、ヌレエフが報道陣に向けて公演を発表するより前だから、やはりブルーンが生きている間のことになる。その時点でもうヌレエフの元気が回復するとは思えない。知らせがブルーンの死後だという仮定に頼って不必要に表現を書き換えるべきではなかった。

ガラでのヌレエフとバリシニコフ

「バリシニコフとの共演」という言葉は不適切とまでは言えないが、補足説明がいるかも知れない。1986年7月10日のNew York Times紙の記事には、ヌレエフとバリシニコフが共に出演したニューヨークのガラ公演について、こう書かれている(長いので原文はリンク元に譲る)。

ヌレエフとバリシニコフが共に踊ると本当に期待した人がいたら、踊りとはどういうものかをかなり自由に定義していない限り、失望したことだろう。
ロシアで訓練された古典ダンサーである偉大な2人は、実際に文字通り手を取り合い(レスリー・キャロンとともに)、どちらもトワイラ・サープ版の"Push Comes to Shove"に顔を出した。しかし大半は、それぞれ自分の地盤に居続けた。(Telperion訳)

Meyer-Stableyが"une apparition en commun avec Barichnikov"(バリシニコフと共同の出現)という言葉を選んだのが、そのことを知った上でのことかどうかは、私には分からない。ただ、apparitionという言葉自体に踊りとか演技とかいう意味はないのは確かなので、一応厳密に訳しておいた。

2014/2/3
フランス語説明の簡略化
2014/10/14
l'annonceが公演発表だという断定を弱める

トールチーフとバランシンやブルーンの縁がヌレエフを魅了

『ヌレエフ』P.126:
当時三六歳だった彼女は確かに魅力的だった。彼女はジョルジュ・バランシンの三番目の妻で、ダンサー・エリック・ブルーン*1のパートナーで仲間でもあった。
Meyer-Stabley原本:
À trente-six ans, elle possède certes une vraie présence magnétique, mais surtout elle a été la troisième épouse de George Balanchine, ainsi que la partenaire et la compagne du danseur Erik Bruhn, qui fascine Rudolf depuis son passage à Moscou* :
Telperion訳:
36歳の彼女には、確かに本物の磁力のような存在感があった。しかしなかでも、彼女はかつてジョージ・バランシンの3番目の配偶者であり、またモスクワに立ち寄って*以来ルドルフを魅了したダンサー、エリック・ブルーンのパートナーであり愛人だったのだ。

1961年にマリア・トールチーフが少しの間ヌレエフと恋愛関係にあったことについて。

重要なのはバランシンやブルーンとの縁

原文の"certes A, mais B"(確かにAではあるが、Bである)という構文が使われるのは、Bへの反論となるAを認めはするが、本当はBを主張したい場合。

  • Aに当たるのは、maisの前にある「トールチーフに魅力がある」
  • Bに当たるのは、maisの後にある「トールチーフはバランシンやブルーンとつながりが深い」

つまり、Meyer-Stableyが強調しているのはトールチーフの魅力でなく、トールチーフの人間関係。この説は原本では少し後で再び書かれているし(トールチーフとブルーンやバランシンのつながり)、次の伝記にもある。

  • 『Nureyev: His Life』(Diane Solway著)、ペーパーバックP.186
  • 『Nureyev: The Life』(Julie Kavanagh著)、ペーパーバックP.160

新倉真由美の訳文では、トールチーフの魅力については「確かに」(certes)とある一方、人間関係については「しかしとりわけ」(mais surtout)という強調がない。このため、Meyer-Stableyが強調したいのはトールチーフ個人の魅力であり、人間関係は単にトールチーフの紹介として出したに過ぎないように見える。

トールチーフは当時独身

「彼女はジョージ・バランシンの3番目の配偶者だった」の述語"a été"の時制が直説法複合過去なのは、1961年当時より過去のことを指しているから。実際、当時すでにトールチーフとバランシンは離婚していた。新倉真由美の文だとトールチーフが不倫したとも受け取れるので、念のため書いておく。

トールチーフとブルーンはかつての恋人同士

compagneには「仲間」「愛人」両方の意味がある。トールチーフとブルーンが以前恋愛関係にあったことは、ヌレエフとブルーンが出会う場面(訳本P.127)でほのめかされているので、ここでは「愛人」として構わないと思う。

