伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2014.11.06
関係悪化の原因として語られるのはブルーンの感情のみ
2014.07.30
トールチーフとブルーンがかつての恋人だという示唆
2013.06.19
新倉本が招くヌレエフの誤解(6) - ブルーンとの関係
2013.02.20
感情のせめぎ合いがヌレエフとブルーンの別れにつながる
2013.01.14
ヌレエフのニヒルな発言とブルーンとの疎遠の関係

関係悪化の原因として語られるのはブルーンの感情のみ

『ヌレエフ』P.151:
ルドルフはすっかり有名人になってしまった自分の周辺で、エリックがあまり注目を浴びなくなるのを気の毒に思っていた。
Meyer-Stabley原本:
De plus, le Russe est devenu une telle célébrité qu'il est pénible pour Erik de sentir moins d'attention autour de lui.
Telperion訳:
その上、ロシア人があまりに有名人になったため、自分の周りでの関心のほうが低いと感じるのは、エリックにとってつらいことだった。

デンマークの名ダンサーであるエリック・ブルーンとヌレエフの関係が、恋愛としては成り立たなくなったことについて。

構文解析

原文の"il est pénible pour Erik de sentir ~"では、次の構文が使われている。英語にも同様の構文があるので、比べてみると理解しやすい。

フランス語
il est A(形容詞) pour B(名詞) de C (不定詞)
英語
it is A(形容詞) for B(名詞) to C (不定詞)
日本語の意味
CはBにとってAである。

原文に当てはめると、AからCまではこうなる。

形容詞A
pénible (つらい、耐えがたい)
名詞B
Erik (エリック)
不定詞C
sentir moins d'attention autour de lui (彼の周りでより少ない関心を感じる)

原本と新倉本が違う個所

感情の主はヌレエフでなくブルーン

さっき取り上げた文の先頭にあるilは仮主語に過ぎない。真の動作主、つまり少ない関心を感じているのも、その状況を苦痛に思うのも、前置詞pourの後に書かれたブルーン。

その前に「ロシア人(ヌレエフ)があまりに有名人になった」という文があるため、新倉真由美はその後に続く"il est pénible"を非人称構文ではなく「彼はpénibleである」と解釈したのではないかと思う。

ブルーンの悩みは深刻

pénibleの意味は「つらい、耐えがたい、苦しい」など。それほどの悩みは、ブルーンを案じるヌレエフより当事者ブルーンに似つかわしい。

仏和辞書やラルース仏語辞典を読む限り、pénibleに「気の毒に思う」という訳語は似合わない。「感情の主はヌレエフ」という思い込みから、感情の内容は同情だと新倉真由美が信じて訳語を考案したのかも知れない。

不確定な個所 - ヌレエフとブルーンのどちらの周りのことか

"moins d'attention"(より少ない関心)の後に続く"autour de lui"(彼の周りで)を新倉真由美は「ヌレエフの周りで」と解釈している。私自身は「ブルーンの周りで」だろうと思っており、それは私の訳にも出ている。でも、新倉真由美が間違いだとは言い切れないので、解釈が違うと書くだけにとどめておく。

トールチーフとブルーンがかつての恋人だという示唆

『ヌレエフ』P.127-128:
彼女は周知のとおりバイ・セクシュアルなエリックがタタール人に惹かれ、彼女のロマンスが終わってしまうかもしれないと思ったが、自分が紹介したダンサーを二人とも失うとは想像していなかった。
Meyer-Stabley原本:
Même si elle sait que sa romance danoise est terminée, qu'Erik, bisexuel notoire, ne peut qu'être attiré par le Tartare, elle peine à comprendre qu'en présentant les deux danseurs l'un à l'autre elle les perd tous les deux.
Telperion訳:
自分のデンマークのロマンスに終止符が打たれたこと、周知のバイセクシャルであるエリックがタタール人に魅了される以外にないことは知っていても、2人のダンサーを互いに紹介することで2人とも失うと理解するのは、彼女には難しかった。

マリア・トールチーフの仲介でヌレエフとエリック・ブルーンが知り合い、互いに相手に夢中になったことについて。ヌレエフとブルーンが合う前、ヌレエフとトールチーフはきわめて親密な関係だった。

以前私は記事「トールチーフとバランシンやブルーンの縁がヌレエフを魅了」でこう書いた。

トールチーフとブルーンが以前恋愛関係にあったことは、ヌレエフとブルーンが出会う場面でほのめかされている。

そのとき頭にあったのが、ここで取り上げる文。しかしトールチーフとブルーンの関係がほのめかされているのは、あくまで原本のこと。新倉真由美の文では違うということに今さら気づいたので、補足のために取り上げる。

根拠1. ロマンスの相手はデンマーク人

原本の記述

原本からの引用で一番注目してほしい個所は"sa romance danoise"(彼女のデンマークのロマンス)。「デンマークの」が付いているのは、相手がデンマーク人のブルーンだから。

すでにトールチーフは"la compagne du danseur Erik Bruhn"と呼ばれている。先ほど触れた記事では私はcompagneを「愛人」としたが、ラルース仏語辞典によると、男女関係でのcompagneはもっと重い意味で、妻または内縁の妻の位置を占める女性。"sa romance danoise"を読んだとき、原本の読者はすぐにブルーンのことだと悟ることができる。

新倉本の記述

しかし新倉本では、danoise(デンマークの)が訳されず、単なる「彼女のロマンス」になった。前のページで当時トールチーフとヌレエフが恋人同士だったことが書かれている一方、ブルーンはトールチーフの「仲間」。新倉本の読者が「彼女のロマンス」から思い浮かぶのはヌレエフとのロマンスしかない。

根拠2. ロマンスは過去のもの

新倉本の記述

新倉本でさらに追い打ちをかけているのが、「彼女のロマンスが」に続くのが「終わってしまうかもしれない」だということ。つまりこのロマンスは現在進行中だとされている。トールチーフの現在進行中のロマンスといえば、やはり相手はヌレエフになる。

原本の記述

原本で「終わってしまうかもしれない」に当たる述語は"est terminée"(終わった)。未来形でもなく、推測もなく、断定している。ヌレエフとのロマンスをこの時点でそう表現するとは思えない。

原本を厳密に読むと、最初にトールチーフとブルーンの関係が触れられるとき、「トールチーフはバランシンのかつての妻だった」(elle a été la troisième épouse de George Balanchine,)の後に、"ainsi que la partenaire et la compagne du danseur Erik Bruhn"(ブルーンのパートナーそして伴侶なのと同様に)と続いている。トールチーフとブルーンが親密だったのは、トールチーフがバランシンの妻だったのと同様、もはや過去のこと。「終わった」という表現に合う。

Solway本の記述

なお、Diane Solway著『Nureyev: His Life』ペーパーバックP.186-7には、トールチーフがヌレエフと出会うドーヴィルを訪れる1か月前にブルーンと破局したとある。別れ際にトールチーフがブルーンに「亡命したロシア人に会いに行くから。彼が私の新しいパートナーになるのよ!」という言葉を叩きつけたという逸話もあり、その出典はブルーンの生前に出版された伝記『Erik Bruhn: Danseur Noble』(John Gruen著)。著者John Gruenはブルーンに取材しているので、ブルーンの談話だと思われる。

トールチーフの懸念の違い

ロマンスの相手が原本ではブルーン、新倉本ではヌレエフ。このため、引用前半でトールチーフが予想したことに違いが生まれた。

Meyer-Stabley原本
トールチーフと別れて一人身になったブルーンがヌレエフに恋をする
新倉本
ブルーンがヌレエフに惹かれた結果、自分とヌレエフのロマンスが終わるかもしれない

どちらの本でも、トールチーフになかなか分からなかったのは、ヌレエフとブルーンが相思相愛になり、トールチーフが弾き出されること。

原本のほうが理解しやすいトールチーフの心境

原本の場合、「一人身になったブルーンが魅惑的なヌレエフを次の恋の相手にするとは分かっても、まさかヌレエフがブルーンに応えるとは思わなかった」という流れになり、すんなり納得できる。ヌレエフはまだ亡命したばかりで、同性愛志向は周りに知られていなかったのだから。