ヌレエフがかつてブルーンの舞台に魅了されたことの省略

原文にはブルーンについて、関係節"qui fascine Rudolf depuis son passage à Moscou*"(モスクワでの滞在以来、ルドルフを魅了した)という説明がある。モスクワでの滞在とは、1960年にブルーンがABTとともにモスクワで公演したことを指す(新倉本P.73-74)。新倉真由美がこの部分を省略したため、ブルーンがヌレエフに及ぼす影響の大きさも、ヌレエフがトールチーフの何に引き付けられたかも、さらに分かりにくくなった。

おまけ - この部分に付いた注は原文も訳文も問題あり

引用した部分には注が付いている。原文で注マークが「彼のモスクワ滞在」(son passage à Moscou)に付いていることからほのめかされるとおり、注の内容はブルーンのモスクワ公演に関係する。しかしこの注はいろいろと問題があり、これだけ読んでもモスクワ公演に関係する内容だと分かるのは難しい。「三日月クラシック」の記事とコメントでミナモトさんと私が何度か書いているので、単独記事は書かず、ここで簡単にまとめる。

  • ヌレエフが友人に録画してもらったモスクワ公演の映像を後で見てブルーンに熱狂したのは、さまざまな伝記に書かれている。多分Meyer-Stableyは注でこのことを書いている。
  • しかし原文には、ブルーンまたはヌレエフ(私はブルーンだと思う)を指して"l'âge de dix-neuf"(19歳)とある。1960年にはブルーンもヌレエフも19歳ではない。
  • 訳本ではfilm(映像)が「映画」と訳された。

更新履歴

2014/1/24
注の説明を加えるのを中心に大幅に書き換え
2016/5/11
諸見出しを変更

プログラム作りの苦労は負傷の原因とはいえない

『ヌレエフ』P.136-137:
しかし公演のたびに四人のダンサーのためにプログラムを構成するのは次第につらくなり、案の定千秋楽の夜に事件が起こった。
Meyer-Stabley原本:
Il est déjà dur pour quatre danseurs de composer le programme de toute une soirée, mais voilà que la catastrophe se produite le dernier soir :
Telperion訳:
4人のダンサーにとって公演全部のプログラムを組むのはすでにつらかったが、そこに最後の夜に災難が起こった。

1962年1月にヌレエフ、エリック・ブルーン、ロゼラ・ハイタワー、ソニア・アロワという4人のスターが、共同で構成したプログラムの公演を行ったときのこと。この後、出演者の一人ブルーンが千秋楽直前に負傷し、出演を断念することが書かれる。

4人が作ったプログラムは1種類

前半の原文"Il est déjà ~ une soirée,"と新倉訳「しかし公演のたびに~つらかったが、」を見比べると、次のことに気づく。

  1. 原文のdéjà(すでに)に「次第に」という意味はない
  2. programme"(プログラム)は単数形
  3. "toute une soirée"は「1つの公演全体」。「すべての公演」という意味になるには、soirée(公演)が複数形にならなければいけない。

原文からは、4人が苦労して作ったプログラムは1つだと分かる。公演が複数回行われたのは後半の「最後の夜」という語句から明らかだが、プログラムは毎回同じだった。「すでにつらかった」とは、4人が苦労したのが公演開始前だったという状況を表している。

1つめの危機が2つめの危機の原因とは限らない

後半の"voilà que ~(直説法の文)"は、状況の変化を指して「ほら、~になった」のような意味で使われる。この場合は「初日前にはプログラム作りでへとへと、千秋楽前には出演者キャンセルのピンチ!」と危機感を煽っているのだろう。

しかし新倉訳の「案の定」にある「こんなことになったのは当然だ」という因果関係の主張は、原文からは読み取れない。実際、新倉訳と違い、プログラム構成は公演初日にはすでに終わっている。そんな過去の出来事が原因で千秋楽直前に負傷するのが予測可能なのか、私には疑問。

更新履歴

2016/7/13

急な登板を予定と呼べるか

『ヌレエフ』P.138:
彼は最も純粋なブルノンヴィルの伝統的作品“ゼンツァーノの花祭り”のパドドゥーを初めて踊る予定だった。
Meyer-Stabley原本:
ce qu'il fait, exécutant ainsi pour la première fois le pas de deux de Fête des fleurs à Genzano dans la plus pure tradition « Bournonvill ».
Telperion訳:
これを彼は行い、こうして最も純粋な「ブルノンヴィル」の伝統の「ゼンツァーノの花祭り」のパ・ド・ドゥーを初めて演じたのだった。