ところが新倉本では、予想した「ヌレエフとのロマンスが終わるかも知れない」と、想像しなかった「二人とも失う」が同じことを指すように見える。「想像したのかしなかったのか、どっちだよ」と言いたくなる。「『かも知れない』と予想はしても、予想が実現するとまでは思わなかったのかも」とか、「ヌレエフとブルーンが両思いにならなくても、トールチーフとヌレエフの仲は気まずくなるのかも」とかいう論理を考え付くことは多分できる。でも原本がそうでない以上、こういう推測は骨折り損でしかない。

新倉本が招くヌレエフの誤解(6) - ブルーンとの関係

  1. P.128 それは炎と氷の出会いであり、同時に天使と悪魔の邂逅でもあった。(「三日月クラシック」の原文比較3より)
  2. P.130 エリックに追いつき支配したがるようになった(同上)

似ている2人が対照的な2人に

第1項で、原文最初の"les deux danseurs blonds se ressemblent"(2人のブロンドのダンサーは互いに似ている)は、誤解しようがない単純明快な文。「火と氷の出会い」や「同時に天使と悪魔」は、その詩的な説明です。リンク先で引用した部分の後、さらにMeyer-Stableyは「とても美しく、男女ともに誘惑するのを楽しみ、今この瞬間を利用することを知っていた」(原文の直訳に近く訳してみました)と続けるのですが、これもMeyer-Stableyが2人の類似点と見なしたものでしょう。

ところが、訳本では引用部分が「ヌレエフとブルーンの出会いは対照的な2人の出会いだった」という意味にしか読めません。仏和辞書を引ける程度のフランス語の知識があれば誰でも訳せそうな「2人は互いに似ている」が消された理由として、「難しくて訳せないから仕方なく」はあり得ません。では見逃し、あるいは字数の都合による省略でしょうか。しかし、訳本で「彼らは天使と悪魔である」が「それは天使と悪魔の邂逅である」に書き換えられ、「2人は似ている」の抹消と同じ効果をもたらしているのを見ると、私には新倉真由美が確信的に正反対の文に書き換えたように思えてなりません。

ブルーンを支配したがるヌレエフ?

第2項では、なぜか新倉真由美は原文から単語を部分的に拾い出してつなぎ合わせ、原文の構成とはまったく関係ない文を創作しました。そのため、原本を読む前の私は「年齢で追いつくなんて不可能に決まっているのに、いくら子どもっぽい大人だとしてもそんなこと願うのか?」とびっくりしたものです。しかし原文を読んだ後でびっくりしたのは、envier(羨む、妬む)が「支配する」と訳されたらしいということ。「自分もエリックのように踊りたいのに」と「エリックを支配したい」、近い感情には見えないのですが。

エリック・ブルーンの人となり

伝記『Nureyev: The Life』(Julie Kavanagh著)はブルーンからヌレエフにあてた書簡を引用するなど、豊富な資料に当たっているらしいので、2人の関係を知るにはこの本が一番いいのかも知れません。しかしなにぶんあの本を読むのは大変だし、どのみちMeyer-Stabley本のほうが出版が前なので、Kavanagh本の内容は反映されていません。だから、もしかして実像とは違うかも知れませんが、私がブルーンについて本で読んだことを少しだけ書いてみます。

  • ヌレエフとフォンテーンの初共演が大フィーバーを引き起こしたのを見て、いたたまれなくなったブルーンが劇場から逃げ出したことは、『ヌレエフ』P.141にもあるとおり。
  • ソニア・アロワによると、1970年代のブルーンは周囲の人にきつい態度だったらしい。(記事「必ずしも人格者でないエリック・ブルーン」)
  • 『Nureyev: His Life』(Diane Solway著)のペーパーバックP.208やKavanagh本ペーパーバックP.242によると、ブルーンは生前に出版された伝記『Erik Bruhn: Danseur Noble』(John Gruen著)のためのインタビューで、ヌレエフを「君は私を殺しにロシアから出てきたんだ」となじり、言い過ぎを悔いたことを回想しているそう。
  • Solway本ペーパーバックP.208より、ヴィオレット・ヴェルディの述懐。ブルーンは酒を飲むと毒舌になるそう。
    when he drank, he became so sarcastic and hurtful.
  • Solway本ペーパーバックP.287より、ピエール・ベルジェの述懐。ヌレエフに厳しいブルーン。
    He would say to Rudolf, 'What you did tonight was disgusting, just look at yourself, look at your legs, how can you do that?' And Rudolf was absolutely like a pupil before his master.

先ほど挙げた2か所を読む限り、新倉真由美は温和なブルーンを自己中心的なヌレエフが翻弄したと思っているふしがあります。そうでも思わない限り、あの作文は説明が付きません。しかし、ヌレエフが悪魔でブルーンが天使と言えるかどうか、私は疑問です。

感情のせめぎ合いがヌレエフとブルーンの別れにつながる

『ヌレエフ』P.151-152:
感情的な戦争にも似た思いは彼らの再会と共に収束したが、結局二人は会うごとに少しずつ距離を広げることになってしまった。
Meyer-Stabley原本:
Une sorte de guerre émotionnelle finit par entourer leurs retrouvailles, avec pour conséquence de les éloigner un peu plus à chaque fois.
Telperion訳:
一種の感情の戦争は2人の再会に影を落とすようになり、毎回少しずつ2人を離していく結果になった。

1960年代前半のヌレエフとエリック・ブルーンの関係。この文の前では、年齢的にキャリアのピークを過ぎたブルーンがヌレエフと我が身を比べて苦い思いだったことが書かれている。

戦いは威力を増した

この文の述語は"finit par"(最後に~をする、結局~になる)。parの後には動詞の不定詞が続き、最後に行われたことを説明する。

この文で"finit par"の後に続くのは"entourer leurs retrouvailles"。動詞entourerの基本的な意味は「取り囲む」で、「励ます」という意味になることもある。この場合は「取り囲む」のほうが適している。

  • 「感情の戦いが彼らの再会を励ます」では、どういうことなのか想像しにくい。
  • 引用部分はヌレエフとブルーンの恋愛関係が終わったという説明の一部。「感情の戦いが彼らの再会を取り囲む」なら、2人が再会しても苦しい気持ちが先に立ったという意味だと受け取れる。

新倉真由美は"finir par"を単なるfinir(終わる)としたのだと思う。それに合わせて"par entourer"を「~と共に」にしたのだろうが、この解釈は無理すぎる。

戦いの結果である別離

文の後半、つまり"avec pour"以降から文末まででは、2つの前置詞が連続する"avec pour"の解釈が難しい。残念ながら、納得のいく説明を辞書で見つけることはできなかった。しかしその後に"conséquence de les éloigner un peu plus à chaque fois"(毎回少しずつ彼らを遠ざけるという結果)が続くので、前半で書かれた感情の戦争の結果、ヌレエフとブルーンが離れたのだと推測できる。

新倉真由美の訳はだいたい私と同じだが、ただ一つ、「結局」には首をかしげてしまう。「結局」は「いろいろあったけれど最後には」ということなので、2人の感情の戦争は単に先行したことの1つに過ぎない。ただでさえ新倉真由美は感情の戦争を収束させてしまったのに、この上「結局」が続くと、ますます感情の戦争は別離の原因にならなかったように見える。