ヌレエフと同じ公演に出るエリック・ブルーンが直前に怪我で降板を強いられたときのこと。引用直前の文は「唯一の解決策はルドルフが彼自身の出番に加え、ブルーンの役を踊ることだった」(訳本より)。

予定でなく実践

引用冒頭の"ce qu'il fait"(彼がしたこと)が指すのは、直前に書いてある「自分の役とブルーンの役を踊ること」。ヌレエフは実際に自分の役とブルーンの役をともに踊った。

「前の文で書いたのは~なことである」と言うために"ce queまたはqui ~"を続ける手法は、以下の記事でも取り上げている。

exécutant(演じる)の後にあるainsi(こうして)も、ブルーンの降板が理由でヌレエフが「ゼンツァーノの花祭り」を初めて踊ったという因果関係を指している。「予定だった」と訳すのが普通な語句は原文にはない。

私が訳本から受けた違和感

「公演を延期するにも作品を変更するにも既に遅すぎた」(訳本P.138)ほど直前に慌ただしく決まった配役を「踊る予定だった」と表現するのは、ほぼありえないと思う。だから私が訳本を読んだとき、原本を読めば考える必要がない次のような可能性が思い浮かんで当惑してしまった。

  • ヌレエフはブルーンの代わりに『ゼンツァーノ』を踊ろうとしたけれどやっぱりやめたのか?
  • ヌレエフの当初からの配役が『ゼンツァーノ』で、そこへさらにブルーンの役が加わったのか?

次の文で「数日後にブルーンがアメリカでこの役を踊るはずだったので、代わりにヌレエフがニューヨークに飛んだ」とあるので、その前もブルーンの代わりに踊ったのだろうとかろうじて推測はできた。しかし確信できたのは、ルドルフ・ヌレエフ財団サイトのヌレエフ出演作リストを読んだときか、Diane Solway著の伝記『Nureyev: His Life』を読んだときのどちらかだったように思う。

原文にない「予定だった」を新倉真由美が付け足したのは、小さな操作ではある。しかし、原文にある論理を損なうという点では影響が大きいと思う。

2014/1/19
主に小見出しの追加、箇条書きの導入

必ずしも人格者でないエリック・ブルーン

『ヌレエフ』P.183:
私が知っているエリックは厳格な人でした。
Meyer-Stabley原本:
Erik était un homme amer quand je l'ai connu au début des années 1970.
Telperion訳:
1970年代の初めにエリックを知ったとき、彼は辛辣な人でした。

ソニア・アロワが語るエリック・ブルーン。

amerの意味

amerの意味としては、次のものが挙げられる。いずれも、自らが苦い思いをするのでなく、周囲に苦さを味わわせる様子を表している。

  1. (味が)苦い
  2. (体験などが)つらい、苦しい
  3. (態度、性格などが)辛辣な、とげのある

ここでのamerはブルーンの性格を表すので、3番目の「辛辣な」。

アロワのブルーン像

アロワが語るこの時期のブルーンは、他者に攻撃的なように見える。現にアロワはこの後「彼はルドルフの華々しい活躍に追い越されたと感じたのです」と続け、ヌレエフの時の人ぶりがブルーンの精神状態に悪影響を及ぼしたと語っている。

新倉真由美のブルーン像

新倉真由美がamerにあてた訳語は「厳格な」で、ほめ言葉として普通に通用しそう。厳格な人が必ずしも他人に苦い思いをさせるとは言えず、amerの訳語としてはしっくり来ない。しかも新倉真由美は「彼は自分が過大評価されたと感じた」と続けているので(詳しくは上でリンクした記事を参照)、まるでブルーンが過大評価に浮かれない高潔な人間のように見える。

いつもやさぐれていたわけではないブルーン

アロワが1961年から62年にかけてブルーンやヌレエフと仕事をしたのは、訳本P.136にあるとおり。当時はブルーンがすでにバレエ界で地位を確立していた一方、ヌレエフは亡命してからそう長くなく、フォンテーンとのパートナーシップで名をはせる前だった。アロワはこの時期と1970年代のブルーンを区別している。

2014/1/28
原本と訳本の対比を強化
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プロフィール

Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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