更新履歴

2014/10/17
文の後半についても長く言及

ヌレエフのニヒルな発言とブルーンとの疎遠の関係

『ヌレエフ』P.151:
ルドルフは観客の方に顔を向けながら唇の端を上げるようにして答えた。
「マーゴット、君は僕がどこにいても幸せだったことなんて一度もなかったのを知っているじゃないか」
二つの愛に生きる
フォンテーンが“小さなジンギス・ハーン”と呼んでいた彼は、エリック・ブルーンとの距離に苦しんでいた。
Meyer-Stabley原本:
Souriant au public Rudolf répond presque du bout des lèvres : « Margot, tu sais que je ne serai jamais heureux nulle part. » Le « petit Gengis Khan », comme l'appelle Fonteyn, souffre en fait cruellement de l'éloignement d'Erik Bruhn.
Telperion訳:
観客に向かって微笑みながら、ルドルフはほとんど嫌々ながら答えた。「マーゴ、僕がどこにいても決して幸せにならないだろうということは知っているだろう」。フォンテーンが呼ぶところの「小さなチンギス・ハーン」は、実はエリック・ブルーンと疎遠になったことに残酷なまでに苦しんでいた。

この記事で書きたい本題は、「間違いとまでは言わないが分かりにくい個所」に含まれる。しかし、間違いと言える個所もあるので、そちらを先に書いておく。

間違った個所

  1. "du bout des lèvres"は文字通りには「唇の端から」といったところだが、これは「仕方なく、しぶしぶ」というイディオム。「自分の本心を口にするのにためらいがないはずがない」とMeyer-Stableyが推測したのかも知れないし、フォンテーンが自伝でそう書いたのかも知れない。
  2. ヌレエフの発言について「三日月クラシック」にコメントしたときはよく分からなかったが、やはり直説法単純未来の時制の文を過去のことのように訳すのには無理がある。

誤解を招く個所

上記の文は、原本では同じ段落の中でひとつながりになっている。ヌレエフがブルーンとの不和で痛手を受けたことを説明する文には、"en fait"(実は)という前置きが付いている。"en fait"が「その理由は実は」なのか、それとも「前に言ったことと違って実は」なのかは確信を持てないが(前者のほうが分かりやすいとは思う)、前に書かれたヌレエフの言葉との間に関連があることを示す言葉なのは確か。こうして原本をひといきに読むと、ヌレエフがフォンテーンにニヒルに答えたのは、ブルーンとの不和で苦しい気持ちだったせいだとMeyer-Stableyが思っていることが分かる。

しかし訳本では、いくつかの理由から、ヌレエフのニヒルな発言とブルーンとの関係悪化は無関係な別々のエピソードのように見える。このため、ヌレエフがニヒルな理由が、引用部分の前にある「ヌレエフは孤独で深いところでは決して満たされない」からに見える。つまり、外的要因はなく、ひとえにヌレエフの性格の問題だと。

  1. 発言と次の文の間に小見出し「二つの愛に生きる」が割り込んだ。だから「今までの話題はもうおしまいで、これから別の話に移る」という印象が生まれる。
  2. 前の文からの続きであることを示す「実は」が抜け落ちた。
  3. ヌレエフの言葉が「幸せだったことはない」という過去の回想になった。「もう未来に幸せはない」に比べ、「今まで幸せだったことはなかった」は、破局の苦悩をストレートに吐き出しているように聞こえにくい。

Meyer-Stableyは章の中には本文しか書かない。『ヌレエフ』で章の中にいくつかある小見出しは、すべて新倉真由美か文園社のオリジナル。小見出しが挟まれるせいで本が取っつきやすく見える傾向はあり、一概に否定しようとは思わない。しかしここだけは、小見出しのせいで本文が損なわれたと強く感じる。

勘のいい人は、小見出しに邪魔されても、「実は」がなくても、2つの事柄の関連を感じ取れるかも知れない。しかし、その難易度はかなり高いと思う。

アレクサンドル・カルダが語るヌレエフからブルーンへの熱情

引用文の後、ヌレエフとブルーンの距離が少しずつ広がっていったことが書かれた後、次の文が続く。

訳本P.152:
ルドルフと親しい作家アレクサンドル・カルダは、ダンサーの内にある“絶望的な探求”を強調した。

原本で“絶望的な探求”に当たるのはcette « quête désespérée »(この「必死な探求」)。「この」(cette)が付いていることで、必死な探求とは何なのかは説明済であること、つまりブルーンへの満たされない思いを指すことが分かる。単なる「絶望的な探求」では、初めて触れられた概念であり、先ほどのブルーンと無関係なように見える。

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プロフィール

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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